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最後の審判 ミケランジェロ
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[128] セイレーン - 2008/01/08(Tue)  

Sirens

The Fisherman and the Siren
1856-58
oil on canvas,
City os Bristol Art Gallery, Bristol, England


半身女性で、半身が鳥(のちに魚)の三人の姉妹。鳥の翼を持ち、美しい歌声で船乗りたちを魅了する。

この歌声を聞いた船乗りは、岩に船を衝突させてしまう。

オデュセウスはこのことを、魔女キルケから警告されていた。

オデュセウスはともの水夫たちの耳に蝋を詰めて、歌声が聞こえないようにした。そして、自らは、身体をマストに縛り付けた。

オデュッセウスはセイレンたちの美しい姿と歌声が聞こえるとたまらなくなり、マストを引き抜き海に飛び込んでしまいそうになった。幸い仲間が彼を押さえつけてくれたので、無事、その海域を通過することができた。


ちなみに、セイレーンは「サイレン」の語源となっている。



[127] 「ピエタ」 - 2006/09/08(Fri)  

ミケランジェロ・ブオナルローティ (1498−99年)

 私たちは今まで、これほどまでに美しく静けさに満ちた女性を見たことがあったでしょうか。彼女はこの世の中でただ一人選ばれ、神の恵みとそれに対する彼女の信仰とによって聖なる子を産み、育て、深い悲しみの中で人間としての我が子を失ったのです。彼女は「ただの人」でした。一介の貧しい少女が、謙虚で積極的な受容と信頼をもって信仰を貫いた姿がここにあります。私たちは、この像を目にするたび、何に信頼し、何を受容するのか...その問いを、物言わぬ彼女自身から問いかけられているような気がしてしまうのです。

 それにしても、聖母の衣装のドレープ一つ一つの素晴らしさには目を奪われます。柔らかさ、光沢...いったい、あの硬い大理石のどこをどうしたら、このような表情、風合いが得られるのでしょうか。もちろん、大理石という御しがたい物質から真実の肉体を「解放する」ことを目的とし続けたミケランジェロだからこそ、この魔法のようなピエタが生み出されたことは言うまでもありません。ミケランジェロにとって、肉体は現世における魂の牢獄でした。そして、この肉体と魂の二元性が、彼の創る像に限りない悲哀感を与えるのです。

 「ピエタ」とは、十字架から降ろされた我が子に聖母が別れを告げる場面ですが、この美しいマリアは大げさな身振りや嘆きの表情を見せることなく、内に秘めたたくさんの感情に、静かに身をゆだねているようです。すでに息絶え、横たわる我が子を膝に抱きながら、それでもそっと彼女は語りかけているのかも知れません。お帰りなさい、今だけは私の子ですね...と。

 ある人に、この聖母の美しさは、死せるキリストの母としては若すぎるのではないかと言われ、「罪ある人間は歳をとるが、無原罪の聖母は常人のようには歳をとらないのだ」とミケランジェロは反論したそうです。そんな逸話を聞くにつけ、彼のとても真摯で不器用な、マリアへの敬慕の念を感じてしまうのです。



[126] 「岩窟の聖母」 - 2006/09/08(Fri)  

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1503-06年)


 ダ・ヴィンチの絵には、どれも現実とはかけ離れた神秘的な雰囲気が漂っていますが、この作品は特にその傾向が強いように思います。

 岩に囲まれた洞窟は、生命の誕生をつかさどる母の胎内を暗示していると思われ、神の力が働くサンクチュアリとして描かれているのではないでしょうか。

 おさな児イエスと聖ヨハネを、マリアが大きく手を広げて護り、祝福しています。二人は幼いながらもすでに自らの役割を自覚しているらしく、賢い表情でポーズをとっています。

 でも、この絵の中でとりわけ目をひくのが、その三人をうっとりと眺めている天使の姿です。清純で、少し冷たい感じのする彼女の、ちょっと斜めに傾いた顔はこの上なく美しく、神秘的です。

 巨匠と言われる人の描く女性たちを、どれもこれも「美しい」の一言で表現してしまうのは情けない限りなのですが、やはりどうも、その表現しか見つかりません。光を受けた天使の額が、知性的に輝いています。

 この作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリーとパリの ルーヴル美術館の2箇所で見ることができます。完成品の少ないダ・ヴィンチが、なぜ同じ絵を描いたのかは謎です。いつも新しい興味に向かって走ってしまう彼にしては、異例中の異例と言っていいでしょう。レオナルドはきっと我が道を往く人だったでしょうから、気のすすまない仕事を二回やるとは思えません。単純に考えれば、彼にとって、非常に興味をひかれるテーマだったということでしょうか。



[125] 「天国の鍵の授与」 - 2006/09/08(Fri)  

 ピエトロ・ペルジーノ (1480−81年)

 「あなたはペテロ(岩の意味)である。そして、わたしは岩の上にわたしの教会を建てよう。……わたしはあなたに天国の鍵を授ける」(マタイ福音書16:18-19)。キリストの言葉にペテロはひざまずき、鍵を受け取ります。この比喩的な場面は、ルネサンスの多くの芸術家によって繰り返し描かれました。

 交差した鍵は教会の権威の象徴とされ、紋章として頻繁に用いられていました。金と銀の鍵はそれぞれ天国と地獄の門を象徴し、赦免と破門を行う権限を象徴するとも言われます。現在でも、イギリスのいくつかの教区の紋章でもあります。

 キリストの「第一の使徒」と称されるペテロはガリラヤの漁師でした。そして、使徒の中で最も老齢で、十二使徒の統率者であり、キリストに最も親しい者の一人でもあったのです。キリストの死後は最初のキリスト教団を設立し、64年に皇帝ネロの命で磔刑に処されるまで、人間としての苦悩を抱えつつ、自らがキリストの第一の弟子であり続けることを生きる糧とした、まさにペテロ(岩)のような聖人であったのです。

 ところで、この美しいフレスコ画の作者ペルジーノ(1450年ころ−1524年)は、その優雅な様式においてではなく、現代では、盛期ルネサンスの理想を集約したとさえうたわれるラファエロの師であったという点で、より有名な画家なのかもしれません。それは、彼の画風の中のある種のあいまいさ、表現への追求の今一つの甘さにも原因があるのかもしれません。

