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2008年01月08日

何故、上巻で話は終わったのか?

20080108_misunderstanding.jpg過日、WebMaster's impressions に宮部みゆきの『RPG』ネタでエントリーしたのだが、上巻で話が終わってしまって、『なんだこりゃ?』って思って、本のカバーを外してタイトルを見直してみると、“上巻・下巻”なんて言葉は見当たらない?!って事件?があった。

『えっ!!どういうことだぁ??』って思ってたら、昨日、謎が解けた。

何の事はない、私は桐野夏生の『OUT』を読んでいる気になっていたのだ。本棚にある『OUT』の上巻・下巻を見て納得した。『OUT』の上巻を手に取ったつもりで、その隣にあった『RPG』を取ってしまい、良く確かめもせず皮製のカバーをかけてしまって読み始め、登場人物の性格描写に違和感を感じエントリーするにあたり、『タイトル何だったっけ?』って事で見開きで確認して、、、『RPG?ん、そうだったかな??』って、さして気にもしなかったので、『RPG』の上巻を読んでいる・・・なんて間抜けな事を書いてしまったのだった。

というわけで、今朝から『OUT』を読み始めている。

『RPG』はネタばれになると全く面白くないから、これから読む人の為に何も書かないで置くけど、解説を読んで、なるほどと思ったことを書いてみたい。

この『RPG』は清水何某(苗字も違うかも!こんな作家知らないから)って人が解説を書いてるんだけど、それを書くに当っての宮部みゆき氏とのやり取りの裏話が面白かった。宮部みゆき氏は『司馬遼太郎風に書いてね!』ってお願いしていたのだそうだ。

解説を読み始めて、『なんか、難しそうに大袈裟な表現で枝葉末葉まで丁寧に書く人だなぁ』って感じていたから、この種明かしに『なるほどぉ!!』とニヤリとしてしまったのだ。

清水何某って人は、いろんな作家の作風のパスティーシュが得意な人なんだそうだ。それで、宮部氏は『司馬遼太郎風に書いてね!』って事になったんだと。『なんか、歴史上の偉人になった気分になれるから』と。


私は、ただの一度も司馬遼太郎氏の作品を読んだ事が無い。中学生の頃、毎日新聞の連載で『翔ぶが如く』(だったかな?)をを眺めた事はあったけど、難しそうな文体と、全く興味の無かった歴史物ゆえ、チャンスはあったけど読むことは無かったのだ。

結局、歴史を取り上げた小説っていうのは“思想”が入り易く、私みたいに歴史の疎い者がうっかり読んでしまうと“洗脳”されてしまう事があるので、多数の作家が書いた歴史物を全て読む時間も根性も無い私は、多分、これからも司馬遼太郎氏の作品を読むことはないのだろうけど、この『RPG』の解説で“司馬遼太郎の作風”ってのが、誰しもがそんな風に感じてるんだぁって解って(解ったつもり)、妙に得した気分にもなったのだ。


さて、桐野夏生の『OUT』を今朝から読み出したところなのだが、一昨日、Amazon で読みたかった本を注文したので、小説の類は、またこれで一旦、中座である。

ニック・レーン: ミトコンドリアが進化を決めた

シャロン・モアレム: 迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか

スティーヴン・ジェイ・グールド: 神と科学は共存できるか?

他。

ベタベタな理系人間の私は、特定の(人の)解釈だけを受け入れる事が生理的に嫌いで、しかも浅い知識で口にするのも自己嫌悪に苛まれる。従って、読む本の傾向は、勢いこんなのばっかりになってしまう。

《ミトコンドリアが進化を決めた》なんぞは、妻に『なんで、そんなにつまらなそうなもの買うの?』、『ミトコンドリアなんて、どうだっていいじゃない?』などと罵られながら、クリックしたりして・・・・。

そりゃ、私だって司馬遼太郎氏の作品も読んでみたいけど、膨大な著書を読破する前に、ちょっとでもその歴史観を知れば何かしら口にしたくもなり、口にすると自己嫌悪するだろうなぁって、なんとなく感じるから読まないでいるって所もあるのだ。それに、作品が膨大ゆえ、今読みたい優先順位から読めないってのもあるし。

