◆古典劇
演劇の用語に“三・一致の法則”というシナリオを書く上のルールがある。
17世紀のフランスを中心として流行ったルールである。コルネイユ、ラシーヌ、モリエールなどが活躍した時代だ。『芝居というものは、時の一致、場所の一致、筋の一致を守らねばならない』という原則だ。
時の一致は、芝居が始まってから終わるまで24時間以内の出来事じゃなきゃだめ!
場所の一致は、芝居が始まってから終わるまで、場面は1つの場所じゃなきゃならない!
たとえば、第1幕は城内の一室、第2幕は戦場、第3幕は町の中みたいにセットを変えちゃいけないということ。
筋の一致は、芝居が始まってから大団円に向かって、他のエピソードなどは交えず進行しなきゃならない!筋とは関係の無いラブロマンスなどを織り交ぜることなどもっての外!
がんじがらめの制限の中で、素晴らしいシナリオを作ることが、腕の見せ所だった。
って、物知り顔で書いてるけど、私は舞台や演劇に詳しいわけでもなんでもない。
3月27日の日曜日は、夜10時から NHK教育テレビで、あの“オイディプス王”をやってたので思わず見てしまった。いわずとしれた日本演劇会の重鎮・蜷川幸雄演出、当代人気随一の狂言師・野村萬斎主演で送る、最高の話題作というやつだ!しかもアテネ公演版で絶賛されたといわれている。見たこと無かったので期待度は高い!!

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---なんだかつまんない---
そうなのだ、見ていて眠くなってしまうほどつまんないのだ!演劇ファン、蜷川ファン、野村萬斎ファンには誠に申し訳ないが、これが偽りの無い感想だ。
---なんでつまんないんだろう?---
疑問に思ったらなんでも調べないと気が済まない私は、演劇について調べてみたら“三・一致の法則”というものが存在する(した)という訳だ。
◆現代劇
現代劇は、偶に見に行く事がある。新橋演舞場の弁当はあまり美味しくないのだが・・・。
舞台装置の中の大掛かりなものといったら“回転する床”だろう。雨が降る歌舞伎もあるらしい・・・。とにかく、シーンは変化する。
それよりなにより、私は“映画(洋画)”に毒されている。
中学1年の頃、何故か友達の間で“モデルガン”が流行った。御徒町のモデルガンショップに通ったのもこの頃だ。マグナム44、ワルサーP38、ルガー。シビリアンやフロンティアと呼ばれていたモデルは、西部劇(マカロニウエスタン)に登場する。
映画を見るようになったのは、多分、これがキッカケだったような気がする。先ず悪友が西部劇にはまり、次第に映画全般に興味は広がる。クラークゲーブル、ヴィヴィアンリー主演の“風と共に去りぬ”の内容を私に“熱く”語ってくれた。
---洋画を知ってるなんて、オトナじゃん。かっこいい!---
先ずは“カッコイイ”ことが私の行動原理だが、面白くて嵌まった後は“カッコ”はどうでも良い。スターウォーズの一作目を、今は無き日劇で見た時は、オープニングから感動しまくりだった。
それから約30年、私はちっょぴりの舞台(現代劇)と数知れない映画を見てきた。だから、めまぐるしく変わるシーンは当たり前、回想シーンで時間をさかのぼるもの当たり前。ミッションの合間にヒロインとのラブシーンは“薬味”だ。
そうなのだ!
オイディプス王は古典中の古典劇なのだ。
だから、私にはつまらなくて当然なのだ!!
◆温故知新
話は映画に戻る。
スクリーン、ロードショーといった映画雑誌を読み漁り、ウンチクも傾けられるようになってはいたが、そういった雑誌に書かれている、古典といわれる映画で『当時、斬新な撮影手法・・・、画期的なシナリオの進め方・・・・』などと評価されている映画を見てもあまりピンとこなかった。
D・W・グリフィスの“イントレランス”がそのストーリーの展開(4つの話が平行して進んで、しかも時代過去から現代まで・・)、想像を絶する撮影方法において絶賛されたという事が、感情的に良く解らなかった。
大道具さんの技術や舞台装置、特殊撮影の技術が未熟な時代だから“画期的”って感じるのかなぁ、なんて漠然と理解していた。
---そうかぁ!---
やっと、解らなかった理由が解ってきた。
演劇の古典的なスタイルを知っていれば、それが常識となり固定観念となり・・・・、それとは全く違う世界を見せられれば、、、、
---おお!すばらしい---
ってなる訳だ。サルトルの実存主義を唱えた背景を知ることで、その本当の意味が解ったのと同様に、映画の世界も、もっともっと昔の古典劇の世界から知っていれば、なるほど、斬新な手法、こんな表現方法があったのかと評価した人の気持ちも理解できるってもんだ。
厄年になって、『もうそろそろ、目から鱗が落ちることもないだろう』って思っていたが、なんのなんの、まだまだ、世の中、知ってるつもりでも知らないことが多くて“目から鱗が落ちる”今日この頃である。