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2008年07月 アーカイブ

2008年07月02日

素粒子への批判 厳粛に受け止め 犯罪被害者の会に本社

20080702_superior.jpg例の朝日新聞の"死神"報道の件だ。

『鳩山法相については「中傷する意図は全くありませんでした。法相が『侮辱』『中傷』とお受け取りになったとすれば、残念です」とした。』だってよ・・・・・・。


確信犯だよな、朝日新聞(テレビ朝日も含む)。


---言い逃げだな---

日韓併合や南京大虐殺を自虐的に報道し始めた頃からはじまったんだろうなぁ。

歴史的事実認識においても、韓国人ですら『日本が十のうち一の歪曲があるとするなら、韓国は十のうち九は歪曲があると言っていいでしょう。』と言う人がいるのに、日本は"絶対悪"だって言ってた訳だからねぇ。

これが朝日新聞の全職員?や周辺のインテリ層や学校の先生達にまでに"伝染"しちゃったもんだから、その息がかかってりゃ誰もが『天皇が悪い』『軍部の暴走』とかなっちゃうし、そう教えちゃうんだろう。

どこに焦点を当てて見るかによって判断の分かれることを、十把一絡げで『善だぁ、悪だぁ』ってやるほど愚かな事はない。(医学的な大規模臨床試験が良い例である)

それに、己のテリトリーに生きていく為のリソースが不足したら、テリトリーを拡大するのは"生物の本能"である。

日本人が本能的に"危機"を感じた時の植民活動や戦争に対しては、代替案を出さない人間達(朝日新聞などの自虐的歴史観の人達)にものを言う資格はない。

この体質が、まさに、現代の"死神発言"に繋がっているのだ。(報道に拠れば「朝日新聞は死刑廃止の立場をとっていない」との事だから、印象操作以外のなにものでもない訳だし)


『植民活動や戦争をせず、日本人どおしで"人口を減らす(殺戮)"行為をすべきであった。日本が植民地化されるべきであった』と言うのなら、自虐的歴史観の人たちを、ある意味、尊敬できるけどね。
 
 
 
秋山真之といえば、日本海海戦に臨んでの「皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ」の起草者としても有名だが、子供の頃からその文才を発揮していたそうだ。幼馴染の正岡子規と、ともに筆で名を上げようと誓いあっていたのだそうだ。

  雪の日に北の窓あけシシすれば あまりの寒さにチンコちぢまる

これは、子供の頃の作品だとか。


日清・日露戦争までは日本にも理があり・・・・これ以降は、只の侵略・・・・なんていう人もいるらしいが、「皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ」の言葉にどんな印象をもつのかは、人それぞれだろう。

「雪の日に北の窓あけシシすれば あまりの寒さにチンコちぢまる」を知っていたなら、また、違ったものになるかもしれない。

情報はどのように出すかによって"印象"が変わる典型だろう。(秋山真之は有名すぎて適当ではないかも知れないけど)


現在、玉石混交の Web 情報をそのまま鵜呑みには出来ないけれど、マスコミが印象操作の為に「雪の日に北の窓あけシシすれば あまりの寒さにチンコちぢまる」を敢えて伏せている事だけは、明らかだ。

だから、マスコミには、印象が変わる影響を極力配慮した報道をして欲しい。印象操作なんて"セコイ"ことしたって直ぐにばれちゃうのは、フィレンツェの大聖堂落書き事件で実証済みなんだからね。悪者を作りたいのはいつもの事だからわかるけど。

(あっ、イタリアで軽く扱っているから日本人がイタズラ書きして良いって訳じゃないのは、当然だよ。カトリックを知らない日本人が軽軽しく語るべきじゃないし、みんながやってるからって理由は、私のもっとも嫌いな部分だし)

2008年07月04日

同じだが、違うように(Same But Different)

20080704_Same_But_Different.jpg結果はおなじだが、そこに到達するまでの過程が違うなら、特定の過程を経る結果の出し方に偏るのは、世の常なのだろう。

結果が同じアミノ酸とはいえ、コードするコドン(三つ組塩基)の段階では、mRNA の三次元構造は異なる場合もある。

となれば、結果が同じとは言え、やりやすい方法を取るのは想像に難くない。あるいは、前後の塩基との関係から、キモとなるコドンの変異の確率も変わってくるだろう。

結果が同じでも、磐石なのか脆弱なのかって問題に繋がる。

Science June 27, 2008, Vol.320

遺伝暗号は本質的に冗長性であって、同じアミノ酸を同義のコドンがコードしている。

与えられたアミノ酸をコードするのに特定のコドンがどれだけ頻繁に使われているか、という条件では、あるレベルでの偏りが進化してきた。

というのも、前後関係を考えると、特定のコドンの使用が、転写されたRNAの二次構造あるいは翻訳に影響を与えるからである。

同様に、同義のコドンが互いに対になる多くの方法も特定の偏りを示していて(おそらくは同じような理由から)、これはコドン-対のバイアスとして知られている。

Colemanたちは、ゲノムレベルでの同義コドン対の偏りが系の生物学にいかなる影響を与えているかを探求している(p. 1784; またEnserinkによるニュース記事参照のこと)。