私の司馬遼太郎氏の作品のイメージってのは、日本人の歴史観の教科書だみたいなところがあって、数多くの人に支持されているって聞くにつけ、『私こそは正しい』みたいな事を言う者への違和感を感じてしまって、偏見があったんだけど、司馬遼太郎 - Wikipedia を見てみたら、【歴史観への批判】【実証性(ないし創作的行為の混入)への批判】などが書いてあり、盲目的に支持されてばっかりじゃないんだぁと、逆に親近感を覚え、偏見が取れてしまった。


今回、桐野夏生の『OUT』を読もうと思って、うっかり宮部みゆきの『RPG』を読んでしまったワケだか、司馬遼太郎氏に注意が向き、氏の歴史観に対する印象も変わってしまうなんて、なんか不思議な気分だ。

間違いで手に取らなかったら、宮部みゆきの『RPG』は読まなかったかもしれないんだから。

2008年02月19日

苦い思い出

20080220_jade_rationalism.jpg本を読んでいて、ふと、昔の事を思い出した。

高校では体育会系テニス部(硬式)に所属して程々に活動していた私は、当然、公式戦にも出場するわけだが、今となっては"一つの試合"を除いて、結果はもとより試合している情景などすっかり忘れてしまっている。唯一、覚えている試合というのが、勝つには勝ったが、真っ向勝負をせず、全て"逃げ"る事で、結果的に勝ってしまったという試合だ。

テニスをやった事のない人でも、『ボレー』という言葉は聞いたことがあるだろう。サッカーでも使う"ノーバウンド"で打つ方法の名称だが、テニスでは大抵はネット間際で打つことになる。スマッシュもそうだが、ネットに詰めて、相手コートにボールを叩きつける攻撃的な戦法は、試合を有利に進めるために有効な方法の一つだ。

しかし、ネットに詰める戦法は一打が決定打になる確率も高い代わりに、ポイントを失う弱点もあるわけで、その弱点を突くのが"パッシング・ショット"と呼ばれるものだ。マッケンローとボルグの試合では、マッケンローがネットに詰めると、ボルグが鮮やかにパスを決める・・・・ボレー対パッシングショットの応酬は見ごたえ十分、ボレー・ボレーになった時なんぞは、手足に力が入っちゃって・・。

でも、実は、弱点の突き方はもう一つある。その方法は"ロブ・ショット"と呼ばれのもので、ネットに詰めた敵の頭上越えのボールを打って出し抜く方法だ。見ていて、あまりカッコいいショットじゃないし、"ずるい"イメージが付きまとう為、多用されないショットなのだ。プロの試合じゃ観客もシラケルし。(現代ではロビングとは言ってもスピンをかけた攻撃的なものになるなど、ショット自体も進化しているから評価も変わっているのだろうけど)

で、私はその試合で何をやったのかというと、相手にネットに詰められた際、全て、ロブで"逃げる"ことをやったのだ。相手からは『なんだよ、チクショー。勝負しろよぉ』なんて言葉も浴びせられたのだが・・・・。何でこんな事をしたのか?自分の試合の結果は個人戦だけじゃなく団体戦にも反映され・・・・って理由からだったのかどうか?テニス部の誰からも言われたわけじゃないし、顧問の先生からの指示があったわけでもない。理由は全く覚えてないのだが、ほぼ全てはロブで逃げた事は覚えている。

当然、相手は、前後に走り回る事になり、自滅・・・・。私の勝ち・・・・。ちぃっとも嬉しくない。いや、ちょっとは嬉しかったかも・・・・。でも、なにか引っかかっていた。だから、今でも覚えている・・・というか、切っ掛けがあれば鮮明に思い出す。
 
 
 
日本が第二次大戦へ突入してしまったのは"軍部の暴走"と片付ける人達がいる。

やっても勝ち目が無い事は最初から解っていたし、結果は変わらないんだから、尊い命を大量に犠牲にした戦争に突入すべきではなかったという理由で、軍部の暴走と否定するのであれば、一理どころか、十分、筋は通っていると思う。
(だが、もし、中国への進出・侵略も韓国、台湾の併合もしないで、戦争にも突入しなかったら、別の今日がある・・・極東の島国なんて、どこの国もいじめに来ないし、資源も豊富だから幸せに暮らせた・・・なんて理由で"軍部の暴走"を否定する、おとぎ話好きな方には、S. Conway Morris 著『Life's Solution』を読むことをお薦めする。ちったぁ、ヒトの生き物として環境への対応の仕方、短期的にも長期的にも、ドメスティックであってもグローバルであっても、マクロでもミクロでも、能動的にも受動的にも・・がわかるでしょう)

