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2008年04月 アーカイブ

2008年04月05日

LDLコレステロールは本当に悪玉? 少な過ぎると死亡率上昇

20080412_rhetoric.jpgとうとう、一般紙にもこういう事が書かれるようになった。大変、良い事である。

ともすれば、『LDLコレステロールは悪玉だから・・・』ってことで、体の中の"悪"は存在を許さないみたいな内容の記事になりがちだった昔からすれば、コレステロール値を盾に治療をすることにも、一般紙も疑問を呈し始めた事は、賞賛に値する。

しかし、一般紙と言えども、抗生物質の使い方にはかなり昔から警鐘を鳴らしていたはずだ。それでも、いまだに消費量が減っているという実感はない。


---そもそも、"関心"が希薄なんだよなぁ---

新聞に書いてあっても、読みゃしないのだ。つい先日も、『成人の鼻副鼻腔炎、抗菌薬投与は不要?抗菌薬が有効だと判断できる徴候や症状は見付からず』なんて記事が、Lancet誌2008年3月15日号に掲載されている(スイスBasel大学病院のJim Young氏ら)。

こんな報告が掲載されるくらいだから、どこの国でも事情は大差ないのかもしれない。かつてイギリスでは国をあげてキャンペーンをはったわけだが、現状はどうなってるんだろうか??

記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

【2008年3月29日】
LDLコレステロール:本当に悪玉? 少な過ぎると死亡率上昇??メタボ基準の一つ

 脳卒中や心筋梗塞(こうそく)の発症の危険性を高める「悪玉」とされるLDLコレステロールは、低いほど死亡率が高まることが、大櫛陽一・東海大教授(医療統計学)らの疫学調査で分かった。LDL値の高さは、4月から始まる特定健診・保健指導(メタボ健診)でも、メタボか否かを判断する基準の一つで、悪玉という位置づけの是非が議論になりそうだ。【大場あい】

 大櫛教授らは、神奈川県伊勢原市で87~06年に2回以上住民健診を受けた約2万6000人を平均8・1年追跡。LDL値ごとに7群に分け、死亡率や死因との関係を調べた。

 全死因合計の「総死亡率」でみると、男女とも、最もLDL値が低い群(血液1デシリットル中79ミリグラム以下)が一番死亡率が高い。男性では年間死亡率が人口10万人あたり約3400人と、死亡率が最も低い群(140潤オ159ミリグラム)の約1・6倍。女性も人口10万人あたり約1900人で、死亡率が最も低い群(120~139ミリグラム)の約1・3倍だった。

 脳卒中や心筋梗塞など心血管疾患による死亡率に限ると、男性では180ミリグラム以上になると死亡率が上昇したが、女性はほとんど関係ない。男女ともLDL値が低いと、がんや呼吸器疾患による死亡が増え、全体の死亡率が高くなった。

 大櫛教授はLDL値の適正範囲を「男性100~180ミリグラム、女性120ミリグラム以上」と提案。メタボ健診の基準では、LDL値が120ミリグラム以上の人は下げることを勧めているが、大櫛教授は「適切な範囲にあるLDL値を下げ過ぎる危険がある。コレステロールは人体に必須の物質で、少ないと免疫機能が低下するため、死亡率が上がるのではないか」と話している。


ENHANCE試験の結果は期待はずれ】【家族性高コレステロール血症に対するシンバスタチン+エゼチミブ併用療法とシンバスタチン単独療法の比較】と、最近、たて続けに発表される試験結果が、のきなみ『コレステロールを下げるだけに意味は無い』って事をうけてか、この"エゼチミブ"を売っているメーカーは巧い理屈を編み出した。

それは、、、

『もともと質の悪い(酸化)コレステロールを体内に取り込むのを防ぐ効果があります』だ。

コレステロールの6~8割は体内で作られ、2~4割が食事から取り込まれる。そして、"悪玉"と呼んでいるコレステロールは、どちらにしても体内で変化したものだ。

イメージ的に、体内で変化したものは"悪玉"とはいっても、それが、工業的に・・とか化学的に・・変化して質が悪くなったものと比べれば、なんとなく"自然でやさしい"。

そこに着目して、今の悪玉より、更にイメージの悪い"質の悪い"コレステロールを体内に取り込まないって理屈は、感情に訴えてくる。文学的に言えば、いわゆるレトリックだ。

