« チェッカーゲームの場合は引き分け | メイン | 食生活の改善よりも薬を選ぶ高血圧患者 »

『へぇ~っ』て思ったこと

20070929_evodevo.jpg■まずは、身近なところから。“親知らず”が生える人と生えない人の違いは、、、、、キーワードは『エボデボ』だったと。

エボデボの入門書として最適であり、一番のお奨めなのが『シマウマの縞 蝶の模様』なのだが、この本では“親知らず”には触れていなかった。

『エボデボ』・・・・聞いたことのない人のほうが多いと思うけど、Evolutionary Developmental Biology の略で、最近興りつつある学問である。

Nature vol.449 (7161), (27 Sep 2007) の最新の論文では、この進化に於ける形態変化に発生が関与する事は、もはや、間違いのないところだということを、臼歯の進化を例にとって解説している。当然、親知らずも関係アルわな!!

なるほどねぇ~~~~

進化:発生は進化の選択肢を作り出す

Nature vol.449 (7161), (27 Sep 2007)

生物多様性を作り出すのに生態が重要な要因であることは明らかである。

だが、発生にも進化を導くような要因が存在するのだろうか。

「エボデボ」研究は、さまざまな動植物の発生過程のその祖先種の類縁関係による違いを調べて、この疑問に答えることを目指している。

発生と進化のこうした結びつきを検証するのに、マウスの臼歯の配列状態は有効な材料となる。

マウスの第一臼歯は、その後ろの第二臼歯よりも大きく、第二臼歯は一番奥の第三臼歯よりも大きい。

Kavanaghたちは今回、このことを実験的に調べ、臼歯の発生が抑制カスケードモデルに従っていることを見いだした。

この結果から、食餌が歯の進化の推進力である一方で、発生は自然選択に応じることが可能な複数の選択肢を作り出すことがわかった。

そして、厄介な問題を引き起こしやすいヒトの親知らずに関していえば、その「厄介さ」の元凶はヒトでの抑制カスケードの弱さにあるのかもしれない。

Articles p.427

News and Views p.413


■お次は、ちょっとマニアック?なところ。

ワトソンとクリックが DNA の二重らせん構造を発見した時、その構造をX線解析した写真とともに発表したので、それを見て知っている人は、DNA はスタティックな二重らせん構造をとっているとイメージしている人が多いのではないだろうか?

私もそうだった。

化学物質としての DNA の反応のしやすさから考えると、そうなんだよなぁと納得できる事でも、頭の中でイメージする DNA はらせん階段そのものだった。

今回、Nature vol.449 (7161), (27 Sep 2007) から『DNAらせんは静止した分子ではなく、塩基対が「呼吸」しているように、短時間分離しては再びくっつくことを繰り返している。』との記述を目にして、むむむむむむむむ。

これからは、ハリーポッターの学校(ホグワーツ)にある“離れたりくっついたりする階段”をらせん階段に変形してイメージしなきゃ・・・・・。で、階段の構造物が“変性”しちゃった時、『ウラシル塩基が外れてらせんから飛び出したときに、ウラシルDNAグリコシラーゼはこれを捕まえて取り除く。』・・・・・・。

うんうん、DNA の“修正”がイメージしやすくなったぞぉ!!

なるほどねぇ~~~~

細胞:DNAから「U」を閉め出す

Nature vol.449 (7161), (27 Sep 2007)

ウラシル(U)はRNA中にあって、DNA中のチミンに相当する位置を占めている。

もしも誤ってDNA中にウラシルが出現すると、命にかかわる変異を起こすことがある。

その代表的な例は、シトシンの化学修飾によって起こる。

こうした恐ろしい変異を防ぐため、細胞はウラシルDNAグリコシラーゼ(UNG)という酵素を使って、DNAからウラシルを取り除く。

この酵素がDNAを監視して紛れ込んだウラシルを見つける詳しい仕組みが、今回明らかになった。

DNAらせんは静止した分子ではなく、塩基対が「呼吸」しているように、短時間分離しては再びくっつくことを繰り返している。

ウラシル塩基が外れてらせんから飛び出したときに、ウラシルDNAグリコシラーゼはこれを捕まえて取り除く。

チミンは、ウラシルとはメチル基1個が異なるだけなので警戒中の酵素にウラシルと同じように捕まるが、酵素の活性部位にそれほどぴったり合わないため、釈放され、DNA分子中に戻って本来の役割を果たすのである。

Articles p.433


20070929_homo.jpg■お次は、男女間の情の機微が“科学的”に解明できそぉ~?って。

昆虫では確認されている“フェロモン”なんだけど、人間ではどおなんだろう?

って、誰しもが考えた事だろう!これ、進化論的に考えると、子孫を残す為に有利に働くとしたら、多型が存在するってのが、私にはよく理解できなくなっちゃうのだけど、実際にはあるらしい。。。。。もっとも、アンドロステノンをフェロモンとしたらって事だから、この前提が“頓珍漢”だったら、ナンセンスな疑問になっちゃうんだけどね。

ところで、サブリミナル効果と違って目に見えない“匂い”って、商売に利用するあたって、倫理的・法的にどうなんでしょ?例えば、モテモテ香水なんてのが作れちゃうわけでしょ?