そう、一理ならずある・・・っていうのは、なんとなく解るんだけど、感情的にはなかなか腑に落ちない。結局、結果が同じなら血を流さない方が良いとする考え方は、言い方を変えれば"敵前逃亡"ってことだから、『日本人はいざとなったら逃げる奴らだ』ってレッテルを貼られ、信用もされず(今も信用されてない?)、軽蔑される事になったのではないか?なんて考えたりするわけだ。


武士たるもの、闘わずして逃げ帰るなんてのは卑怯者のする事だ!


そう、プライドの問題なのだ!男はプライドの為に闘うのだ。軍部の暴走はプライドだったのだ。

私は、やっぱりあの試合は負けてもいいから"パッシング・ショット"で応戦すべきだった。それを『作戦だよ』と自分に言い聞かせ誤魔化そうとしてもやっぱりダメ。『自分は卑怯だった』と後味が悪い。
 
 
 
でも、そういう価値観って、多分、"雄"だけなんだよなぁって、思う自分もいる。

男は負ければ文字どおり座して死を待つだけで、後世に自分の DNA を残せない。女は侵略されて陵辱されて孕まされても、自分の DNA は確実に残せる。(陵辱されて孕まされるだけで終わるだけならいいけど、さらに殺されちゃう時代だったら女も男の戦いを応援するしかないんだけどね・・・)

だから男は『もしかしたら、生き残れるかもしれない・・・』って一縷の望みにすがって"敵前逃亡"するのは"女々しい"事だと考えちゃう。女々しいが女性蔑視の発言というなら、合理的って言っても良いが、このような状況におかれた時、性の違いでリアクション(脳の反応)が異なるのが面白い。


その昔、将来結ばれる事を互いに約束した仲の良い若い男女がいたそうだ。
ところがある日、女が山賊にさらわれてしまった。男は嘆き悲しみ、意を決して生涯をその女を探す事に捧げることを決めた。
十年の月日が流れ、ある時、偶然に川で洗濯をする、かつての愛しい女を見つけた。
二人は、抱き合って喜んだが、女の顔が冴えない。訳をただすと、今、山賊と夫婦の関係にあるという。子も授かった。ささやかだけど、今の幸せを壊したくない。。。

男は諦めるしかなかった。

ってな内容の話を、どこかで読んだ気がする。聖書だったか、神話だったか、千夜一夜物語だったか、古事記のエピソードだったか、定かではないけれど、『女って、こういう生き物だよなぁ』って、妙に納得したので覚えている。


合理的に生きるのは、たしかに"知恵"のある行動だけど、本能が叫んじゃうんだよなぁ・・・・男の場合。。。。
 
 
 
って思ってたら、実は、雄は、目に見えないミクロな世界では"敵前逃亡"なんて日常茶飯事に行っているらしいのだ。

ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!

ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!
ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!

精子にミトコンドリアが少なく、生体のミトコンドリアが、ほぼ、卵子由来なのは、雄の配偶子が雌の配偶子と"軍拡争い"に敗れるのを避ける為、最初から持たないように進化したのだとの説があるそうだ。

争わずに巧く共存共栄出来るなら、何も争う事は無い・・・・・って、非常に合理的で合目的だ。


---精子にはプライドもへったくれもなかったんだぁ---


精子には雄になるY染色体を持っているやつと雌になるX染色体を持っているやつがいるが、これを雄雌の戦いって言ってる訳じゃなくって、精子を雄の延長線、卵子を雌の延長線とみなし、自分の側の遺伝子を多く残そうとする争いでのことを言っている。


なるほど、だから、雄は脳みそが発達すると、昔、かなぐり捨てたプライドにこだわるのかぁ!?