 しかし、ペルジーノは確かに当時、最も多くの注文を受けた画家でしたし、実際、優美で感傷的な宗教画を数多く残しています。そして、彼の名声を確立したのがこの大作でした。ゆったりとした空間構成、甘美な人物像など、ペルジーノらしさがいかんなく発揮され、その美しい整然とした画面からは画家の揺るぎない充実ぶりと、作品への丁寧な思いが伝わります。

 遠近法の効果を強めるために、格子状に仕切られた教会広場の広角的な眺望は驚くほど厳粛でありながら、そこに集う人々の自由で生き生きとした動きは本当に対照的です。どんな大作を描かせても、そこにほっとするような空気を感じさせるのがペルジーノだったような気がします。

 ところで、キリストが最初の教皇たるペテロにその地位を渡して祝福し、自分の代理人としての権威を認める場面の描かれたこの礼拝堂は、まさにコンクラーヴェ(教皇選挙会議)が行われる場所なのです。ペルジーノは1481〜82年ころから、当時の代表的なフィレンツェ画家ボッティチェリやギルランダイオらとともに同礼拝堂の装飾に携わりました。教皇シクストゥス4世からの依頼を、画家はどれほどの喜びをもって受けたことでしょうか。しかし、この作品からは、そうした画家の高揚した気分をひたすら抑えた、厳粛で計算され尽くした知性がすみずみにまで感じられるのです。



[124] 「東方三博士の礼拝」 - 2006/09/08(Fri)  

サンドロ・ボッティチェリ (1477年)

この作品は、サンタ・マリア・ノヴェラ聖堂の祭壇画として描かれたもので、ボッティチェリのもっとも重要な作品とされています。

中央で、幼な児イエスを抱いた若く美しいマリアにくらべ年をとり過ぎている感じの聖ヨセフが居眠りをし、左手には聖母子の前にひざまづく博士の一人が描かれています。

マリアの膝でたわむれるイエスを、うやうやしくその手でささえようとする博士の周りでは、たくさんの人々がそれぞれの表情で見守り、なかなかにぎやかな「東方三博士の礼拝」です。

この、礼拝の場面を囲んでいる人々は、当時のメディチ家の人々をはじめとして、実際にその周辺にいた人文学者たちが描きこまれていると言われています。

フィレンツェきっての教養人でもあったロレンツォ・デ・メディチの手厚い庇護を受けたボッティチェリは、その恩に報いるため、メディチ家のために最善を尽くしたと言われています。ですから、こうした肖像を作品の中にとり入れるということも、何度か試みているようです。

また、右端で正面を見ている人物は、ボッティチェリの自画像と言われています。ルネッサンスの頃まで、作品に作者の署名を入れないことが多かったためか、作者自身を群像の中に描くことは割とめずらしくないことだったようです。

まだ30代になったばかりのボッティチェリですが、あの美しいヴィーナスを描いたボッティチェリはどんな人?・・・という興味は、ここで満足されることになります。



[123] 「聖ルチア」 - 2006/09/08(Fri)  

 フランチェスコ・デル・コッサ (1470年)

 とてもとても美しいけれど、なにか不思議な感じのひと.....それは、瞼がとても重たそうな、視線が定まらないような、そして深い悲しみを噛みしめているような....そんな感じだからでしょうか。しかし、そういうこととは違う、もっと不思議な......と思って彼女の持ち物をよく見ると、一瞬、この絵はマグリット?...と、時代が急降下したようで、クラクラとめまいを覚えてしまうのです。彼女が優雅に手にしているのは殉教者のしるしである棕櫚の葉、そして茎から花のように芽吹いている二つの眼球...。彼女はじつは、自らくり抜いた眼を持って佇んでいるのです。
 眼を持っているのに、ちゃんと目を開いているのはなぜ?....などと、野暮なことを言ってはいけないのです。この姿はこのまま、礼拝の対象として、素直に受け入れなければなりません。この女性の名は聖ルキア。ルチアともいいます。「サンタルチア」という歌の名前でもお馴染みです。

 聖ルチアはイタリアのシラクーサの殉教聖女で、ディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害のもと、304年に没したと言われています。彼女は実際の歴史上の人物ですが、美術においては伝説に基づいた姿で描かれます。すなわち、彼女があまりに美しかったため、それに惹かれて多くの求婚者が後を断ちません。それで、それを退けるために敢えて自ら目をえぐってしまったというのです。しかし、神の力により奇跡的に治癒したと伝えられるところから、眼病の守護聖人とされるようになりました。この作品は、そんな聖ルチアの象徴的な姿なのです。

 ところで、「ルチア」という名は「光」を意味するギリシア語 Lux に由来しますが、その名のとおり、彼女は暗い世にあって一筋の光のような信仰を貫いた人でした。信仰心の篤かったルチアは、母親が病気になったとき、聖アガタの墓廟で一心に祈りを捧げました。すると母親は奇跡的に命をとりとめることができ、このことで、ルチアは感謝のしるしとして、財産を貧しい人々に惜しみなく施し、イエスへの愛を実践しました。これを知って、自分のものになるはずだった財産がどんどん減っていくことに激怒した婚約者は、裁判官パスカシウスに彼女がキリスト教徒であることを告げてしまいます。

 しかし、裁判にかけられたルチアは頑として改宗を拒否しました。そのためルチアは、火あぶり、溶かした鉛を耳に流し込む、歯を引き抜く、煮えたぎる油をかけるなどの数々の拷問を受けますが、それでも棄教することはありませんでした。最後には短剣で喉を貫かれて殉教したと言われますが、それでもルチアは司祭によって聖体を授けられ、静かに息を引き取ったといいます。

 殉教当時、聖ルチアはまだ20歳だったといいますから、コッサの描くルチアは、もう少し年長のようにも見受けられます。しかし、当時のローマの皇帝であったディオクレティアヌス帝のキリスト教徒に対する迫害は尋常ではなかったと言われていますから、伝説とは別に、ルチアの最期はどんなにかつらいものだったか、と察せられます。この痛ましいほどの悲しみを秘めた表情も、そんなところから、とても深く納得できるような気がします。

