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注意せず、髪の毛つかんで連れ出す 傷害容疑の巡査長

20070907_police.jpgこの巡査長、酔ってたとしても当然の事をしたまでだと思うし、アメリカじゃ、こんなクソガキはその場で射殺じゃないの!?

このネタを“後出し”で出してきた朝日新聞は、『やっぱねぇ~』という内容だ。何があっても“暴力”はイカンという路線でアピールしたいらしい。しかし、最後の【少年の母親(36)は「ちょっとした悪ふざけはあったが、殴るのは行き過ぎ」と話した。】は逆効果だよね。この親ありてこの子ありって、誰しもが思うよ。手さえ出さなきゃ“悪者”にならないっていう“家庭内教育”を施してるもん。

母親が『よくぞ、我がバカ息子を殴ってくれました』って言ってんなら、大変、良い話になるんだけどねぇ~。

さて、そのニュースの内容だけど、その前に[時事通信社]の報道では、この巡査長の行動を支持する電話やメールが2000件以上あり、不支持はたった4件だった事を伝えている。当然、朝日新聞はこんな事には触れもせず、購読者のミスリードをねらっているわけだ。

注意せず、髪の毛つかんで連れ出す 傷害容疑の巡査長


2007年09月06日22時39分 朝日新聞

 横浜市旭区の相鉄本線鶴ケ峰駅前で4日夜、高校2年の少年(16)に対する傷害容疑で神奈川県警大和署の巡査長小磯慶洋容疑者(33)が逮捕された事件で、「小磯容疑者が少年を注意しようとした」という県警の当初の説明と違い、小磯容疑者がいきなり少年の髪の毛をつかんで駅の外に連れ出し、顔を平手で殴っていたことが6日、県警の調べで分かった。

 監察官室によると、少年は電車内で拳銃型ライターを構え、駅員らから注意を受けてライターをかばんにしまった。同駅で下車した少年が駅の階段を下りる途中、酒を飲んだ帰りの小磯容疑者が「ちょっと待て」と少年の髪の毛をつかんで路上まで連れて行き、顔を殴ったという。

 少年は「いきなり殴られて怖かった。ライターの柄で鼻も殴られた」という。一方、県警は「巡査長はライターを取り上げた時、鼻にあたったと供述した」と説明した。

 県警によると、小磯容疑者は近くにいた男性が仲裁に入った後も顔を殴り、少年によると、仲裁の男性が「殴ることはない」と言うと、「こういうガキは殴らないとわからない」と言ったという。

 県警の当初の発表を受け、6日夕までに小磯容疑者の行動を支持したり少年を中傷したりする電子メールや電話が県警本部などに約1000件寄せられたという。

  少年の母親(36)は「ちょっとした悪ふざけはあったが、殴るのは行き過ぎ」と話した。


3~4日前の NHK クローズアップ現代では、『キレる大人』が紹介?されており、電車内でぺちゃくちゃと電話しまくっていたOLを注意したおじさんが矢面に立たされていた。そのOLは注意された事に対して逆ギレして悪態をついた為、おじさんが『なんだ、その態度は!』と怒鳴った訳だが、その行為こそが『キレる大人』だと解説していたのだ。
おじさんは、電車から降りる時にそのOLを突き飛ばしたのだが、その事を理由に、その前のOLを注意し怒鳴った事まで“イケナイ事”のように伝えているのだ。OLは突き飛ばされて当然のような言葉をおじさんに浴びせているのにである。『あんたの怒鳴り声のほうが、よっぽど回りの迷惑だ』と。


この逆ギレOLに“つける薬”は存在しない。唯一の処方箋は“往復ビンタ”だ。


マスコミが煽り続けた近年の(戦後の?)“手さえ出さなきゃ悪者になる事は無い”みたいな風潮は“暴力”の定義があいまいなままで“横行”している為か、大変、目に余る。(それが故、頭を“ゴツン”、お尻をビタンとやって叱ることすら“暴力”とされ否定されてしまっている)

