勝ち組は寛容
人間での協力行動は、結局、各人の利益と関わっているというコンセンサスが得られているそうだが、その協力して行う行動が特定の人に対する処罰だった場合には、このロジックには疑問符が付くらしい。
行動:勝ち組は寛容Nature vol.452 (7185), (20 Mar 2008)
人間でみられる協力行動の進化を説明するために、多くの理論が考えられてきた。
その1つとして、コストがかかる処罰は協力行動を促進しうるというものがある。
この理論では、処罰をする側にコストがかかっても、平均すれば各人に利益があるとしている。
しかし、我々の人間関係のほとんどは繰り返し起こるものであり、そのような場合には処罰が報復につながる可能性がある。
囚人のジレンマゲームの変形版を使って、Dreberたちは、処罰は協力行動の頻度を増加させるが、平均的利益を増やすことがないのを明らかにした。
つまり、コストがかかる処罰はグループ全体に利益をもたらすことはない。
そして、最終的に最も高い利益を得た者(勝者)は処罰行動をとらない傾向にあるが、得点が最も低かった者(敗者)は最も頻繁に処罰を行う。
コストがかかる処罰は協力行動を促進するために進化したのではないらしいが、何か他の役割があるのかもしれない。
Letters to Nature p.348
News and Views p.297
研究者達はこれらを考察するにあたり、どんな事までを念頭に置いているんだろう?
罪人への懲罰 ・・はイイとして、
十字軍の遠征
異教徒への迫害
たしかに、"処罰をする側にコスト"がかかっている。刑務所を作ったり、刑務官を常駐させ監視させなきゃならないし、囚人の食費だって"処罰をする側にコスト"だ。
十字軍の遠征や異教徒への迫害にはリッパな大義名分があり、自分達は"処罰をする側"としての意識に間違いなく、そして、確かにそれに参加する"各人に利益がある"。
しかし、自分達に"処罰をする側"としての意識があったとしても処罰される側に罪の意識が無ければ、イスラエルとパレスチナを例に見るまでも無く"報復につながる可能性がある"どころか、報復は必発だ。日本だって、罪人が出所後、報復に向かう現実がある。人を殺してしまった事を悔い改めるどころか、自分がこんなところに閉じ込められたのはあいつとその家族のせいだなんて理由で。
死刑制度に関して色々と調べた時期があって、自分なりに"死刑廃止論者"のロジックには到達したつもりでいる。それは"法律論"だ。彼らにとって"法律"は、それこそ"モーセの十戒"に値するほどらしい。違ったロジックで死刑廃止を唱えている人は、思想・宗教を根に持っていると感じる。
人が人を裁くなんて、所詮、万人が納得する理屈は考え出せないだろう。
同様に、人が人を裁かない(死刑廃止や刑法第39条)方でも、無理である。
法律論を根拠に理論を展開する人は、罪人を死刑にしてほしい"気持ち"がわかっていない。人間は"気持ち"で動く生き物である事を忘れているかのようにね。いや、知っているからこそ(感情に流されてはいけない・・・とか言っちゃって)なのだろうけど、そういう理屈は堂堂巡りする事を知らない。
光市母子殺人事件の犯人を死刑にして欲しいのは、自分の身に降りかかるかも知れないからだ。危険回避の本能は扁桃体が担っているが、これを機能停止させるわけには行かない。(ユダヤ人の割礼のように、日本人は皆、生まれたら直ぐにロボトミーすれば話は別だけど)危険回避=個人の利益と考えれば、当然だ。畠山鈴香にしたって、(殺すのは)米山豪憲クンじゃなくてもよかったなんて発言で死刑は免れない。
これが、個人的な怨恨による殺人事件なら、当事者以外の人にとっては、別にどうでも良い事になる。リスクが無い=利益がある=金持ち喧嘩せずだ。セレブ妻渋谷バラバラ殺人がこれに相当する。あの裁判は、妻の責任能力がどうのこうのと、おかしな方向に向かっているが、当人が罪を反省しているのなら、極刑になどする必要は全く無い。なんとなく、国民が忘れた頃、そう、5~6年もぶち込んでおけば十分ではないか。
逆に、反省もせず、逆恨みという反応をする"脳の持ち主"なら、人を殺してなくても"無期懲役"が人の利益から言っても妥当だ。しかし、、、無期限に食事代を払ってやるのは、第三者からすれば"不利益"以外のなにものでもないから、死刑にしてしまっても良いのかも。
コレだけは言えるのは、人は他人から『反省しろ』と言われて反省などはしない(マスコミ、特に朝日新聞は反省すると思っているらしいが)。ただし、長い服役期間には、人によってはだんだんと変わる場合もあるのも事実だ。
後から自分の行為を思い出すようなものを見せつけられて、反省しているリアクションがあった場合、本当に反省しているのか演技なのかが解る方法があるとすれば、量刑は裁判で最終決定をせず、とりあえず刑務所にぶち込んで脳の状態を調べつつ決めるのがいいのかなぁ・・・なんて。
不特定多数の人を恐怖に陥れる犯罪(例えば光市母子殺人事件や福岡の飲酒運転事件)には、適応されるべきでは無いけど、もし、こんな人間でも変わるんだとしたら、逆に、"罰の効用の科学的エビデンス"って意味で興味深いし。
そんな、こと解る方法あるのかなぁ?って思っていたら、こんなのを見つけた。
まだまだ、使えそうも無いけれど、可能性は・・・・?
脳:心を読むNature vol.452 (7185), (20 Mar 2008)
近年の機能的磁気共鳴画像(fMRI)研究から、いろいろなカテゴリーの視覚画像によって誘発される脳活動のパターンに基づいて、見ている情景に含まれる単純な特徴や、それが属するカテゴリーを推論できることが明らかになっている。
Kayたちは、この手法に興味深い進展をもたらした。
彼らが新たに開発した解読法は、視覚刺激と低次視覚野のfMRI活動との関係を特徴づける定量的受容野モデルに基づくもので、被験者が見た自然画像がどれなのかを、1,000枚の異なる画像中からランダムに選んだものであっても高精度で特定できる。
この成果によって、これまではSFの世界だけの話だった、視覚心像や夢などの個人的な知覚体験の解読が、近いうちに可能になるのではないかと予想される。
Letters to Nature p.352