 ところで、コッサはイタリアのフェラーラ派の画家で、同時代のトゥーラとは多分に類似点を持っています。その画風は、トゥーラの持つ鋭い表現主義的傾向をみごとに受け継いでいますが、より典雅な、くつろいだ雰囲気を持っており、空間表現にはピエロ・デラ・フランチェスカ、人物表現にはマンテーニャ、またカスターニョの影響も見てとることができると言われています。しかし、作品全体に漂うときめくような優雅さ、侵しがたい美しさは、やはり彼の天才に負うところが大きいと言えるでしょう。



[122] 「殉教へと向かう聖ヤコブ」 - 2006/08/30(Wed)  

アンドレア・マンテーニャ (1455年頃)

 聖者は、ヘロデ・アグリッパの裁きにより、処刑場へと赴きます。その途上、中風を患う男と出会い、立ち止まって祝福を与え、歩くようにと命じます。

 それを見ていた群集は奇跡を目の当たりにして、ある者はうたれ、ある者は異常な興奮状態に陥り、画面右端では、制止する兵士との間に何やらもめ事も起きているようです。頭上の旗も激しくはためき、その場にいる人々の動揺が頂点に達していることを象徴的に伝えます。

 それにしても、この威圧感にあふれた画面の前で、おそらく鑑賞者は、ひたすら圧倒されたのではないでしょうか。そこには、15世紀北イタリアの代表的画家マンテーニャが持つ彫刻的な様式と、あまりにも生き生きとした雄弁な線のためばかりでなく、虫が世界を見上げたときのような視点の存在の効果が大きいかも知れません。この絵の中心…消失点は、実は画面の一番下よりもまだ下にあります。ですから、私たちは自然と圧倒され、この劇的な場面を見上げるようなかたちとなるのです。

 ところで、この作品の中でまず目を惹かれるのは、やや左で、祝福を与える大ヤコブよりもむしろ、ほぼ中央で背中を見せて驚きを表現する兵士の、背中から腰、足にかけての重量感をもった後ろ姿かも知れません。贅肉のないがっしりとした骨格とみごとな緊張感の、なんと美しいことでしょうか。そして丹念に、人物にまつわりつくように描きこまれた衣服のひだの表現は、古典期のギリシャ彫刻から受け継がれたものでしょう。

 古代的想像力にあふれたマンテーニャは、まるで考古学者のように古代への造詣の深い人でした。そんなマンテーニャだからこそ…の、古代ローマを思わせる凱旋門の表現も、その圧倒感を際立たせている要因かも知れません。細部まで描き込まれた建物は、まるで実物を写し尽くしたもののようなリアルな感覚を見る者に与え、そして、ローマ兵士たちが身に着けた衣装の精緻さにも画家の古代への興味が遺憾なく発揮されているのです。人々のざわめき、渦巻く興奮と、ただ一人、威厳をたたえた聖ヤコブの静かな姿の対比もまた、美しい印象となって鑑賞する者を魅了します。

 ところで、このみごとなフレスコ壁画を、私たちはもう永遠に目にすることはできません。第二次世界大戦中に礼拝堂が爆撃を受けて、一部の作品を除いて破壊されたのです。ですからこうして、残された白黒の写真のみで、かろうじて当時の姿をしのぶばかりなのです。

 それにしても、このエレミターニ聖堂オヴェタリ礼拝堂の壁画の連作が、事実上のマンテーニャのデビュー作であり、当時、彼がまだ17歳の若さであったことには驚嘆をおぼえます。恐るべき早熟の天才、と言う以外にはないかも知れません。



[121] 「ヘロディアの娘(サロメ)の舞い」 - 2006/08/30(Wed)  

ベノッツォ・ディ・レーゼ・ゴッツォリ (1461−62年)

 キリストの先駆者または使者とされ、旧約と新約をつなぐ役割を果たした洗礼者のヨハネは、このように不本意な場所でその生涯を閉じようとしていました。

 説教師であったヨハネは、荒野で禁欲生活を送りながら、深く罪を悔い改めたいと彼のもとにやって来る人々すべてに、ヨルダン川の水でバプテスマを施していたのです。ところがある時、ガリラヤ地方を治めていたユダヤ王ヘロデが、兄弟ピリポの妻ヘロディアを娶ったことを叱責したため、妻ヘロディアに説き伏せられたヘロデによって、獄につながれてしまったのです。ヘロデは当初、ヨハネをすぐに殺そうと思っていました。しかし、何よりも民衆を恐れました。人々がヨハネを預言者と信じていたからです。

 ところがヘロデの誕生日に、ヘロディアの娘サロメが皆の前で華麗な舞を披露し、ヘロデは有頂天になってしまいました。そして軽率にも、望むものなら何でもあげようと継娘に約束してしまいます。するとサロメは母ヘロディアにそそのかされ、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でいただきたい」と申し出たのです。それを聞いた王は、あまりにも意外な言葉にひるみました。しかし、客の手前もあり、それを与えるよう命じ、人を遣わして牢の中でヨハネの首をはねさせたのです。

 画面では、後に来るはずの打ち首の場面が宴会場面と一緒に描かれていますが、これはやや狭苦しい印象を伴うものとなっています。牢獄の庭で、剣を手にした刑吏を前にひざまずくヨハネは、向かって左端にギュッと押しやられ、ああ、もう少し画面が広かったら....と、なんとももどかしいような、落ち着かない気持ちになってしまいます。しかしこれも、群像を華麗に、一つの画面の中に装飾的に描き込むことを得意とした、フィレンツェ派の画家ゴッツォリ(1420−97)ならではの表現と言えるのでしょう。構図全体を見れば未成熟な遠近法で、いかにも古様をとどめたものなのですが、克明な描写、色彩の華麗さは甚だ魅力的で、見る者の心を奪います。

 画面中央で踊るサロメは、芸術家たちにたくさんのインスピレーションを与え続けている女性であり、古来、さまざまな描き方をされてきました。中世美術においては、逆立ちをしたり、曲芸を演じているサロメさえありますし、後代には裸体同然であったり、部分的に布をまとっただけの姿で描かれることもありました。しかしこのサロメは少女らしい可愛らしさを残し、裾の長い衣装で、どちらかといえば楽しそうに踊っています。それを見守る人々の表情もとりたてて緊迫した様子ではなく、その背後で、すでにヨハネの首の載った皿を手にしたヘロディアも、まるで侍女からケーキを受け取っているかのような穏やかさです。宮廷内部にしては狭く、簡素な部屋の様子も、世俗的な作風のゴッツォリの興味が、ここでは贅沢な表現にはなかったことを感じさせます。