ところで、その男のプライドをかけたもう一つのシンボルであるY染色体。雌雄を別ける絶対的な存在かと思いきや、消滅の憂いもあるのだとか・・・・・。伝統にこだわるのはいいけど、その根拠としてY染色体を引っ張り出すのは、墓穴を掘ることになる・・・のかもよ?!

やっぱり、世の中、つまんないプライドは捨てた方がよろしいようで・・・(薬剤師は"技術料"なんてかっこつけないで"手間賃"と言いましょう)。

(。_゜)☆\(ーー;)バキッ


ところで、冒頭の本は『ミトコンドリアが進化を決めた』です。

ミトコンドリアでテニスを思い出すなんて変かもしれませんが、私の脳みその配線はこんな感じです。で、アレはいい本です。まだ、読み終わってないのは、ちょこちょことこんな事ばっかり考えちゃってるからでもあります。ってゆーか、最近のエントリーはこの本が切っ掛けになっていることが多いです。

というわけで、『ミトコンドリアが進化を決めた』の書評ってことで!!

2008年03月17日

神と科学は共存できるか?

20080317_religion_science.jpgマウスのフン集めを楽しいと思う人はごく一部だろう。だけど、マウスのフンはエラかったのだ。腸に潜む細菌について大切なことを教えてくれたから。MHC だけが違うマウスの腸内細菌にバリエーションがあることが、それが理由だと気づかせてくれたのだから。

私達人間の消化器の中でどの細菌が増殖するかは、少なくとも部分的には、私たちが免疫系にどんな遺伝子を持っているかによって決まっている。(赤ちゃんの頃、母親が口移しで与えてくれた食べ物とか、その家に伝わる糠みそとか・・・・、色々あるんだけど)

そして、どの細菌が増殖するかは、どんな腸の病気になりやすいかにも関係しているワケで、、、、いや、腸の病気だけじゃなくって、全身のも・・・・。


なんて、話の持って行き方をすれば、何人かの人は『マウスのフンは偉かった』って思ってくれるかもしれない。この話は、『マウスのフンは偉かった』を除いては、全て科学的である。だから騙される人も出てくるわけだが、決して『だから、、、』で『マウスのフンは偉かった』を結びつける事は出来ない・・・・・。
 
 
 
私は自分の無知により、神を信じている人は進化論を信じていないのかと思っていた。

しかし、スティーヴン・ジェイ・グールド著『神と科学は共存できるか?』を読んで、実際は違い、そんな人はアメリカ人のごく一部だと知った。

進化論を理科の授業で教えない事を立法化しているのもアメリカだけだった。

これらの法律は、ことごとく違憲判決が出され無効化されているそうだが、そうなった現在、彼ら(一部の宗教家)は別の戦略に出ている。インテリジェント・デザイン説を盾に、学校で神の存在を肯定させようとしているのだ。この言葉を聞いたことのある人も多いだろう。

このインテリジェント・デザイン説ってのは、博士の肩書きを持つ科学者達の中にも支持者がいる。『進化論が科学なのは理解した。だから、それを教えるなとは言わない。だが、インテリジェント・デザイン説もリッパな科学である。だから、この考えも平等に教えるべきである』というのが、彼らのロジックだ。


だが、インテリジェント・デザイン説は、エセ科学である。『マウスのフンは偉かった』と同じである。


その証拠に、インテリジェント・デザイン説を唱えている科学者達は、その説を発表する場は、学会ではなく"マスコミ"であり、科学と名の付く学会ではその説を相手にすらしていないのである。科学はこれが最後の説明だとか、これで全てを説明できるとして、発表されたりしない。別の人がこれを検証し、ブラッシュアップし、訂正し、(が出来る場が学会であり、論文雑誌だ)、、、を繰り返し、揺ぎ無いものになったものが、科学である。

しかし、一般大衆は、学会に発表されているとか、論文雑誌に投稿されているとかなんてことは知る由も無い。

テレビや雑誌、小説の類で知る機会の多い考え方の方が、世の中を席巻するのは、現職の大統領であるジョージ・ブッシュが、地方遊説先で『インテリジェント・デザイン説を学校で教えることは吝かではない』なんて発言して、側近達を慌てさせたことでも良くわかる。ってゆーか、ジョージ・ブッシュはやっぱり"おばか"。
 
 
 
