つい、最近知ったのだが、先の総選挙後の自民党圧勝を受けて Nature Vol.437(595-596)/29 September 2005 に内政に関する論説が掲載されていた。世界に冠たる自然科学雑誌 Nature に何故?日本の政治のことが・・・・・。
というわけで、先ずは引用をご覧あれ。
■せっかくのチャンスをふいにするのか?全く、同感である。【日本の首相にとって、国内の疲弊した科学技術制度を改革する貴重なチャンスが訪れた。】
9月に行われた日本の総選挙で与党の自由民主党が圧勝したため、外観上は、小泉純一郎首相に対し、国内の諸制度を改革する明確な権限が与えられたようにみえる。そのため、今日の業績が将来の日本の技術的、経済的競争力につながる大学や科学技術関係機関が改革対象リストのトップ近くにあると期待するのは、ある程度当然のことと思われる。しかし残念なことに、このめったにないチャンスをつかもうとする兆しがほとんどみられないのである。
日本の科学技術インフラの基礎が敷かれたのは、第二次世界大戦から20年後のことで、その当時の日本は、急速な工業化に著しい成功を収めていた。質は高いが、きわめて保守的な大学制度、国内向けの政策と優先課題を積極的に打ちだしていったパワフルな官僚組織、そして卓越した技術の代名詞となった数社の大企業によって独占された強力な工業研究部門が、工業化の3大要素であった。
このように並はずれた要素の組み合わさった日本の科学技術制度は、他の多くの国々がうらやむほどのものだったが、21世紀は、これでは十分とはいえない。スケールと広がりの点でどんなに優れていても、日本の科学研究を次のレベルに引き上げること、あるいは将来の経済成長の起爆剤となる、たとえばバイオテクノロジーやコンピュータソフトといった分野の拡大展開を促進するうえで必要とされる柔軟性に欠けている。経済以外の面でも世界をリードすることを志す現代の日本にふさわしい環境や公衆衛生といった研究分野を支援するようにできていないのだ。さらに、現在の科学技術制度で、日本政府は、鳥インフルエンザ、地球温暖化から大規模研究施設の建設といった諸課題についてアジアでおおいに必要とされている地域的なリーダーシップを発揮するために必要な科学的ノウハウが得られないことも実証されている。
ところが、上述した論点は、いずれも選挙戦での争点とはならなかった。これは別に意外なことではない。日本の政治では、欧米の政治における「論点」を中心に動くことはまれなのである。ただし、今回の総選挙は例外的で、世界最大の金融機関である郵便局の改革に関する小泉政権のプランが争点となったのであった。政治家は、通常、自らの選挙区のために予算を獲得することだけに力を注ぐ。一方、キャリア官僚は、2年ごとに担当部署が変わる制度のもとにあり、成果を挙げることよりもミスを出さないことに気を配る者すらいるのだ。
科学研究は、主に地方での予算支出の一形態として、政治家にも官僚にも人気が高く、おおいに支持されてきた。しかし、統治(ガバナンス)には、あまり気を配ってこなかった。日本の科学研究が、期待したほどの成果を生んでいない理由の1つは、これである。
日本では、重要な科学的課題に関する政策が密室で決まってしまうことが、あまりにも多い。その後、公聴会が行われ、決定が下されるのである。その内容が明確なことはまれで、実施についてはだれも責任を負わないようになっている。たとえばヒト胚性幹細胞研究の場合、研究者はこの研究を行う権利があるといわれていたが、煩雑な手続にじゃまされて、実際の研究はほとんど行われていない。
本物の改革断行内閣であれば、何ができるだろうか。まずは、科学研究の原点である大学からはじめて、終身職も下位職も若手、女性、外国人研究者に開放することを優先課題とすることだろう。また研究年数に報いるのではなく、創造力を奨励する評価システムも導入できるだろう。昨年、長年の懸案だった大学改革の一部が実施に移されたが、上述したような課題にはたいした影響は与えないだろう。