 劇的にも凄惨にも、どのようにでも描くことのできるテーマを、敢えてこれだけ美しく温かい画面に仕上げたゴッツォリは、フラ・アンジェリコの工房で活躍したことから、師の追随者と見なされていました。しかし彼は、パトロンの要望もあったためか、フラ・アンジェリコよりも、もっと庶民にとって親しみやすい画風を確立し、伸び伸びと制作していたように見えます。初期には金銀細工師として徒弟生活を送ったゴッツォリの中にある装飾的な才能が、画家のやさしい性格とも相俟って、このように愛らしいサロメを描かせたのではないでしょうか。



[120] 「聖母子と聖者たち」 - 2006/08/30(Wed)  

ジョヴァンニ・ベルリーニ (1505年)

 この静謐で穏やかで瞑想的な雰囲気は、まさしく「サクラ・コンヴェルサツィオーネ」...イタリア語で「聖なる談話」を意味する聖人を配したマドンナの表現なのです。これまでにも、ドメニコ・ヴェネツィアーノの描いた同種の『聖母子と聖者たち』など、この型の作品は多く描かれています。しかし、私たちはこの絵を前にしたとき、大げさな身振りなど何もない、人物相互の深い交感をこそ味わうことができるのです。画面全体はほのかな靄のようなもので浸され、まるで大気の拡散フィルタを通して眺めるかのようで、私たちはふっと、ここが海の底なのではないか、という錯覚にさえ陥ります。コントラストはいっさい排除され、明暗はほとんど感じられないほどのかすかなグラデーションのうちに溶け合って、深い豊かな色彩が輝いています。それにしても、なんと静かな、時がその歩みを止めたような瞬間でしょうか。ここにはフィレンツェ派の持つ崇高さと、ヤン・ファン・エイクに見られるような北方的な詩的親密感が、ひそやかに息づいているようです。

 この作品は、ベルリーニ最晩年の、そしてもっともモニュメンタルな「聖会話」の図です。高齢の画家は、この作品を制作するにあたり、背景の建築を実に簡素に、だからこそ印象的に描きました。私たちは最初、教会堂の中に立っているような感じを持ちますが、ここに描かれた構造は実際の教会堂のそれではありません。ドメニコ・ヴェネツィアーノが半ば戸外のような背景に人物を配したのと同じように、この教会堂の両側も実は戸外に開かれていて、場面全体に穏やかな陽光が溢れているのです。聖母の玉座は背が高くしっかりとした造りで、その足元に腰をかけ音を奏でる天使は、マザッチオの 「玉座の聖母子」に由来していると思われます。私たちはそこに、マザッチオからの流れの中で、よりいっそうの洗練と静謐さを感得し、この絵の意味を何一つ知らなかったとしても、それはそれは厳かな感銘を受けてしまうのです。

 ベルリーニは初期ルネサンスの最も重要な画家マンテーニャの義弟にあたり、16世紀ヴェネツィア派の基礎を築いた人物でした。彼は伝統的なテンペラ技法に対し、いち早くアントネロ・ダ・メッシーナの油彩技法を取り入れ、光と色彩に対する生来の感受性をさらに輝かしいものにしていきました。彼の描く聖母や聖人たちには血がかよい、人間としての尊厳が宿ります。長い生涯において、彼は弟子にあたるティツィアーノからの影響さえも素直に取り入れ、晩年までその叙情的な資質に磨きをかけ続けました。そんな彼の柔軟で旺盛で前向きな姿勢は、ヴェネツィア派をフィレンツェに次ぐ初期ルネサンスの中心画派へと育てていったのです。



[119] 「受胎告知」 - 2006/08/30(Wed)  

フラ・アンジェリコ (1439−45年)

 「恵まれた者、喜びなさい。主はあなたとともにおられます。」
神のみ使い、大天使ガブリエルのこの言葉に、ルカによる福音書の伝えるところによると、「この言葉を聞いて、マリアは胸騒ぎがし、この挨拶はなんのことであろうかと思いまどった」のです。ここに、恐れるな、マリア・・・に始まる有名な天使の告知が行われるのですが、フラ・アンジェリコの描くマリアは、畏れながらも静かに顔を上げ、「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と、深く決意に満ちた受容で応えています。キリスト教はこの瞬間に、このマリアという一人の少女の受諾からその歴史の幕が開かれます。

 多くの画家たちが、それぞれの時代の神学的、美的解釈、また自らの内的発露から、さまざまな「受胎告知」を描いてきましたが、この作品はその中でも、その清らかさ、ひそやかさ、純粋さで、他とは一線を画した存在ではないでしょうか。

柱廊玄関(ポティーコ)という当世風の舞台設定であるにもかかわらず、よけいな細部の描写がいっさい省かれ、大天使ガブリエルのみごとな美しい羽根と柔らかなピンクの衣装、そして、聖母になろうとするマリアの白と深い紺色の衣装が目にも爽やかで、この上なく清らかで無垢な印象を与える作品に仕上がっています。

 向かい合った二人の、真剣で純粋な顔も本当に美しくて、ああ、こんなふうに受胎告知はなされたのかも知れない・・・と深く納得してしまうのです。
マリアの困惑、戸惑い、受容はもちろんですが、大天使ガブリエルにしてみても、神様からの大切な告知を携えての大きな仕事です、天使なりに内心はそうとう緊張していたのではないでしょうか。そんな二人の間に漂う張りつめた空気が、ピン・・と見る者にも伝わって、非常に清冽な大作となっていると思います。

 フラ・アンジェリコはドメニコ会のサン・マルコ修道院で生涯敬虔な生活を送り続けた修道僧画家で、とくに、「受胎告知」にはこだわりを見せ、何度も繰り返し、このテーマで描いています。その中でも、この作品は代表的なもので、彼の繊細な空間表現、光の描写がつつましく生かされ、神秘の世界の始まりを美しく、そしてまっすぐに見せてくれています。



