確か『ブッシュの戦争』で読んだ記憶があるのだが、米国国防長官ドナルド・ラムズフェルドは『解き明かされた既知のもの』、『解き明かされていないが既知のもの』、『解き明かされていない未知のもの』、という区別をつける考え方を披露している。
『ほっほぉー!』と感心した覚えがある。
普通の人間は『解き明かされていない未知のもの』について考えることはしないが、『解き明かされた既知のもの』、『解き明かされていないが既知のもの』については、無意識のうちにも考えを巡らせている。
昨日の新聞では“インチキマンション被害者への公的資金投入に反対する、当局への投書やネットでの意見”が増えている事を取り上げていた。
公的資金投入の是非に付いては、私自身、何度も書いているので改めて主張しないが、どうして、この様に反対する人が“いる”のか考えてみた。。。。そして、これが今回のエントリーのタイトルに繋がっている。
考えた結果は単純で、今回の公的資金投入に関しては、この根拠が非常に曖昧であるという点に尽きるのではないかと言うことだ。すなわち、心情的には『解き明かされていないが既知のもの』に当たる。根拠が明快ならば『解き明かされた既知のもの』ということだ。
最近の研究では、普通の人間の脳は、結果が同じだとしても、その確率が曖昧であるより既知の確率の成果が含まれる結果を好み、また脳イメージング結果でも、曖昧さがあると、より活性の高まる扁桃体と眼窩前頭皮質(OFC)が脳の第3の領域である線条体を変調していることが示されるそうだ。面白いことに、OFCに病変のある患者は曖昧さへの嫌悪を示すことは無いらしい。
(ということは、公的資金投入に賛成する人は、OFCに病変のある人ということになるし、曖昧が好きな日本人は、民族的に OFC に機能的な欠陥がある事になる??おっとっと、これは、脱線だぁ!!)
建築基準法などという、ある時点(時代的に)での曖昧な根拠による耐震強度に合わないマンションを所有してしまった人だけが“救われる”という不公平感が、そのモチベーションなのだろう。過去に建築されて耐震強度を満たさない家屋(その当時はOKだった)の住人は“無視”された恰好だからね。公的資金投入に関して、曖昧さの無い理論的な根拠が示されれば、反対する人はいなくなるのだろうが、今回のケースでは、理論的な根拠が示される事は有り無い。
何故なら、過去の建築基準法と現在の法ではその耐震強度に対する基準が違うので、これは“機会の平等”が与えられていないのと同じことだと考えられるからだ。
“機会の平等”が与えらていないんだから、逆に過去の基準で建築した人が“救済”されるということであれば、理論的なロジックを構成することは可能だろうが、現在の基準法に見合ったマンションを購入する機会が与えられていたにもかかわらず、それを購入しなかった人を“救済”するということに、理論的な根拠を見出すのは不可能だ。
閑話休題
ブッシュ大統領が『イラクに大量破壊兵器がなかった』として、戦争突入したことが間違いだと認めた・・・なんて news に乗じて、小泉首相を批判している“コメンテーター”が多い。(っていうか、100%みたいだけど)
昨日の午前中、関口浩の番組でも、地下鉄サリン事件で名を馳せた女性評論家が鬼の首を取ったかのように『イラク・フセインは悪くなく、悪いのはブッシュだ』としていた。その理由が振るっている。“無実の罪を自分で晴らさなきゃならない法はない”と。
そして、大量破壊兵器があるとの前提で、イラク攻撃に荷担した小泉は“悪”だと。
なんだか、子供みたいな理論の展開に、失笑したのは言うまでもない。でも、良く考えてみると、ここでも『解き明かされた既知のもの』、『解き明かされていないが既知のもの』が、自分の感情のモチベーションになっていることに気づく。
そもそも、大量破壊兵器の存在の嫌疑に対して国連の査察受け入れ拒否をしていた事が、大量破壊兵器が《ある》からだと誤解された訳だが、実在していなかったからこんな理論が成り立つ訳だ。
フセインにしてみれば実際に持っていようとなかろうと、“曖昧にすることで脅しに使える”と考えていたのだろうから、最初から無実の罪を証明する気など無い訳で、それに免罪符を与えるような“無実の罪を自分で晴らさなきゃならない法はない”などとするロジック自体が、すでに破綻していると思うし、私には、その曖昧さの上(事実に意味は無い)に構築されたロジック故に違和感を感じのだと思う。
仮にも“テロ”を赦さないというスタンスの人なのに、大衆迎合の為に“小泉叩き”をするのだろうけど、ポリシーの芯が感じられず、痛々しい。
(尤も、ブッシュが大量破壊兵器の存在を否定したのは政治的な意味の上のことであり、事実は、存在の確認が不可能だっただけだ。砂漠の何処かに何が有るのかは、今更、誰にも解らない。何千年、何万年後かの人類の子孫が発見するんだろう。)
まだ、今年 1 年を振り返るには早いが、年末はなかなか更新する時間的余裕が無いので、今年 1 年の自分の考え方(エントリー)を振り返ってみた。
結局、私は、曖昧さへの嫌悪が、エントリーの原動力になっている。
この曖昧さへの嫌悪感がある為に、『情熱的に生きる事と身を滅ぼす事の区別を付けよ!』だったり『身に降りかかる不幸を“免罪符”にするな!!』という考えになるのだろう。
私自身の脳の構造・機能から来るものなので、来年も変わることはなさそうだ。
■このエントリーへのコメントです。
『Re:曖昧さへの嫌悪』投稿者:ねお (2005/12/28(Wed) 00:35:43)
大野様 こんばんは。
3ヶ月ほど前に「銀座でエアガンを発砲した」若者のニュースがありました。
あのとき思わず「応戦されたらどうするつもりだったのだ?」と、あきれた憶えがあります。繁華街には「本物持ってウロウロしているヒトがいっぱいいるのに!」と(笑)。