話は変わるが、『天災は忘れた頃にやって来る』の寺田寅彦が夏目漱石に質問したそうだ。

『俳句とは、なんですか?』
それに答えて、漱石曰く
『究極のレトリックである』と。


このレトリックは、広告代理店が考えたものじゃないだろう。広告代理店なら、『どんな薬かを考えても、どこの薬かを考えた事はありますか?』みたいに抽象的になるはずだ。具体的なイメージを膨らませられるレトリックは、開発あたりに携わっている人によるのだろう。

この人たちの文学的な修辞法に、ある意味、感心してしまったのだ。


医療の現場で、患者さんへの説明は、レトリックである。うすうすは気づいてはいた私は、最近、このことを確信した。

寺田寅彦は初期の作品で、『書きたい事の3割しか書かないようにした』としているように、読者の想像力を膨らませて、後を引くようなスタイルを実践していたのだそうだ。

患者さんへの説明にも、共通するところがある。

何から何まで、懇切丁寧に(情報の洪水を浴びせるように)するよりは、ちょっと足りないくらいに端折ってすると、『じゃ、こういう時には?』と聞き返して来る。関心を持たせる事ができ、理解が深まるのだ。

ただ、レトリックは用いる人間に悪意があれば、それは"ミスリード"になる。

ってゆーか、現代では"レトリック"という言葉にあまり良い印象は無い。"ミスリード"の目的でテクニックを行使してきた誰かさんのおかげだな。。。。


さて、いつもいつも書いてる事なんだけど、生活習慣病の予防や治療は、ほんとに"個の医療"である。

引用部の《大櫛教授は「適切な範囲にあるLDL値を下げ過ぎる危険がある。コレステロールは人体に必須の物質で、少ないと免疫機能が低下するため、死亡率が上がるのではないか」と話している。》は、大櫛教授自身、"適切な範囲にあるLDL値を"の前に『(その人の)』を挿入したかったんじゃないのかなぁ。

『その人の至適値ってわかるんですか?』って突っ込まれたら、チト、まずいけど。

2008年04月09日

自分以外の人のためにお金を使うと一層幸せになる

20080409_money.jpg1950年に人民解放軍がチベット侵攻したのだが、チベットには魅力的な何かがあったのだろうか?って思って調べていたら、、、、

(この時、チベット人を少なくとも100万人以上殺したのは有名な話だが、胡錦涛はチベット弾圧の功績を鄧小平に認められて国家主席になった人物だったとは知らなかった。鄧小平ってのは、天安門事件の時、国民の千万や二千万死んだところで何も問題はないって言うくらいだからなぁ・・・)

『1947年に国民党を台湾に追い出して、中国共産党を建国した後、人民解放軍はやることがなくなってしまった。放っておくとろくなことが無いので、ガス抜きにチベットへ侵攻させた。』
とか、
『当時はインドとの緩衝地帯として、欲しかった』
とか、いろいろ出て来た。

朝鮮日報は、、、
『険しく荒涼とした大地が大部分を占めるチベットだが、中国にとっては大きな財産だ。面積は韓半島(朝鮮半島)の約6倍に当たる123万平方キロ。天然資源もダイヤモンド、マグネシウム、鉄、石炭、クロムなど70種類以上の埋蔵が確認されており、経済的価値が極めて高いとされる。
2006年7月に青蔵鉄路(青海省西寧-チベット自治区ラサ)が開通して以降、沿線ではスズ、鉛、亜鉛の大規模な鉱脈が新たに16カ所発見された。このうち5カ所では合計でスズ2000万トン、鉛・亜鉛1000万トンの埋蔵が確認された。』と。


チベット、価値はあるんだぁ!(って事は、チベットは中国の庇護の元でしか成立しないんだと思ってたけど、まんざらでもないのかも)


朝日新聞は中国と仲が良いんだから、もっと、このへんの事を詳しく教えて欲しいもんだ。(って、大好きな中国の都合が悪い事は教えるワキぁないわなぁ。自虐史観の人たちにもチベット問題のコメントを求めたいが、推して知るべしだからつまんないしねぇ)