ポリオウイルス・カプシドタンパク質のDNA配列を再コードするように1つのアルゴリズムが設計されたが、これはもとのアミノ酸配列を維持しつつ、低比率あるいは高比率のコドン対を担うように再コードされた2種のキメラ系統のウイルスを産生するものである。

後者においては境界性の効果が見られたが、低比率のコドン対を担うキメラウイルスは、翻訳を減らし、細胞に感染することもあまりできず、マウスにおける病原性を減少させる結果を示したのである。

Virus Attenuation by Genome-Scale Changes in Codon Pair Bias
p. 1784-1787.

結果の質を担保するものが、一般論としてはあるのだが個別に論じたり判断したりする事が"タブー"となる場合、全体として、結果は達成できたけど『人の生活は何も変わらなかった』って事になる可能性は大きい。

その場合、同じ結果を得るための方法の違いによって質が担保されるのなら、十分考慮すべきだと思うのだが・・・・・。医療の問題に関わらず。
 
 
 
1年程前のエントリー『がん細胞自殺の仕組み解明 山形大、新治療の可能性も』で"尻切れトンボ"になっていた、HIF-1 と(ミトコンドリア)電子伝達系との接点なんだけど、免疫との繋がりから、何かが解りかけている?!

地球上に真核生物が誕生するにあたって、ミトコンドリアと古細菌の共生が有力視されている。エネルギー効率の面のみからの考察では、必然性に説得力は無いのだが、進化とは、得てしてそんなものかもしれない。

細胞のサイズを大きくすることが出来たのも、外界と界面を膜だけ(細胞壁を脱ぎ捨てた)にした為で、おまけに運動能力も獲得できた。その結果、エネルギーを自ら生み出さなくても、周りの生物を貪食すればOKってな具合に。。。。

どちらか一方が優れているなら、現在生きている生命体はどちらか一方に収束したはずだが、そうでないのは、一長一短があるからなのだろう。そして、お互いが独立している事もあれば、片利共生もあり、相利共生もあり、簡単に言葉には出来ない。

免疫:低酸素状態と自然免疫の古くからの結びつき

Nature vol.453 (7196), (5 Jun 2008)

いくつかの証拠から、進化的に古い2つの細胞防御機構である自然免疫と低酸素応答の間にはつながりがありそうだと考えられている。

今回、単一のタンパク質が両方の応答に不可欠であることがわかり、この結びつきが実証された。

低酸素状態に対する細胞応答は、低酸素濃度によって引き起こされ、低酸素誘導性因子-1α(HIF-1α)によって制御される。

新しい研究で、自然免疫応答の主要な調節因子である転写因子NF-κBが、このHIF-1αの転写を調節していることが示されたのである。

Letters to Nature p.807


遺伝子を核膜内という箪笥にしまって、多細胞化とエネルギーの効率化を求めた結果、多細胞生物は遺伝子の乗り物になったわけだ。乗り物はやがて老朽化する事を前提に。


多民族国家が最低限のレベルで巧くやっていく為には、結局はみんなが納得する"法"に頼らざるをえない。思想・心情・宗教・道徳心に頼っていてはダメだ。思想・心情・宗教・道徳心は生活の質を高める事は出来たとしても。

そして、法を守らない者は、処刑される。


人間の体を構成する細胞のうち"法"を守らなくなったのが"がん細胞"だ。

遺伝子を次世代に繋ぐ為に、その乗り物は、ある期間を過ぎたら処分されなければならない。その為のシステムを、多細胞生物はミトコンドリアと古細菌が共生始めた頃から後、その仕事をミトコンドリアに任せた。

"がん"は一言で言えば、ミトコンドリアの機能を引き出せなくなった状態と言い換えることが出来る。アポトーシス(細胞の自殺)を実行に移せるのはミトコンドリアだけだからだ。


前半は、抽象的な表現で"質"を問題にした。

現代医学は"がん"を治療する為に色々な方法を考え出したが、決定打に至っていない。

細胞の核の中にある"遺伝子"とミトコンドリアの遺伝子は、『物差しで測れば距離は近いけど、その距離は現代医学をもってしてもたどり着けない程、遠い』と言えるのだろう。

それ故、"質"を問題にするのは、なかなか難しい・・・・。

2008年07月11日

多様性が生む協力行動

20080711_variety.jpg多様性が失われると、公共の利益を無視する輩が増えるって事は、みんなウスウス感じていると思う。

学校での個性を無視した集団教育、"協調性"などと詭弁を弄した価値観の押し付けが、金太郎飴みたいな人間を量産する事になる。

しかも、その価値観の共有は、くだらないものに対してほど顕著なのは、どこがおもしろいんだか解らない"お笑い"が流行っている事からも証明される。


そして、その教育の現場の教師が、私利私欲の果てに免許されていた・・・・・・。


もう、日本はダメかもしれない。

Nature vol.454 (7201), (10 Jul 2008)