[118] 「我に触れるな」 - 2006/08/30(Wed)  

フラ・アンジェリコ (1450年)

 キリストの弟子であり、「富める人」と称されたアリマタヤのヨセフは、キリスト磔刑のあと、ピラトに乞うてその遺骸をもらい受け、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った彼の新しい墓に納めて帰りました。そしてその後には、マグダラのマリアと他のマリアが墓に向かって坐っていたといいます。

 マグダラのマリアは、一人残ってひたすら泣き続けました。やがて泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えたのです。天使たちは尋ねます。「婦人よ、なぜ泣いているのか」。マリアは驚き、「私の主が取り去られました。どこに置かれたのでしょう」と言い、後ろを振り向きました。すると、そこにはまさにそのイエスが立っていたのです。

 イエスは、尋ねます。「婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を探しているのか」。マリアはそれがキリストとは気づかず、園丁であると思い込んでいました。ですから、「あなたがあの方を運び去ったのですか。どこに遺体を移したのか、教えて下さい。私があの方を引き取ります」と懇願しました。そこでイエスが、「マリア」と彼女の名を呼びました。マグダラのマリアは「ラボニ」と答えました。それは「先生」という意味です。イエスは、マリアに言いました。「ノリ・メ・タンゲレ(わたしに触ってはいけない)。まだ父の御許に上っていないのだから。あなたはわたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしはこれから、わたしの父であり、あなた達の父である方、またわたしの神であり、あなた方の神である方のところへ上る』と」。

 もちろん、この場面には、二人の姿だけが描かれているのが普通です。ルネサンス以降、本当に多くの画家がこの神秘的で美しい場面を描いていますが、そこに共通するのは、キリストがマリアの差し伸べる手から静かに身を引いていることです。そして、マグダラのマリアがキリストを初めに庭師と間違えたというヨハネ福音書の記述を受けて、鍬を持っていることも特徴的です。ティツィアーノやコレッジオの劇的で情感あふれる表現は、その場の雰囲気を印象的に伝えるものでしょう。

 しかし、信仰心篤いフラ・アンジェリコは、キリスト復活の基盤となったこの象徴的な場面を、彼らしく、本当に清らかに静かに、大仰でない優しさをもって描いています。マリアの顔もキリストの表情も柔和で穏やかで、この奇跡が余りにも自然に行われたことなのだと見る者をして納得させます。控え目に伸ばしたマリアの両手は、決してキリストにすがりつこうとするようなものではなく、まるで地上に回帰したイエスを送り出す母のようなやさしさで差し伸べられています。このような表現にも、フラ・アンジェリコ自身のひととなりが画面を包み込む光となっているようです。そして画家は、奇跡が決して稲妻を伴って起こるものではなく、暖かい陽の光の中でひっそりと、それと気づかないほどのさりげなさで行われることを知っていたのかも知れない、と思わせてくれるのです。
 この作品は、フィレンツェのサン・マルコ修道院がドミニコ会の手に移って改築されたときに、フラ・アンジェリコと彼の助手たちによって描かれたフレスコ連作のうちの一作であり、2階僧房の第1室を飾るものです。現在は美術館となっているこの修道院の修道士であった画家の、共同体における宗教体験が具現化されたものと考えてもいいのかも知れません。

 赤い十字は、救世主復活を意味します。中世後期以降、このしるしはキリストの持つ旗で表現されるものでしたが、天使のような画家フラ・アンジェリコは、主の頭部に輝く光輪に可愛らしく、その意味合いを込めるにとどめています。



[117] キルケ - 2006/07/28(Fri)  

Circe

太陽の戦車を駈るヘリオスの娘。魔法に詳しい美しい半神の女神。

その歌声と美しさで男性を虜にした。しかし、キルケはそういった男性たちに飽きると、捨てるのではなく、それぞれを狼、ライオン、豚などの姿に変え、ペットとして飼った。

オデュッセウスら一行はトロイア戦争の後、故郷に帰る途中で、魔女キルケの島に着いた。

キルケはオデュッセウスの乗組員にも、魔法の毒入りのご馳走を振舞った。キルケは杖を持っていて、その杖で一人ずつ触れると、一同は豚になってしまった。キルケの目的はオデュッセウスであった。

仲間を救うために、オデュッセウスがやって来た。

オデュッセウスは、ヘルメスから魔法消しをもらっていたので、キルケの魔法は効かなかった。オルフェウスはキルケに仲間をもとの姿に戻すよう命じた。オルフェウスはキルケを支配したが、彼もまたキルケの魅力の虜となり、三年間、キルケの島に留まった。

キルケはオデュッセウスの旅立ちのときに、セイレンたちのいる海を無事に航海していく方法を教えた。セイレンは海のニンフであるが、美しい歌声で航海者たちを魅惑し、海に溺れさせる。


ウォーターハウス
『Circe Offering the Cup to Ulysses』



[116] セイレーン - 2006/07/28(Fri)  

Sirens

半身女性で、半身が鳥(のちに魚)の三人の姉妹。鳥の翼を持ち、美しい歌声で船乗りたちを魅了する。

この歌声を聞いた船乗りは、岩に船を衝突させてしまう。

オデュセウスはこのことを、魔女キルケから警告されていた。

オデュセウスはともの水夫たちの耳に蝋を詰めて、歌声が聞こえないようにした。そして、自らは、身体をマストに縛り付けた。

オデュッセウスはセイレンたちの美しい姿と歌声が聞こえるとたまらなくなり、マストを引き抜き海に飛び込んでしまいそうになった。幸い仲間が彼を押さえつけてくれたので、無事、その海域を通過することができた。


ちなみに、セイレーンは「サイレン」の語源となっている。


Knut Ekwall
『The Fisherman and the Siren』



[115] メディア - 2006/07/28(Fri)  