クリスチャンなのに進化論を信じているのは日本人だけじゃないんだぁって事と、私の敬愛するリチャード・ドーキンスが完膚なきまで宗教がきらいなのも、宗教全てがきらいなんじゃなくて一神教、原理主義者が嫌いなんだって知ることが出来た。

『神は妄想である―宗教との決別』なんて挑戦的なタイトルが私を惹きつけるワケで、読みたい本のリストに入れてあるのだが、このグールドの本で、なんとなく、この周辺が見えてきたので『もう、読まなくってもいいかなぁ』なんて思い始めている。なんたって、感情的に理解できないところから出発するわけだから、電車の中で読んでても直ぐ眠くなってしまって、、、、引き込まれるページもあるにはあるのだが、難解なのだ。


っていうか、宗教を科学で理解しようとすること自体がナンセンスで、グールド曰く『科学と宗教は、重なりあわず独立して存在しているが、そのうえで互いに尊重すべき知的体系という関係にある』というのは、熟考するまでもなく、当たり前の事として捉えていた私には、ここまで深く考えることに、はっきり言って"?"なのである。

そして、グールドは『科学と宗教を「対立構造」で見立てるのが間違いであり、愚かしい』と主張し、その立場を彼は、あえてカソリックの言葉を使用し、「非重複教導権(マジステリウム)の原理」と名づけ、この本のテーマにしているのだが、はっきり言って、私には『豚に真珠』であり、"???"であった。


しかし、これも、いつか読むであろう本で、ポンと膝を打ち『あぁ~、これだよ!この感情だよ』とか『ははぁ~ん、こういうリアクションはアレだな』みたいに感じる為の糧になると思えば、まぁ、損をしたってことにはならないのだろう。

2009年03月03日

siRNA から見た生命の混沌と司馬遼太郎

20090303_miRNA.gif哺乳類の siRNA が何から生成されるかといえば、全てがわかっているわけじゃないけど、トランスポゾンだったり、レトロポゾンだったりするわけだ。

理研の林崎らにより、DNA は全体の70%にも及ぶ領域が転写されていたことが解明された事は前にも書いたけど、この中にも、当然、レトロポゾンも含まれている。


一体何のために?・・・・・なんて考えてはいけない!


生命は、とにかく、行き当たりばったり、とりあえず転写しておく、、、、、そして、その転写物の中の一部は、折れ曲がって二本鎖を形成し、あるものは、相補的な相手と二本鎖を形成する。

こんな二本鎖を、(全く役に立たないから、)Dicer が適当なサイズにブツ切りにすると、これが今で言う siRNA として機能し、これらの(役に立たない)二本鎖を排除する。

こんな仕組みでの排除を免れた転写物は、あるものは分子内で小さなループ構造を形成し、それらが Drosha/DGCR8 や Dicer によって miRNA とされ、他の(役に立たない)転写物の排除機能や蛋白質への翻訳制御を担うことになる。

またまた、そんな仕組みでの排除を免れた転写物は、あるものは単に分解されちゃって、あるものは蛋白質の設計図となり、あるものは、アミノ酸の運搬係りとなり、あるものは、タンパク質性製造工場となり、、、、

って、逆から見ると、括弧でくくった→『(役に立たない)』って転写物は、結果論で「役立たず」ということが言えるだけで、最初から、「役立たず」だった訳じゃない。
なぜかと言うと、今、地球上にいる生物は、残り物で、うまく“生きている”を表現できただけだから・・・・だ。それに、見方を変えれば、外来ウイルスに対する防御機構とも見えるし、実際、Dicer がぶった切る作用が防御機構として機能してるし・・・・こんなものが転写されなきゃ、Dicer なんて自然消滅しちゃったかも知れないし。


miRNA、siRNA の産生に必要な Dicer を卵子特異的にノックアウトすると、卵子形成そのものが停止してしまう。で、このノックアウト卵子では卵母細胞のすてべての転写物の10%を占めるレトロポゾンが3倍以上にも上昇している。

このことは、miRNA、siRNA がレトロポゾンの抑制に必要なことは示しているのだが、じゃ、元々、何のためにレトロポゾン領域が転写されるの???ってことの疑問には答えられない。

ってゆーか、「何のためにレトロポゾン領域が転写されるの?」って疑問を持つ事自体がナンセンスなのだ!!!