私は、"人道的"って言葉に特別な感情は抱かないので、中国がチベットに何をしようと知ったこっちゃないけど、情報を操作をするマスコミには、いつもはらわたが煮え繰り返る。


さて、タイトルだけど、この新興宗教団体が泣いて喜び、金科玉条にしちゃいたそうな論文が、なんと、あの『Science誌』に掲載されているのだ。

提供:WebMD

より幸福になるには、自分のためにお金を使うよりも他者のためにお金を使う方が良いことが、研究で明らかになった

Miranda Hitti

WebMD Medical News

【3月20日】もっと幸せだと感じたい?それなら自分のために散財するよりも他者または慈善のためにお金を使うと、より良い気持ちになれる可能性がある。

このニュースは『Science』3月21日号で報告された。

研究者らは最初に632名の米国人に、自分が全般的にどのくらい幸福かを評価し、収入と支出(請求書、他者への贈り物、自分自身への贈り物、および慈善のための寄付を含む)を報告するよう要請した。

最も幸福であった人々は最も多くを与えた人であり、収入の額には関係なかったと、研究を行ったブリティッシュコロンビア大学(カナダ)心理学部門のElizabeth Dunn, PhDらは述べている。

「各人がどれだけ多くの収入を得たかには関係なく、他者のためにお金を使った人々は、より大きな幸福を報告したのに対して、自分自身のためにより多くのお金を使った人々はそうではなかった」と、Dunn博士はニュースリリースで述べている。

次に、Dunn博士のグループは、ボストンにある会社の16名の従業員に対して、会社から賞与を受け取る1カ月前に自分がどのくらい幸福かを評価するよう依頼し、賞与を受け取った6-8カ月後にもう一度同じことを依頼した。

従業員らは賞与の使い道についても報告した。賞与を受け取った後に、より幸福であったのは、賞与の中からより多くのお金を他者または慈善のために使った人々であった。

賞与の額が多いか少ないかは重要ではなかった。小切手の額は問題ではなく、その使い道が問題であった。


与える行為

調査はあくまで1つの調査である。しかし人々が現金を手にし、それを日没までに使うよう命じられた時、どんなことが起きるのだろうか。

Dunn博士らは、ブリティッシュコロンビア大学バンクーバー校の46名の人々に5ドルまたは20ドルを渡した。現金と共に、それを午後5時までに使うようにとの指示を与えた。

一部の参加者には、家賃、請求書、または自分自身への贈り物のためにお金を使うよう指示した。他の参加者には、誰か他の人への贈り物を買うか、または慈善団体に寄付するように指示した。

現金を受け取る前とそれを使った後に行った調査によると、今回も、その日の終わりに最も幸福であったのは、他者に与えた人々であった。

そして会社からの賞与の場合と同じく、金額は問題ではなかった。人々はより良い気分になるために20ドルを人にあげる必要はなかった。5ドルでも効果があった。

「我々の知見は、支出の割り当ての5ドル程度のごくわずかな変化でも、ある一日をかなり幸福なものにするのに十分である可能性があることを示唆する」とDunn博士らのグループは報告している。


予想した結果とは異なった

最後に、Dunn博士のグループは、Dunn博士が行った他の試験には参加しなかったブリティッシュコロンビア大学の学生109名に、5ドルまたは20ドルを自分自身または他者のために使うと、より幸福になるだろうと思うか質問した。

ほとんどの学生の回答は的を外れていた。

「参加者はお金が幸福に及ぼす影響について、二重に間違っていた」と、Dunn博士らは述べている。「大多数の人々は、自分個人のための消費によって自分はより幸福になり、5ドルよりも20ドル使った方がより幸せになるだろうと考えていた」。


Dunn, E. Science, March 21, 2008; vol 319: pp 1687-1688.
News release, University of British Columbia.

(C)2008 WebMD Inc. All rights reserved.