電車内で拳銃モドキを振り回した少年は、本当にほんの悪ふざけだったかも知れないが、この行為に心底恐怖した人もいるはずだ。そう、“死の恐怖”を。一時でも“死の恐怖”を感じさせた事ってのは、たとえ手を出していなくっても十分に“暴力”以上だと(私の感覚では)思うのだが、マスコミにかかると悪い事ですらないらしい。(このクソガキは、いくら殴られたからと言って“死の恐怖”までは感じてないハズ。こんなのが殴られたっていうだけで“お咎め無し”なんてのは本末転倒である)


古い話だが、身体的に手を出さなきゃ言葉でどんなに苛めても許されるというマスコミの論法が、松岡大臣を自殺に追い込み、JR福知山線事故では、鬼の首を取ったかのような報道陣のJR職員を罵倒する方向に向かわせた。「犯罪はリンチでなく裁判で裁かれるべき」とはマスコミの常套句だが、自分達がリンチしている自覚がない??(マスコミの執拗な追求は度を越しリンチと言わざるを得ないケースも多いと私は感じてる)

マスコミは、『ペンは剣より強し』を盾に、手さえ出さなきゃ何をやっても許されるなんて言うつもりだろうが、勘違いも甚だしい。

そのつけが、このようなクソガキや勘違いOLが街を闊歩する事を許してしまったのだ。そんな時代を作ったのがマスコミなんだということを自覚して欲しいぞ。

このクソガキが殴られて“大怪我”でもしたなら巡査長の行為も“行き過ぎ”と責められざるを得ないが、もともとの“大怪我”の原因を作ったのはこの“クソガキ”だと言う事を、ペンをもって十分にわからせ、懲らしめてもらいたいものだ。
 
 
 
先日、ある小説(タイトル失念)を読んだのだか、久しぶりに喉のつかえが取れるような気持ちの良い感覚を味わった。その内容は、、、

舞台はアメリカ。世間では紳士と評価される病院の診療部長が、実は養女に日常的に性的な暴行を加えている事実から話は始まる。この娘は中米の貧しい国でストリートチルドレンをしていたのだが、ひょんな事から、子供の出来ない夫妻に引き取られ、大変な恩義を感じていた。

この夫妻の住む高級住宅街の家の隣に住んでいた少年(この少女に恋心を抱いている)が少女の理由不明な苦悩を心配し、話をする中で、何気なくこの性的虐待が明らかになり、少年自身も良く知る養父を殺す事を決意する。

完全犯罪を計画するが、当然、子供の犯罪だから簡単にばれてしまい、少年は直ぐに逮捕され裁判にかけられることになる。アメリカでは日本の少年法に該当する法律は無く、少年であっても一級殺人二級殺人なら、成人と同じ刑に服さねばならない。

少年はその娘が事件の表に出ないようにする為に一切口をつぐんでしまうのだが、裁判を通じてこの被害者の養女に対する性的虐待が暴露されていく。陪審員達は審判を協議する席で、はじめほとんどがこの少年を“有罪”としていた。しかし、『十二人の怒れる男』じゃないけれど、“有罪”とするには余りにも少年に対して同情を禁じえないし、少ない人達の主張『殺される原因を作ったのは被害者本人だ』に心を動かされ、最後には全員一致でこの少年を“無罪”とするストーリーである。

無罪になったからと言って、この少年は大手を振って町を歩るけるわけじゃない。少年の父親も殺された被害者と同僚の医師だったが、辞職し、さらにはアメリカからも去らねばならなくなる。そして、その陪審員の一人から少年宛に手紙が届く。殺した事実は一生消えない。その事を重く受け止め背負って生きて欲しいと。


日本とアメリカの司法制度はかなり違うところがあるにせよ、杓子定規な刑法に“人情”の入り込む隙を、この陪審員制度は作っている。日本の司法制度も裁判員に移行するが、手さえ出さなきゃ何やってもOKという風潮に釘をさせると良いのだが。。。例えば、この巡査長が殴った少年が怪我をしたとして裁判になったとしても、状況を考えれば“無罪”であると。そして、逆に少年の行為を戒めることが出来るようになると良いと思っている。

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2007年09月07日 16:19に投稿されたエントリーのページです。

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