って考えれば「なんで?」なんて“意義”を探さなくても良くなる。
 
 
 
世の中の仕組みも、まさに、DNA 転写物が織り成すこんな仕組みに似ているって感じる。

特定の人の視点を軸にして眺めれば、なるほど、歴史(現在進行形も含めて)はストーリーになるけれど、それを眺める人が“無益”と評価してしまった登場人物は、登場の余地すらない。また、その“影響”を加味して、“アンサンブル”っていうか“ハーモニー”っていうか、全体の流れ(結果)の原因の一つとして“ストーリー”を作ることも出来ない。

トランスポゾンもレトロトランスポゾンもスモールRNAも知られていなかった時代では、それらの“役者”は、歴史上で“無益”と評価してしまった人の“影響”と同様に、物語の中に登場させてもらえなかった。それで生命科学の辻褄を合わせていた(合っていたと思うしかなかった)。重要性は計り知れないというのにである。


現代は、時間の流れが速まってきているって感じる。

インフラっていうか、人を取り巻く環境の変化について行けない世代が、まだ、世の中に生きているっていう現実が、それを、いっそう、切実にさせるのだ。

コンビニのオーナーが廃業する理由が、ATM や その他のIT機器のトラブルに対処出来ないからだという。医療業界では、レセプトオンライン請求についていけず、廃業を考えている診療所が8%もあるのだとか。。。。

ジェネレーションギャップなんて言葉は、すでに、古くなって、10年間隔でギャップが存在しているかのようだ。

本来なら、効果の判定まで“じっくりと待つ”必要がある“改革”まで、じっくりと待てずに、すぐさま“結果”を欲しがり、その“結果”が出る前であっても“間違った事”として“こき下ろす”ということが、当たり前の時代になってしまったって感じる。

しかも、そもそも、期待する結果は、ひとつの原因=改革に拠って達成出来るわけではないのに、、、である。(あたかも、、、癌という病気は一つの遺伝子が悪くなって起こるのだから、その悪くなった遺伝子を直せば、癌は治る・・・なんて幼稚な認識しかないが如くである。)


『坂の上の雲』は、今、通勤電車で読んでいる小説だ。なんどもエントリーのネタにさせてもらっているが、作者の価値観がかなり偏好しているって感じるのは、やっぱり、私の中に、上述のような“理系思考”があるからだって思う。

歴史を専門とする人にとっての“批評”は“結果論”以外はなく、また、因果というのは全て明らかに出来るっていう“幻想”を前提にしないと、自分達の居場所がなくなるという宿命を背負っているからなのだろう。

だから、結果に対して、都合の良い“原因”を選択して『ほらねっ!』ってやるんだけど、『じゃ、あんたの知らないトランスポゾン、レトロトランスポゾン、スモールRNAは、あんたの説明の何処に入れるんだよ!』って、妙な“つっこみ”を入れてしまう。実際、そんなことをしながら楽しんでいるわけだ。(経済をやっている人には“合成の誤謬 (fallacy of composition)”方面から突っ込んでいただけるかも)


ただ、やっぱり、私も、世間の毒気に当てられているせいか、早く結末が知りたい(ってゆーか、日露戦争の結果は周知のごとくなんだけど、小説の最後を知りたい)って感じている。文庫本で全8巻というのは、ボリュームがありすぎで、そのため、中だるみなのである。字面だけを追ってしまっている。(勿体無い!!)

ほとんど朝の電車でしか読まないので、読み始めてからまるまる2ヶ月も経つのに、やっと第5巻にたどり着いたところなのだ。1~3巻に登場していた正岡子規なんて、違う小説の登場人物だったっけ?になってしまっているし。。。。


あっ、このエントリーは“本”だから、『坂の上の雲』の面白さを伝えるわけだけど、私みたいな“理系”に偏った人間が読んでも、かなり、面白いといえる。

理系だからかもしれない・・・。

何処に面白さを感じるかは、人それぞれだと思うけど、私は、作者の文章の“説明好き”な所が、妙に“理系”っぽくって好きなのだ。見当違いの説明に違和感を感じたり、突っ込みを入れたりしてるんだけど、何の説明もない本だったりしたら、突っ込みすら入れられないんだからね。それに、半分は『なるほどぉ~』って事になってるし。