これを読んで感じたのは、多分、チベットでは『自分以外の人のためにお金を使うと一層幸せになる』は言えるんだろうけど、中国では絶対ありえないんだろうなぁってこと。

その理由は宗教の有る無しなんだけど、ご存知のとおり、チベットは仏教国だ。無宗教の中国とは、価値観すらまったく違うって訳だ。(一つの国として一緒にいるのは不幸だよな・・・)

ところで、日本を仏教国だと思っている人がいたら、認識を改めたほうがいい。日本の仏教は"葬式仏教"といって、本物の宗教ではないのだから。江戸時代に始まった寺請制度がその原因で神道や儒教からは馬鹿にされている・・・って、それは置いといて・・・。

宗教観の無い日本人は、他人とはいっても知人もしくは親しい人にお金を使うのならまだしも、赤の他人に対しては、『お金を使って幸せ・・・』なんてなれない(と思う)。
でも、キリスト教圏では『汝の隣人を愛せよ』だから、他人にグレードは無いのだろう。この辺が、宗教感の有る無しで価値観の違うところなんだと、私が考える所以。

自分の経験でも、お金を使って幸せな気分になれるのは、相手によって違う。別に惚れた女性にお金をつぎ込んだって事だけじゃなく、男性に使って(例えばおごってあげる)も同様の気持ちになる事もある。

宗教感のなさが、打算的な行為に結びつきやすいのは、共産的な思想を押し付けられた反動でもあるのかもしれない。共産思想は生命(生物)の本質には逆行するからね。(互恵的な利他的行動は、最終的には自分の利益の為だから・・・・)


ところで、この論文、穿った見方をすれば、自分が他人からどう思われてるのかが特に気になる人は、他人から関心を持ってもらえる行為、すなわち他人へお金を使う事とは、自分への投資って意味合いもあるのかもしれない。逆に他人の評価が気にならない人は、他人の為に使っても、喜びは小さい、もしくは自分のための方が嬉しい。まぁ、周りに関心のない人は、感情の起伏も小さいのだろう。故に、他人に使った人のほうが"幸福度"が上だと。
どちらにしても、"幸福感"なんてものには、絶対値も絶対スケールもないんだから、こんな論文が、人を救うためのアドバイスのエビデンスになる筈はないんだけど、その事がよくわかる例が、チベットと中国って事で・・・・・。

ちょっと、ワル乗りでした・・・・・。

2008年04月21日

アマージ錠2.5mg

20080421_menstruation.jpg世の中、見かけが本来あるべき姿とかけ離れてしまった為に、、、見かけが本来ある姿を覆い尽くしてしまった為に、、、その事にデメリットしか感じられなくなってしまっている人の、いかに多い事か。

例えば、女性の月経。

タイトルの薬は、この月経に関連した片頭痛の治療薬として販売推進されようとしている薬なのだが・・・・・。


どうして人間には28日周期で、こんな煩わしいものがあるんだろう。。。。誰しもが思うことなんだと思う。そして、医療従事者も製薬メーカーも・・・・。


だけど、月経が人間の生存・繁栄に有利な生理現象として"進化"してきたわけじゃないことを知れば、上のように考える事が、ナンセンスだと感じられるようになるんだろう。

そう、人間が28日周期をに煩わされるようになったのは、文明が発達したつい最近のことで、それ以前では、人間は"動物"として、28日周期なんて事を気になんぞしていられなかったのだ。

その昔、女性は生殖年齢を迎えて、妊娠し、出産後、授乳を開始する。子供が成長するのに、だいたい母乳を3年与えたとすると、この間、女性に28日周期は訪れない。出産した後でも、授乳が必要な期間は、ホルモンバランスがそうなっているのだ。

知っている人もいると思うが、PRL(プロラクチン)が、乳汁を分泌させるためのホルモンで、妊娠後にはPRL(プロラクチン)の濃度が上がり、出産して授乳を開始すると、赤ちゃんのおっぱいを吸う刺激(乳首刺激)で、さらにPRLは分泌されるようになる。そして、PRLによって、排卵が抑制さる。

授乳から開放された女性は、再び妊娠可能な状態を取り戻し・・・・・また、このサイクルを繰り返す。

動物本来の機能というか、地球環境がホモサピエンスに求めたのは、このような生殖サイクルを円滑に遂行するスペックだ。決して、28日周期を繰り返す事ではない。

自然現象からすれば、28日周期を繰り返す事自体が、異常事態だと言える。

女性が出産しても、母乳を与えずにいると乳首刺激の欠落により PRL 分泌が減少し、エストロゲンが多くなり・・・・早々に28日周期を再開する事になる。それは誰でも知っている哺乳瓶の使用によったり、離乳食の充実による。