Medea

メディアは、コルキスの王の娘である。伯母にあたる魔法使いキルケから、魔法を教わった。

一方、テッサリアの王家の一人イアソンは、王位を継ぐための条件である、金の羊毛を求めてコルキスにやって来た。

メディアはイアソンと恋に落ちた。

メディアは、イアソンが金の羊毛を手に入れるために、魔法を使い手助けした。

後に、イアソンとメディアは、二人の子どもを持った。しかし、イアソンはギリシャに帰ると、父を苦しめた叔父を殺し、メディアとともに、コリントスへ逃れた。

コリントスの王は、イアソンを娘婿に望んだ。イアソンはメディアと二人の子どもを捨てて、コリントス王の娘と婚約した。

怒ったメディアは、復讐のために、二人の子どもを殺し、彼の婚約者を焼き殺した。

メディアのイメージは小説や絵画の主題として、人気がある。それぞれの作品が、それぞれ、違うイメージで書いている。悪魔のような魔女として書くものもいれば、裏切られた不幸な女性として書かれるばあいもある


ドラクロワ Delacroix
『Medea about to Kill Her Children』



[114] アドメトスとアルケスティス - 2006/07/28(Fri)  

Alcestis

アポロンの息子アスクレピオスは、医術をさずかり、死人を生き返らせることができた。

黄泉の国王ハデスが驚き、ゼウスに報告した。ゼウスはアスクレピオスの雷電を投げつけ、ぼろぼろにしてしまった。

自分の息子を殺されたアポロンは、怒って、雷電を造ったキュクロプス(一眼巨人)を射殺してしまった。

ゼウスは再び怒り、アポロンに罰を与えた。人間の下部となる命を下したのである。

アポロンはテッサリアの王アドメトスのもとで、羊飼いとなった。

王アドメトスはアルケスティスに思いを寄せていた。アポロンの助けで、王は思いを遂げ、結婚するることができた。

しかし、しばらくすると、王アドメトスは重い病気になってしまった。

アポロンは運命の神に頼んだ。誰かが身代わりになるという条件で、王は死を免れた。

しかし、肝心の身代わりが見つからない。

王アドメトスの家来は、彼のためなら何でもすると言っていたのに、いざとなると、誰も身代わりに死のうという家来はいなかった。

王の両親も、我が子を亡くすのを悲しんでいながらも、自分たちが身代わりになることは怖がった。

すると妻のアルケスティスが、身代わりになると申し出た。

王アドメトスはいったんは拒んだが、他に方法がなかった。運命の神々が、すでに、約束どうり、王アドメトスを生き返らせたのだから、変更することはできない。

アルケスティスは、たちまち、重い病気にかかってしまい、今にも死にそうになってしまった。

ちょうどそのとき、英雄ヘラクレスが、宮殿に来た。みんな、王妃アルケスティスの病に悲しんでいるところであった。

単純なヘラクレスは彼女を救おうと決心した。

死神が、その生贄の王妃アルケスティスを迎えに来たとき、ヘラクレスは死神を捕らえて、生贄の王妃を捨てさせた。

王妃アルケスティスは、夫のもとへ返ることができた。


Pierre Peyron (1744-1814) フランス
『The Death of Alcestis』



[113] イカロス - 2006/07/28(Fri)  

Icurus

ダイダロスはイカロスの父で、細工の名人であった。ダイダロスがミノス王のためにラビュリンス(迷宮)を造った。

ダイダロスは、テセウスを助ける為、アリアドネに入れ知恵した角で(注1)、後にミノス王から見放され、息子のイカロスと共に、ある塔に閉じ込められてしまった。

その塔を抜け出すために、鳥の羽を集めて、大きな翼を造った。大きい羽は糸でとめ、小さい羽は蝋(ろう)でとめた。

翼が完成した。二人は翼を背中につけた。

父ダイダロスは、息子のイカロスに言う。

「イカロスよ、空の中くらいの高さを飛ぶのだよ。あまり低く飛ぶと霧が翼の邪魔をするし、あまり高く飛ぶと、太陽の熱で溶けてしまうから。」

二人は飛んだ。

農作業中の人々や羊飼いたちが二人の姿を見て、神々が空を飛んでいるのだと思った。

イカロスは調子に乗ってしまった。父の忠告を忘れ、高く、高く飛んでしまった。

太陽に近づくと、羽をとめた蝋(ろう)が溶けてしまった。イカロスは羽を失い、青海原に落ちてしまった。

以後、その海はイカロスと名づけられた。



PIOLA, Domenico
『Daedalus and Icarus』
1670s, Oil on canvas, 136 x 111 cm , Private collection, Genoa



注1:ミノス王の娘、アリアドネ。
義兄はミノタウロス。半牛半人の怪物で、ミノス王がダイダロスに創らせたラビュリントスに幽閉されている。

ミノタウロスには毎年アテネから少年少女の生贄を送らねばならなかった。アテネ市にとってはたまったものではないので退治してくれる勇敢な若者を探したのだが、名乗りをあげたのが、テセウスである。

アリアドネは人質として送られてきたテセウスに、ひと目で虜になった。

どうしよう、何とかしなくちゃミノタウロスの餌食になってしまう。
いやよ、そんなのは・・・ああ、テセウスさま・・・

とにかくミノタウロスを退治せねば、たとえこの命が尽きようとも、それでオレが王の子だと証明できさえすれば・・・

アリアドネはラビュリントスの設計者ダイダロスに脱出の秘密を教えてくれるように頼んだが、あまりにも複雑に創ったため、ダイダロスにも判らない。ただひとつ彼は、糸玉を持ってほどきながら入り、戻るときはそれを手繰ってくればよいと教えてくれたので、アリアドネはテセウスに糸玉を渡した。

テセウスさま、これを持っていくのです。そして首尾よく事を済ませたら、わたくしも一緒に・・・

王女がオレに?・・・まぁいい、これで脱出の目星も付くし、一緒に出奔してもいいだろう。

テセウスは渡りに舟だった。そうしてミノタウロスを倒し、入り江の影からアリアドネの手配した船に乗ってクレタ島を脱出したのだ。
テセウスは一応はアテネ王の息子となっているのだが、小さい頃は素性の知れない子供として育てられていたので、血の証明のためには望まれる事をすべてやり遂げる事が生きることだった。
彼にとって大事なのは「自分」であったはずだ。

これで幸せになれる。わたくしは英雄の妻なのだわ。

アリアドネは恩人といえば恩人だが、ミノス王の怒りはいささか厄介だな・・・

船を止めたのはナクソス島であった。支配者は大神ゼウスの息子ディオニッソス(バッコス)である。
このディオニッソス、酒豪と好色にかけては人語に落ちない。

“よう、テセウス。お前が酔って寝ている間に、王女様を抱かせてもらったぞ。どうだあの娘、オレのところに置いていくなら、お前の守護神になってやってもいいぞ、どだ?え?”

