限りなく誘導に近い“質問”による“世論調査”に意味があるのかどうかは別として、これを伝統芸能の如くかたくなに守っている朝日新聞に、是非、聞きたい事がある。(ズームイン・スーパーで辛坊さんが呆れながら“誘導質問”って言っていたのが、笑った)
『何故、テロ特措法延長に反対するのか?』
素朴な疑問である。
まぁ、朝日新聞や朝日テレビなど、このグループの報道姿勢には素朴な疑問だらけなのは誰もが認めるところだと思うけど、この体質は何処からきたのか?
国連が認めていない・・・・、これって何の根拠になるんだろうか?(安全保障は“口”だけじゃ無理だし、奇麗事じゃないのはわかっている筈なのに・・・)
キリスト教(資本主義社会)とイスラム教の対立って“軸”をはっきり出してくれれば、アメリカのとってのロジックが絶対的な“正義”でないって事は、私にも理解できる。イスラムにとってのロジックでは、テロ(と資本主義社会が定義している)行為は“止むに止まれぬ”事であって、“座して死を待つ”を潔しとしないからの“結果”であろうと、考えられるからである。だからこそ、中立な国連って理屈なのだろうが、国連は第二次大戦の戦勝国の組織であり、中国やロシアも入っているから(宗教の無いこの国は、アングラで武器を製造しイスラム世界がお客さんだ)、この問題に関しては“だからこそ”は“国連”には繋がらないと思うのだが・・・。
そして当然、降りかかる火の粉を払いのけなきゃ、、、自分の身を守る為に“闘う”事は誰にでも認められている“基本的な権利”である。だから“闘う”。これを否定できる人もいないだろう。
ただ、ややこしいのが1500年以上も前からの怨恨を引きずっている、この一点に尽きる。6年遡って相手の行為を非難すれば、その3年前の出来事を持ち出され、それに対しては10年前の出来事で、、、、際限が無い。(だから、ドーキンスは宗教が悪い『神は妄想である』と言ってるのだが・・・)
事実を“事実を炙り出す為の証拠”に利用するという事も、このような問題の解決方法としては馴染まない。これは、その問題がどこの宗教間であっても、国家間であっても、民族間であっても同様だろう。(学者が学問的にやるならまだしも、政治家や報道がやるべきではない)
例えば、Aさんが歩いてきた道に屍体が転がっていた。その日、その道はAさんしか通らなかった。だから、Aさんがその人を殺したんだ・・・という“証明”にその屍体を用いるって事を指す。これは単純な例だが、このような密室殺人事件にはトリックが隠されて、そして一つの事象に二つ以上のシナリオが隠されているのが“常”だというように、屍体があるからといってAさんが犯人とは限らないということだ。新鮮な事件ならまだしも、これが、過去の事になると、想定可能なすべての可能性の検証すら不可能になるから、ますます、話をややこしくする訳だ。
誰でも知っている“南京大虐殺”事件を例にとれば、事実は“屍体”が沢山あったということ(だけ)だ(この屍体すらなかったとする人達は話にならないけど)。日本軍が通った後だから、日本軍が殺したものとされている。この段階で、すでに全ての“屍体”が日本軍によるものかどうかはわからないと言う事である。
屍体の数は、報道により桁違いの報告があり、もし、(朝日新聞の)多い方を取るにせよ、中国共産党による粛清の“結果”の処理に“利用”されたかもしれず、また、“虐殺”という表現を使うのであれば、全く武装しない無抵抗の“市民”が殺された場合に使うべきで、抵抗したり、或いは市民を装った軍事抵抗(たとえ竹やりであっても、丸腰の日本兵を殺す事は出来る)があれば、それは“戦時下における不幸な犠牲”と表現すべきところだろう。
本物の無抵抗な市民と装った中国武装兵士は“モザイク状”に存在していたはずで、どちらの側もこれを証明する事は不可能になる。従って“事実を事実の解釈の証拠”にする事には無理が生じるわけだ。
それは置いといて、日本軍は“侵略”したのだから、どっちにせよ“正義”はないというロジックも、『背に腹は代えられない』であり、切羽詰った状況で座して死を待てない状況下では“弱肉強食”を否定できる人はいないのではないか?
というわけで、原始的な一神教の世界(ユダヤ教)の世界からキリスト教が生まれ、イスラム教が生まれ、その頃から引きずっている問題に十字軍遠征という決定打が加わり、(いや個人的な問題と言うなら、各地での小競り合いの方が影響力が大きいだろう)誰にも解決できない問題に発展してしまったのが、日本でのイラク特措法、テロ特措法に関わっている事を考慮しないでの世論調査は笑止千番ではないのか?争いのネタにしても、その歴史の当事者たちには、いつでも大義名分が存在したのだから、どちらが“正義”でどちらが“悪”なんてのは、誰にも判断のつくことじゃない訳だし。
小アジアでは、ちょっと前までイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が穏やかに仲良く暮らしていたらしい。イスラム教徒の夫にキリスト教徒の妻などは珍しくはなかったのだそうだ。それが、今、この夫婦には、危機が訪れている。
夫の親戚筋から、『従兄弟を殺した憎きキリスト教徒の女と、何故、離婚しないんだ?』と。イスラエルとパレスチナ(ユダヤ教とイスラム教)でも同様らしい。彼らには日本人には理解不能な宗教という帰属意識があるのだ。
神からユダヤ人に与えられた筈のカナンの地の証拠は、共通の聖書である旧約聖書に書いてある。しかし、それ以前にその地に住んでいた人は居たとも書いてある。しばらく(ヨセフの時からモーセまで)カナンを留守にして(エジプトに行ってた)、その間にも、カナンの地には他の人たちが住んでおり、それを奪ったとも書いてある。
『それが事実である』と言い切れる遡れる限界は?誰が断定できるのだろうか?(イエスの存在すら、まともに証明できないのに!)
タブーなんだろうけど、タブーに触れないでテロ特措法は語れないんじゃないのか?
タブーに触れないのは、それこそ、朝青龍の問題に似ている。“疲労骨折”の詐病問題を突っ込みすぎると診断した医師のところまで行ってしまう。これは、マスコミにとってはタブーなんだろう。
繰り返すけど、国連と日本国憲法というキーワードだけで“テロ特措法”に対して世論調査を実施するのは、余りにも浅慮で軽率な気がしてならないのだが・・・。まして、誘導的な質問を用いて世論調査する朝日新聞の意図は??
・・・小一時間、問い詰めたい!