28日周期に伴う片頭痛を治療する為に、5-HT 1B/1D 受容体作動薬を服用するという程度の事なら、まだ"生物としての感覚の麻痺(欠落)"とまで大袈裟に言う事もないのだろうけど、後期高齢者医療制度を問題にしたがる連中の底辺にある意識を慮ると、それは恐ろしい。


彼らは、生物の定めである"老化"を否定しているのだ。


"老い"は"老い"として認識している人でさえ、ひとたび、医療において取り上げる"老化"となれば、完全否定とまではいかなくても、生物が生まれて成長して老いて死ぬということを、正面から取り組もうとはしない。

製薬メーカーの為に老化が"病気"にされ、医療機関の経済活動の為に、老化が"病気"にされており、その感覚が世の中を覆い尽くしている。

その感覚の麻痺は、チューブにつながれ延命された人体の"正常とかけ離れた状態"を知らずして、その医療行為の是非を費用面からのみ語ろうとする事の愚かしさにも繋がる。

生命体に結果の平等などありえないのに、平等にすることが人道的と感じる感覚は、まったくナンセンスとしか言い様が無い。
 
 
 
最近の私のエントリーは、この手の話になると"宗教"に繋がる事が多い。もしかしたら、最近ここを訪れてくださった方の中には、私の事を"副業で宗教活動をしているあやしい奴"と勘違いしている人もいるかもしれないので、タイトルを薬の名前にして、内容もこんなにしてみました。

私は、これでも本物の免許をもって医療に従事しています。。。。使っているのは、運転免許だったりして・・・。

2008年04月23日

足の裏の米粒

20080423_zatouichi.jpgさぁ~て、いままで"足の裏に付いた米粒"のように気になっていたんだけど、昨日は、その米粒が取れたような気分になれた判決が出た。だが、ご遺族の方の心情をおもいやると、なんとも複雑だ。(あっ、光市母子殺害事件のことねっ!)

結局、元少年が死刑になっても、ご遺族の妻と子供は帰ってこない。刑法は、人の心の癒しにはなりえない。社会生活に折り合いをつけるのが精一杯だ。

私は死刑反対論者ではないけれど、今回の死刑判決にあたり、ご遺族が精神的に折り合いをつけられるようにするには、何も死刑が適切ではない・・・・と思うようになった。

非常に子供じみている・・・と我ながら思うのだが、先日、HDD レコーダに録画してあった北野武主演の『座頭市』を見た。最後のシーンで悪党の親分に座頭市が語るのだ。(見てない人に配慮して詳細は書かないが)この言葉があったればこそ、両親を殺された姉弟の気持ちも癒されると。


死刑が極刑なら、元少年はそれが至極妥当なのだけれど、もし座頭市が与えた罰が現代日本に作れるなら、死刑をなくす事にはモロ手を上げて賛成しても良い。(多分、"人道的"という言葉で瞬時に葬り去られるだろうけど)

ところで、昨日、朝日新聞の記者がご遺族に向かって『死刑のハードルが低くなったが、どう思うか?』と質問していたらしい。圧力がかかったのか、この映像はネットのどこでも見られなくなっている。そして、巷では『アサヒる』という言葉が流行っているのだそうだ。まぁ、中国萌え~、北朝鮮萌え~、死刑反対萌え~、自虐史観萌え~、原発反対萌え~・・・・じゃ、ショウガナイかぁ。

こんなにも朝日新聞が嫌われると、なんとなくカワイソウになったりするんだけど、折角、元少年の本名と素顔が見られる貴重なサイト"クソガキどもを糾弾するhp"が行方不明になってしまった事にも関わっているとしたら、それは許せないなぁ。(もっとも、サーバが台湾にあったそうだから、朝日新聞と仲が良いのかどうかわかんないんだけど・・)

 
 
 
今朝から、【進化論の歴史】(八杉竜一著)という本を読んでいる。岩波新書(青版)で1979年6月20日 第13刷発行と奥附にある本だ。高校の時に手に入れたものらしい。何でわかるのかといと、○○高校図書館と印が押してあるからだ。借りたまま本棚に入れて失念したらしい。(ゴメンなさい)