でも、これを身にまとった女性が、周りの男達に“性的な刺激”を与えたとしたら、意中の男性を落とせたらいいけど、嫌いな男性が“鼻息荒く”近寄ってきたら・・・・。

ピンポイントで狙いを定める、そう、薬でいえば DDS (Drug Delivery System) のように、そのフェロモンの目的に送達する技術も開発しなくっちゃ、商品にならないね。

なるほど・・・?

生理:アンドロステノンを嗅ぐ

Nature vol.449 (7161), (27 Sep 2007)

ヒトでは、特定の匂いに対する感受性と、それらの主観的な認識のどちらにも、かなりの個人差がある。

今回新たな研究から、単一のヒト嗅覚受容体にある遺伝的差異が知覚の個人差と関連することが初めて示された。

嗅覚受容体のOR7D4は、in vitroでアンドロステノンにより選択的に活性化される。

アンドロステノンはテストステロンの代謝産物で、ヒトのフェロモンにあたるのではないかと考える研究者もいる。

OR7D4をコードする遺伝子の差異は、個人がそれぞれアンドロステノンをどのような匂いと感じるかに影響を及ぼしており、この匂いを快いと感じる人や不快と感じる人、さらには何も匂いを感じない人がいる。また、こうした差異は匂いの強さの知覚にも影響を及ぼしている。

Letters to Nature p.468


■さて、アンドロステノン=フェロモンの如く、やっと“前提が間違っているんじゃないの?”にたどり着いた。

最後は、『へぇ~』を100連発したい内容だ。

ご存知の通り、鳩山法務大臣の死刑執行に関しての発言が物議をかもしているが、その方向に対してである。新聞各紙の社説では、、、、『人命を軽軽しく・・・・』で一致しているけど、、、、、

ちょぉっと、まってよぉ~~~~~~~~~!

だ。

私は、最終的に司法の判断とは別にその執行を判断する機関があるとか、刑事訴訟法にある具体的な手続きとかは、新聞の社説で知ったわけだが、まぁ、それはどうぞやったくださいって事でいいけど、癌の専門医が最高の設備と検査を駆使して得た結論『あなたは癌です』に、素人が『疑問の余地があるから、独自に調べます』みたいな感は拭えない。

それを含めても、まぁ、勝手にやってください。ってことなんだけど、死刑判決を受けた犯罪人に果たして『人命を軽軽しく・・・・』なんて事を考える対象になりうるのか?

ってことなのだ。

光市母子殺人事件の犯人の死刑を『軽軽しく出来ない』なんて、どれくらいの数の日本人が思っていると思うのか?
何の落ち度もない人を5人殺した、7人殺したなんて犯罪人の命は、それこそ『軽軽しく扱う』べきものなのではないのか?


どの社説を読んでも、『何人の人命も軽軽しく扱うべきではない』に疑問の余地がないものとしての論法なので、そのロジックには全く破綻はないのだ。


これが、恐ろしい!


新聞は、世論を調べるではなく、世論をミスリードしているとしか、感じられない。新聞社の考えには、あきれかえって『へぇ~』を100連発だよ。

私は、鳩山大臣の『法務大臣のハンコなんか無くても、死刑執行できるように法律を変える』との発言には、大賛成だ!!亀井静香は無視に限る。福田首相が『靖国参拝は(中国・韓国は)嫌がってんでしょ?だったら、しませんよ』みたいに、相手の土俵に乗らなければいい。亀井静香は死刑廃止を議論の遡上にのせたくてしょうがない人なんだから、遡上にのせる事で、奴らの勝ちになっちゃう。だから、議論すらしちゃいけない。モラルのかけらも無く、精神構造が未熟な日本人には、死刑の抑止力は絶対必要だ。未成年だからと犯罪を重ねる少年が後を絶たないのを見れば、殺人しても死刑にならなければ簡単に人を殺すヤツが増えるのは、火を見るより明らかだからね。


新聞各社は、誘導尋問ではない方法で、『死刑判決が出るような犯罪、すなわち人殺しをおこなった人間の刑執行に際して、重々しく行うとか、軽軽しく行うべきではないとかと、そもそも、そんな議論の余地があるのかどうか』を国民に問うて欲しい。

『オウム真理教のアサハラショウコウに人権があるのか?』
『光市母子殺人事件の犯人に同情の余地はありますか?』でもいい。
『司法に携わる数多くの人達がこれだけの時間をかけて審議して得た結論“死刑”(光市のほうはまだだけど)に、ほぼ、素人の法務大臣が疑念を挟むって、意味のある事なのか?』と。

最高裁で決定された判決を、さらに吟味する事にどれだけの意味があるのか?冤罪の心配は個別に扱えばいいし、恩赦を引き合いに出していた社説もあったけど、そんなものはその時(天皇が崩御した時)に考えればいいだけの事ではないのか?

意味の無い“屋上屋を架す”ような制度こそが合理的でなく、警察や検察が未熟だった頃の遺物である法の“取り決め”が亡霊のように取り付いている、そんな印象を受けるのだが・・・。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.marinn.org/mt_337/mt-tb.cgi/371

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2007年09月29日 11:39に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「チェッカーゲームの場合は引き分け」です。

次の投稿は「食生活の改善よりも薬を選ぶ高血圧患者」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.37