ウィキペディアには、《初めてメタファーの意義に言及したと言われているのはアリストテレスであり、彼は『詩学』のなかで、「もっとも偉大なのはメタファーの達人である。通常の言葉は既に知っていることしか伝えない。我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである」と述べている。》と書いてある。
メタファーは、すなわち、創造力だ。
この創造力って、脳科学でも全く未解決らしいんだけど、口の悪い人に言わせると『そんなもの、チンパンジーにタイプライターを与えておけば、いずれはシェイクスピアの戯曲ができるさ』なんだとさ。でも、実際には、意味のあるセンテンス一つ出来るのに、10億年はかかりそうだ。
それはいいとして、メタファーを「単なる言葉遊びだろう」「ランダムに組み合わせているうちに出来るよ」とか言っている人に、たとえば『物事をやりすぎる』又は『ばかばかしく過度な行為をする』というメタファーを考えてみよと言うと、まるっきり出来ないらしい。
ことわざや、過去に誰かが言い表した言葉以外で、あなたも考えてみて欲しい。
わたしなんぞ、ここ、何時間も考えているけど、まるっきり出てこない。。。
メタファーという言葉から連想される作家は?と聞かれれば、がほとんどの人が“村上春樹”と答えるだろう。なにしろ、作品自体がメタファーとか、わかったようなわかんないような評をされるくらいだからね。
で、『1Q84』だ。
売り方が巧いのか、『面白いよ』と聞き買いに走ったのかはわからないが、自宅近所の本屋では、まだ、買えない。
kmoto さんはすでに読み始めている。ブログでは、「・・・・夢中になり一日中本を手放さなかった。」とある。ここで、速攻ブラウザを閉じたのは言うまでもない。読もうと思っている本の書評(メタバレ)は読みたくないからね。ただ、本日付の読売新聞朝刊に・・・・おもわず、読んでしまったのだ。遅刻しそうになりながら・・・。
世界中で“村上春樹”が読まれている。
どうやら、その理由はメタファーにあるとみて良さそうである。
ちなみに、先ほど、「あなたも考えてみて」と言ったメタファー、16~17世紀に活躍したシェイクスピアは次のように表現している。
【純金に金箔をはり、ユリの花に絵の具を塗り、スミレに香水をふりかけ、氷をなめらかにし、虹にもう一つ別の色を加える・・・・は無駄で、ばからしい、余分な事でありましょう。】
一回、聞いてしまえば、「あっ、そうだよなぁ」な表現も、自分で生み出すとなると、とんでもなく難しい。難しい事をスラスラ?こなしてしまうシェイクスピアは、やっぱり、天才であり、天才のあやつる言葉は人種、文化を越えて心に触れる。全世界で翻訳されて上演されているワケだ。
アリストテレスは、メタファーの達人は“偉大な人”と言っている。アレキサンダー大王の時代で偉大と言えば、英雄であり賢者だ。その名は世界中に轟く。現在なら、差し詰め“天才”と呼ばれるのだろう。
そういう意味では“村上春樹”は天才であり、世界中で読まれるのは当然、、、なのかもしれない。
あっ、私は村上春樹の回し者じゃありませんよっ!
p.s.(村上春樹の回し者とは、“村上春樹 萌えぇ~”のメタフアーである・・・・・・ゴメン)