その内容なのだが、まえがきに著者が書いている。「本書は厳密な意味での進化学史ではなく進化思想史であり、進化思想史というよりはむしろ生命観の側面史である」と。そしてアリストテレス以前からの生命観からキリスト教との関わりを進化論前史として第一章にまとめてある。

ところで、私はアリストテレスには親しみを感じている。何故なら、大好きなアレキサンダー大王の家庭教師をしていた人だからだ。単にそれだけなのだが、好きな人の思想というのは、頭に入りやすい。

閑話休題。進化論とキリスト教との関係では、グールドの考えにしっくりくるものを感じた訳だが、実は、実存主義に目から鱗が落ちた西欧人の感覚がわからなかったのと同様の感覚に捕われたのだった。

なんで、そこまで、進化論を嫌うのか?どうして、進化論を嫌う人を(ドーキンスは)そこまで嫌うのか?

グールドの本を読んで、『ふむふむ、なるほどねぇ、自分もグールドの考えだなぁ』と思ったのは良いのだけれど、【進化論の歴史】の第一章を読むと、生物が境目無く下等なものから高等なものへ続いている事へ反発する教会指導者はいなかったことがわかった。そればかりではなく、神が6日間で地上の生物を全て作ったとするのを文字通り捉えるのは、聖書の皮相な読解であるとトマス・アクイナスは述べているとも書いてあった。


なぁ~んだ。最初は、みんなグールドみたいに考えてたんジャン!!


私が実存主義を『なんで、そんなに当たり前の事に驚いているんだろう?』『もしかして、驚けない俺って、バカなのか?』なんて思ったのと同様、進化論とキリスト教の関係で、グールドとドーキンスの対立が良くわかんない俺はバカなのか?って思ったんだけど、結局、キリスト教に根付いた文化を知らなかっただけなのだ。

 
 
 
文化に根ざす感覚や価値観は、勉強してわかるもんじゃない。

今、世界の道徳的なグローバルスタンダードは、間違いなく一神教を信仰している人たちの価値観だ。(道徳だけじゃなく、経済もだけど。最近はヒンズー教の台頭も著しいが・・・)

光市母子殺害事件の死刑判決が実現した昨日、死刑以外にも選択肢があっても良いと感じたわけだが、それは、それを上回る苦痛を犯罪者に与える事が出来るという大前提があっての話だ。

死刑廃止論の論拠に、安直に世界の道徳的なグローバルスタンダード持ち込まないならば、聞く耳はもてるのだが、現在、日本に存在する死刑廃止論はどれをとっても、グローバルスタンダードの皮相な部分の臭いがぷんぷんする。(一神教の紆余曲折も知らない)

日本人に"一神教"の価値観、道徳観を押し付けても、実存主義の考えや進化論とキリスト教の折り合いについて日本人がピンと来ないのと同様なのだ。

「法律に感情を持ち込むな」なんて事を言うような、人間の脳の仕組みを理解していない人には、堂堂巡りになってしまう恐れもあるが、そもそも、多様な価値観の人が一緒に暮らしていくのに折り合いをつける方便が、法律だったはずだ。

価値観とは、出来事に直面した時の湧き上がる感情の事だ。

法律に感情を持ち込むなってことは、価値観をなくせと同義ではないのか?だから『どうして、人を殺しちゃいけないんですか?』とか『憲法にも刑法にも人を殺しちゃいけないと書いてない』とか言い出すヤツが出で来る。

安田とか言う弁護士は死刑廃止論者だから、元少年の量刑は極刑に値するけど死刑は反対だってスタンスはとれない。だから、あの犯行を傷害致死として争わざるを得なかった。これはこれでわからなくもないのだが、わからないのは、こういう弁護士の行動だけを見て『死刑は重すぎる』と言うヤツがいることだ。

でも、日本人独自の道徳観なんてものは、もう、無いのかしれない。モラルすら成文化しなくっちゃ行動の規範とならないヤツが増えてるからなぁ。


でも、これだけは言える。北野武主演の『座頭市』を見て、スカッとする感情が沸いてきたなら、私と同じ価値観の人だ。

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