・・・ここに置き去りにした方がいいな。ミノス王も神には逆らえまいし、俺も力強い後ろ盾が出来たってことだ。いいぞ、いよいよオレにも運が向いてきたんだ、このチャンス逃してなるもんか・・

テセウスさま、テセウスさま・・・わたくしはあなたを裏切ってしまったのですね、わたくしはもう、あなたの妻でいる資格はないのですね、テセウスさま・・・・

そして翌朝ナクソスの港を出て行くテセウスの船にアリアドネの姿は無かった。
彼女は断崖から身を投げたのか、それとも乱暴者のディオニッソスの何番目かの妻で終えたのか、はたまた誰かの囲い者になったのか、誰にもわからなかった・・・。

テセウスの方はというと、アテネに着いたとき父王は亡くなっており、アテネ王として君臨して波乱万丈な一生を送った。



[112] フローラ - 2006/07/28(Fri)  

Flora

ローマ神話の女神で、花と春の女神であり、ギリシャ神話の妖精クロリスと同一視されている。

西風の神ゼフュロスはフローラに恋し、彼女をさらってしまう。二人は結婚し、フローラの住家としてに花園を贈った。
フローラは人間に、蜂蜜やあらゆる種類の花の種を与えた。

フローラの花園には死んだあとに、花に姿を変えた者たちが住んでいた。

サラミスの王子で自刃したアイアースはヒエンソウとなり住んでいる。

自分の姿をいつも見ていたナルキッソスは水仙になった。

クリュティエはアポロンに愛され、やがて飽きられる。その失恋に耐えられず、ひまわりになり、アポロが乗る太陽の馬車を見つめている。

ヒュアキントスは美しい若者で、アポロンの恋人。北風ボレアスの嫉妬をかい、アポロンが投げる円盤を、北風で飛ばし、ヒュアキントスの頭に当て、殺してしまう。
アポロンは愛するヒュアキントスを早春に咲くヒアシンスに変えた。

アプロディーテの恋人アドニスはアネモネになり、フローラの花園の住人となった。


ボッティチェリ Alessandro Botticelli.
Primavera. c.1482. Tempera on panel. Galleria degli Uffizi, Florence, Italy



[111] アイネアス - 2006/07/28(Fri)  

Aeneas

トロイアの王子、アフロディテとアンキセスの息子。トロイを防御した、その勇敢さは英雄ヘクトルに次ぐ。
アフロディテはアイネアスがいつかトロイアに君臨し、その治世は永遠に続くと予言した。

トロイアが陥落した後、アイネアスは家族と従者と伴なって、なんとか燃え上がる街から逃れた。アフロディテの助けで船で長い旅に出ることになる。地中海を通り抜け、イタリアへたどりつき、ローマを建国する。



Bernini, Gianlorenzo

『Aeneas, Anchises, and Ascanius』
1618-19
Marble
height 86 5/8" (2.2 m)
Galleria Borghese, Rome



[110] アンドロメダ - 2006/07/28(Fri)  

Andromeda

エチオピアの王女である。母カシオペイアは、娘アンドロメダが、海のニンフ・ネイレスたちより美しい、と自慢した。

ネイレスを気に入っている海の神、ポセイドンはこれを聞いて、怒った。

海の怪物を送って、沿岸を荒らした。王は信託を伺った。アンドロメダが生贄として奉げられない限り、怒りは治まらない、ということであった。

アンドロメダは怪物の生贄になるために、岩に鎖でつながれた。

そのとき、メドゥサの頭を袋に入れたペルセウスが、通りかかった。

ペルセウスは、怪物にメドゥサの頭を見せて、石に変えた。

ペルセウスはアンドロメダを妻に迎え入れた。

アンドロメダは死後、天の星の仲間に加えられた。夫ペルセウス、父ケペウス、母カシオペア、海蛇とともに、星座となった。

しかし、母カシオペイアは、高慢の罪で、椅子に腰掛けたまま天から逆さに吊り下げられている。


ヨアヒム・ウィテウァール  WTEWAEL, Joachim
『Perseus and Andromeda』
1611
Oil on canvas, 180 x 150 cm
Musee du Louvre, Paris



[109] ペルセウスとメドゥサ - 2006/07/28(Fri)  

Perseus and Medusa / Gorgons

ペルセウスは、セリポス島のポリュデクテス王に育てられた。しかし、王は、ペルセウスが成人すると、邪魔になり、彼を殺そうと企んだ。

ペルセウスに、その国を荒らしていた怪物メドゥサを退治しにやらせたのである。

メドゥサは、もとは美しい乙女であった。しかし、アテナとその美しさを争ったため、髪はひしめく蛇に変えられ、美も奪われ、怪物にされてしまったのである。

メドゥサを一目見たものは、皆、石になってしまうのである。

ペルセウスはそんな恐ろしいメドゥサを退治するために、思案した。

幸い、ペルセウスはアテナとヘルメスに可愛がられていた。

アテナは楯を貸してくれた。そして、ペルセウスに警告した。メドゥサを見るとき、楯に写る姿だけを見るようにと。

ヘルメスは翼のついた靴を貸してくれた。そしてもう一つ貸してくれたのは、金の新月刀であった。これは、世界でただ一つ、メドゥサの首を切ることができる鋭利な刀である。

ヘルメスは、ペルセウスに、あと二つのものが必要だ、と告げた。その二つのものは、かつて、西方の国のニンフに、ヘルメスが与えた贈り物である。

さらに、ニンフたちの住家は、グライアイと呼ばれる三人の老女だけが知っているので、彼女らから、ニンフの住家を聞かなくてはならない。

ペルセウスは翼の靴を履き、老女グライアイのところまで、飛んでいった。彼女たちは、三人なのに、一つの目と一つの歯しか持たず、それらを、交代で使っていた。

ペルセウスは、グライアイたちから、ニンフたちは黄昏の娘たちの園(ヘスペリデス)に住んでいることを聞き出した。そこにはヘラの黄金のりんごの木があり、アトラスがそのへりを持ち上げている。