ついでながら、感じたまま書きっぱなしで一切説明のない“エッセイ”の類は、こういう理由でほとんど読まないのである。

つけっ放しのテレビを眺めている時間のように、無駄に時間をだらだらと費やしたくなったときは、エッセイを読むことはあるけれど。


というわけで、このエントリーで、一部の人には『なるほど、司馬遼太郎はおもしろそうだ』って感じていただけたものと思う。今まで、読んだ事のなかった人にもお勧めです。でもって右の Amazon アフィリエイトをポチっと・・・・・・・・

   (。_゜)☆\(ーー;)バキッ

2009年04月04日

まず石を投げよ

20090404_stone.jpgネタバレ注意!   思い切りネタバレです。

ブログで書評を書くのは、もしかしたら初めてかもしれない。話の切り口に使うことはあっても。ネタバレを書いた記憶がないから。。。で、、、

久坂部 羊氏のこれまでの小説(『破裂』『廃用身』『無痛』)は、かなり鋭い切り口と、一気に読ませるストーリーがあり、面白く読んでた。そして、毎回、新作を期待してた。だけど、、、


ここでは小説の主題となる部分を書いてしまうので、これから、この小説を読もうと思っている人は以下を読まないほうが良い。

で、結論から言うと、専門的な内容を含んだ小説は、極めて“キワモノ”になりやすい性質を帯びている。私にとっては、Science 誌(September 26 2008, Vol.321)に掲載された論文を読んでしまってからこの小説を読んだので、かなり面白さが半減してしまったといえる。

以前にも【『心底惚れた女が、実は男だった』って感じ?】でネタにした論文なのだが、再掲したい。

ガンの転移を再考する(Rethinking Cancer Metastasis)

Science September 26 2008, Vol.321

ほとんどの人のガンによる死亡は、原発性のガン細胞が体の新しい部位に伝播して拡散する転移によって起きる。

途中の血流中を生き延び、新規の組織の環境に定着することを含め、転移性細胞は複雑な一連の段階をうまく切り抜けなければならないので、転移はガンの進行における遅い段階で起きるとこれまで考えられていた。

Podsypanina たち(p. 1841,8月28日オンライン出版、および、Kleinによる展望記事参照)によると、転移プロセスの開始は以前考えられていたよりもっと前かららしい。

正常なマウスの乳房細胞を遺伝子操作して、ガン遺伝子発現のタイミングを実験的に制御し、これをマウスの血流中に注入した。

驚いたことにガン遺伝子の発現がないときは、正常な乳房細胞は肺まで移動し最大16週間生存するが、ガン遺伝子が活性化するまでは攻撃的成長を開始しなかった。

このように腫瘍転移は、播種性の正常な (前悪性)細胞から発生し、遺伝的な変化が悪性になるまで臨床的には黙ってじっと待っている。

Seeding and Propagation of Untransformed Mouse Mammary Cells in the Lung
p. 1841-1844.
CANCER: The Metastasis Cascade
p. 1785-1787.


・医者はミスを隠蔽したがる。
・それを暴いて、世間に公表する。それがマスコミの使命

って事で、物語は展開していく・・・・

医師がミスを起こした時、その心理状態は?どういう行動をとる?と、医師に対して“ドッキリカメラ”のような巧妙な“仕掛け”を施し、その状況を隠し撮りするのだ。

舞台は健康診断だけを行うクリニック。検診を行う医師は、全てバイト。そのバイトの医師に、クリニックの看護師長から『半年前、胃の癌検診を受けた患者さんに、肝臓転移が判明した。家族から当時のレントゲン写真を貸して欲しいと頼まれたが、どうしましょうか?』と連絡が入る。

看護師長はマスコミに協力をしており、医師を“はめる”役割を担っている。

連絡を受けたバイト医師がクリニックにやってくる。ニセのカルテと共に、慣れた医師なら判読できる程度の癌が写ったニセのレントゲン写真をバイト医師に見せ、『当時の写真に癌は写っているんですか?もし、写っているとしたら、、、、見落とし、誤診ということになるのでしょうか?』と、白々しく語りかける。