日本政府は、米国の研究公正局に似た部署を新設して、研究者の行動を取り締まるべきである。そして、政府の諮問機関である日本学術会議と科学研究予算に影響力のある総合科学技術会議の強化を図り、国の大きさと経済力に見合った科学技術政策を立てられるようにすべきである。そして、一般の官僚が占めているポストの一部を研究者、あるいは元研究者に譲り、苦闘するポスドク学生のためのキャリアパスを開くべきである。現在のところ、文部科学省、特許庁や主要な科学研究費補助金給付機関では、専門知識を備えたスタッフの数が不足している。
そうすれば、日本は、鳥インフルエンザや地球温暖化のような論点に関して、アジア太平洋地区で欠けているリーダー的役割を果たせるようになるだろう。そして共同研究を使って中国、韓国など近隣諸国との関係を改善できるかもしれない。
小泉首相が、これらの政策を実施に移す気配は、ほとんどない。しかし小泉政権が、科学研究に対して中途半端な取り組みを続けるかぎり、日本は科学的業績とアジアでの政策的リーダーシップの両面で、その能力以下の貢献しかできないだろう。
っていうか、私自身も以前からこの事は問題視していた。(以前のエントリーを探してみたけど、【日本のとった呆れかえる狂牛病対策】しか見つかんない・・・)
とにかく、政治的にも、行政的にも、最終判断をすべき位置に専門家が居ないのが日本の特徴であることは以前から知っていた。トップが車を知らない車製造会社だったり、銀行出身の電気屋だったり、営業からトップが輩出される医薬品メーカーだったりと・・・・、もう、民間でも、戦後の良い時代からなんでもアリだった。
ところで、私は、学者は政治のことやお金のことを考えるのは卑しい事だという風潮は、日本の天皇家が将軍を立てながら、命を存えたことに通ずるんじゃないかと、密かに思ってたりする訳だ。
正しいとすれば、それは儒教的な考え方であるから、キリスト教の考えが支配する欧米先進国では当たり前ののようされている《大学教授は企業の社長》のようにはいかないのも無理はない。
政治をも取り仕切っていた天皇家と公家は、儒教的な考えから、争い事を好まない(不浄だから)→手を汚す事をしたがらない→実務は別人にやらせる→その別人は農民→その農民の中から源氏や平家が出現→武家社会に移行。そして、武家社会の当人達も、自負分達を“汚い部分を一手に引き受ける身分である”と謙った意識が有った為、天皇家の寝首をかかなかった訳であり、天皇家と公家の方は不浄なものから身を引けたことを素直に喜び、呑気に、歌を詠ったり、毬を蹴ったりと文化的な側面だけを担うことで満足していた・・・という構図が見えてくる。。(《無垢なものが純粋に美しい》だったり《naive に positive な意味を感じる国民性》は以前にも指摘している)
そういう民族的な意識が DNA に刷り込まれているからなのか、、、学問を志す人は、お金に頓着しちゃいけないみたいな“雰囲気”を作ってしまったのだろう。その深層心理には“学問を志す人”は高貴であるという自尊心、或は、長屋の熊さん八つぁんとは違うんだという“選民”意識があったのかもしれない。
どっちににしても、21世紀の社会の中で、日本が科学立国として存在するには、この意識改革が必要だ。科学者は汚い?と自ら考える仕事=経営にも積極的に参加しなきゃならないし、自らの環境を整える為には、政治や行政の世界にも進出しなきゃならないのは、自明の理だ。
私が、政治に興味を持ったのも、現場でチマチマ仕事してても医療はちっとも良くならないと悟ったからである。
そして、それは医療だけじゃなくって、全ての場面でも言えることだったと悟ったのだ。
調剤報酬算定に関して、日本薬剤師会の関与に突っ込みを入れるエントリーに、、、、
つづく・・・・。(のか?)
でも、何の影響力も持っていない日本薬剤師会みたいな存在感の薄い団体を虐めるもの、なんだか白けちゃうよなぁ!まぁ、知らない人には内情暴露ってことで・・・でも、つまんないなぁ・・・。