もう何世紀も新しい客に会っていなかったニンフたちは、ペルセウスを喜んで迎え入れた。そして、ヘルメスが残していった贈り物を与えた。

ひとつは、隠れ兜といい、かぶると人間の周りを闇が包み、見えなくしてしまうものである。もう一つはキビシスという袋である。この魔法の袋だけが、メドゥサの毒に耐えられるのである。

ペルセウスは、メドゥサに睨みつけられると石になってしまうので、メドゥサが眠っている間に、近づき、首を落とした。

そのとき、飛び散るメドゥサの血から、生まれ出たのが、天馬ペガソスである。


バーン・ジョーンズ Burne-Jones, Edward
『The Arming of Perseus』
1885, Oil on canvas , Private Collection



[108] ダナエ - 2006/07/28(Fri)  

Danae

アルゴスはペロポネソス半島にある国である。そこの王アクリシオスは、ある予言を与えられた。

「お前に男の子は授からない。それどころか、お前は孫に殺されるだろう。」

アクリシス王には一人娘のダナエがいる。孫が生まれないようにしなくてはならない。

王はダナエを青銅の扉のついた塔に閉じ込めた。男が接近しないように。

しかし、ダナエは美しかった。ゼウスの目にとまってしまったのである。

ダナエは堅固な土牢に居て、直接会うことはできない。

ゼウスは、ある夜、黄金の雨の雫に姿を変えて、ダナエと交わってしまったのである。

閉じ込めておいたはずのダナエに、男の子が生まれた。ペルセウスである。

アクリシオス王は苦悩した。生まれた男の子、ペルセウスに、アクリシオス王は殺される。予言である。

この子を殺さなければならない。

しかし、やはり殺すことはできない。王は娘ダナエと孫を、箱舟に閉じ込め、海に流した。

箱舟はクレタ島の北にあるセリポス島に流れ着いた。二人は漁師に拾われた。その島の王ポリュデクテスはダナエを一目見て、愛するようになった。



[107] ミューズ (ムーサ) - 2006/07/28(Fri)  

muses

芸術家に霊感(インスピレーション)を与える女神たち。

さまざまな芸術をつかさどる九人の女神たち。それぞれがつかさどるのは、次の通りである。
カリオペ(叙事詩)、クレイオ(歴史)、メルポネペ(悲劇)、エウテルペ(抒情詩)、エラト(恋愛詩)、テルプシコラ(舞踏)、ウラニア(天文、占星)、タレイア(喜劇)、ポリュヒュムニア(音楽と幾何学)。

絵画では、詩人などが、霊感を得るときに、ミューズの力を借りている姿が描かれたりする。


Edmond Aman-Jean
『Hesiod Listening to the Inspiration of the Muse』



[106] オルフェウス - 2006/07/28(Fri)  

Orpheus

以後オルフェウスは、女というものをさけていた。トラキアの乙女たちは、オルフェウスをとりこにしようとしたが、彼は見向きもしなかった。

ディオニュソス(バッカス)の儀式の時に、女たちは興奮して、「あそこに私たちを馬鹿にする人がいる」と、狂乱した。オルフェウスは手足を裂かれ、頭と竪琴はヘブルス川へ投げ込まれた。

ミューズの女神たちは、切れ切れの身体を集めて、リベトラに葬った。竪琴はゼウスが星の中においた。幽霊となったオルフェウスは再び黄泉の国へ行って、エウリュディケに出会う。


ウォーターハウス  John William Waterhouse
『Nymphs finding the Head of Orpheus』



[105] オルフェウス - 2006/07/28(Fri)  

Orpheus

アポロンとカリオペの息子。父アポロンから竪琴をもらい、名手となる。人間だけでなく、動物をも魅了するほど美しい音を奏でた。

エウリュディケと結婚をする。ある日、エウリュディケが散歩をしていると、牧者アリスタイオスが、彼女の美しさに心を奪われ、彼女めがけて進んできた。逃げる途中、エウリュディケは蛇に噛まれて死んでしまう。

オルフェウスは、黄泉の国の支配者ハデスのもとへ行き、エウリュディケを連れて行きたい、と願い出た。ハデスは二人が地上へ帰りつくまで、彼女をふりむいてはならない、という条件で願いを聞き入れた。

二人は暗い小道を通って、とうとう地上へ着こうかというとき、オルフェウスは彼女がついて来ているかどうかと、つい振り返ってしまった。すると、たちまち彼女は黄泉の国へ吸い込まれるように消えてしまった。


コロー Corot, Jean-Baptiste-Camille
『Orpheus Leading Eurydice from the Underworld』1861



[104] パンドラ - 2006/07/28(Fri)  

Pandora

パンドラが箱を開けると、あらゆる人間の災いが飛び出した。痛風、リュウマチなどの病、貧困、嫉妬、怨恨、復讐などである。あわてて蓋を閉めると、「前兆」だけが中に閉じ込められたままであった。

もし、この「前兆」が外に飛び出していたら、人間はその生涯に起こる不幸をすべて、正確に知ることとなる。そうなると人間はどうなってしまうのか。

希望を抱くことができなくなり、生きていられなくなる。人間は災いから生き残っていくことは可能であるが、希望なしに生きることはできない。(この「前兆」は、文献によって、ときに「希望」となっている。)

パンドラは最初の人間の女性で、その名前の意味は「すべてを与えられた」である。その名の通り、神々から贈り物をもらって創られた女性なのである。(旧約聖書のイヴに相当)

アテナは知恵を、アプロディーテは美しい肉体を、アポロンは美しい歌声を与えた。そしてヘルメスは美しい彫刻を施した金の箱を与え、決して開けてはいけないと言った。そのあと、ヘルメスは彼女に「好奇心」を与えた。

実はこれは、プロメテウスが人間に火を与えたので、人間が神に近づこうとしているのを見たゼウスがたくらんだのである。人間の誇りを制圧する計画なのである。

パンドラは好奇心を与えられたので、金の箱の中を見たくなり、ついに開けてしまったのである。「前兆」までもが残らず、外に飛び出ていたら、人間は希望を失い、滅びていたことだろう。


ウォーターハウス
『Pandora』1896



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