作者は現役の医師なので、この辺の描写に破綻はない。10人が生贄になった。ただ、、、、、、

一人の医師が(この医師は、レントゲン写真の読影が苦手)、『癌なんて写ってないな』『まっ、写っていても、いなくても、すでに転移している場合もあるし・・・・』などと言い訳がましい言葉を並べて、写真の貸し出しを渋る場面がある。(こんなヤブ医者が検診やってるのか!と隠し撮りの別室で歓声が上がる)

作者は、世間一般の癌検診に対するコンセンサス、すなわち、『早期に発見できれば、癌は転移していない』『検診後、半年で他の臓器への転移が見つかったならば、検診時点で、早期癌を見落としたことになる』という認識を意識して筆を進めているのかもしれないが、この Science 誌 の論文にあるように『転移は細胞が癌化する前から起こっている』という事実の前では、読影が苦手な医師の“いいわけ”は、不自然な行為の描写であることが否定されるばかりでなく、最先端の知識を鑑みての見識となりうる事になり、この“仕掛け”の設定自体が、意味をなさなくなってしまう。

作品中で、番組製作プロデューサーの友達である看護師長に、『検診に意味はないのよ。検診を受けても受けなくても、死亡率に変わりはないんだから』と語らせているが、その『検診に意味はない』という自虐的ともとれる言葉も、この論文の後では、やりきれなさから発する言葉であろう意味合いがなくなってしまい、雰囲気を醸せなくなってしまう。

『癌検診に意味はない』
『検診を受けても受けなくても、助かる人は助かり死ぬ人は死ぬ。早期発見の意義は無いんだよ』
  ・
  ・
『うん、そうだけど、何か?』

って感じ。


この後、小説は、嵌められた医師の自殺へと展開する。

番組制作側は、この医師の自殺が自分達の責任ではないとしたい為に、互いにかばう言葉をかけあい、自分達に都合の良い事実だけを拾い上げ、逃避する行動をとりはじめる。

読み進めていけば、読者が、小説の中でマスコミが糾弾しようとしている医師の隠蔽体質が、そのままマスコミ自身に当てはまるのだと気づく仕掛けになっている。

結局、突き詰めると過誤を隠蔽したくなる心情は、『自分は可愛い』という人間の本能にかかわる部分に根ざす行動なので、誰にでもあり得る事だと気づかされる。。。。。


・・・・のだが、『転移は細胞が癌化する前から起こっている』のだから、検診の意義にネガテイブな結果の出る臨床研究があるのは当然で、検診の診断には意味は無い、、、、なら、転移して癌末期に陥った責任は、医師にはあり得ない事になる。

だから、責任を感じての自殺は、リアリティがなくなるのだ。


小説では、この医師の自殺は“癌検診の誤診”が原因ではない。


作者が書いている途中で、この Science 誌 の論文を読んだかどうか、あるいは、この基礎的な研究を途中で知ったのかどうかはわからないけど、もし、途中で知ったとしたら、この重たいテーマに対して、単なる辻褄あわせの結果のようなエンディングになってしまったのは、仕方ないのかもしれない。はっきりいって、あの展開は“肩透かし”以外の何物でもない。

久坂部 羊氏の小説は、『破裂』(★★★★)『廃用身』(★★★)『無痛』(★★★) と最後まで読ませるので、ポイントは高いのだが、『まず石を投げよ』はエンディングが釈然としないのだ。

医師の自殺は、マスコミの“策略”に嵌められたことを原因とし、隠蔽体質は、なにも医師だけの専売特許ではなく、国民の一人一人が持ち合わせている本能なのだという所に持ち込んで、物議を醸して欲しかった。

ただ、そのシナリオを推し進めるには、理論的な基盤を『早期に発見できれば、癌は転移していない』『検診後、半年で他の臓器への転移が見つかったならば、検診時点で、早期癌を見落としたことになる』とすると、全てが根底から覆されちゃう・・・・可能性がある。。。。


テーマは素晴らしいのだが、消化しきれていない・・・そんな印象を持った小説である。(肩透かしなエンディングは、ブロガーのエチケットととして書かないでおくことにする・・・・・ので、感謝するように!!ワハハハハ)

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