人間は互いに協力し合うことも多いが、公共の利益を無視しようという誘惑は共同的な協力行動に打ち勝つ傾向があり、これがいわゆる「共有地の悲劇」を招く。

既存の多くのモデルは個人間には差がないとして扱っており、多様性や集団構造を無視している。

Santosたちは、不均質グラフによって導入した社会的多様性が、公共財ゲームにおいて協力行動の出現を促進させることを理論的に示している。

Letters to Nature p.213


あるサイトで、『弱者をモンスターと呼ぶのは、我々の業界(マスコミ)の常識では、以前なら考えられない事だった』という趣旨のコラムを読んだ。

マスコミには、弱者がどんなに悪くても、強者の味方はしないという不文律があるのだそうだ。(マスコミの人間がいうのを始めて聞いた)

今、そのマスコミでさえ、弱者の中にいるモンスターを指摘しなければならなくなっている。


医療崩壊や学校崩壊は言うに及ばず、教師の採用試験まで、モンスターのおかげで遣り甲斐が失われているとしたら、、、、、


今回は、短くしてみた。文章は長くすると"ボヤケ"、短くすると"鋭くなる"のだそうだ。このエントリーはそういう狙いである。

多様性があるということは、秋葉原の無差別殺人犯を産む事にも繋がるのだが、公共の利益を最大にする(互恵的利他行動)という進化の賜物も享受できるのだ。

2008年07月16日

市民権

20080716_citizens.jpg「日本の1人当たり医療費は先進国中最低であり、一方で国民負担率は既に世界一だ。格差社会が問題となっている今、これ以上の国民負担増は如何なものか。負担増の前に、既存の予算の見直しが先決だ」

よく、こんな言葉を耳にする。しかし、、、

1人当たり医療費は先進国中最低なのは、当然のことだ。だって、鼻水たらしただけで病院に行くし、水虫だって病院に行かなきゃならないし、最近はデブとハゲも病気だ。

一旦治療を始めたら、心臓が動く限り(無理やり動かしながら)治療を止めることはない。治る見込みには関係なく。

国民全員が"保険料"を納めるわけだが、使う人(病院に行く人)が少なければ、個人負担は少なく、一人あたりの医療費は多く出来る事は、小学生だってわかることだ。


何故、そこ(必要がないのに病院に行く、治療を続ける意味がないのに治療を続ける)に"メス"を入れないんだろう?医師不足や医療費問題の根本的な原因だろ?


道路の建設には目くじらを立てる人も、必要のないのに病院に行く人には目くじらを立てない。


国を挙げて、禁煙をさせたがっている。喫煙は悪だ!と。

そんなにタバコを吸わせたくないなら、小学生の頃から最低でも1週間に1回、喫煙者で肺がんで亡くなった"肺臓"の標本を、絞るとタールがにじみ出る組織を見せたらいい。

『タバコを吸うのは自由だから止めないけど、こうなるのは自己責任だから、なってからは誰にも文句は言えないよ』とすれば良い。9割9部9厘、喫煙は抑制できるだろう。


何故、そんな簡単な事も出来ないんだろう?平日に休暇の取れる医師や薬剤師で子供がいる人はたくさんいるはずだ。私だったら、請われれば無報酬でも学校に行くのに。
 
 

 
古代ギリシャのアテネやスパルタ、ローマの時代にも、"市民"、"市民権"なる言葉があった。

それを"日本の"辞書で引いてみると、、、、、

しみん【市民】
1 市の住民。市に住む人。都市に住んでいる人。都会人。
2 (英citizenの訳語)西洋で、国政に参与する地位にある国民。公民。
3 (フランスbourgeoisの訳語)西洋近代史で、前代の貴族や僧侶にかわって政治的権力を得た人々。市民階級。

しみんけん【市民権】

市民としての行動・思想・財産の自由が保障され、国政に参加することのできる権利。国民の権利。民権。公権。


他の辞書で引いてみても、大方、この説明で違いはないだろう。

とっても、日本的だ!

権利ばっかり主張して義務や責任・制限を受け入れない日本人の特徴が、よく顕れていると思う。辞書ですらこれなんだからね。(辞書を作る側も現代の市民の反発が怖くて義務や責任に触れられないんだろう)

アテネやスパルタ、ローマの時代の市民、市民権という言葉には、権利と供も義務も併記されていた。当時は市民権を持つものの義務は兵役だ。兵役を金で免除するなどの行為は認められなかったし、そのような行為は"恥"とされた。金で免除できたり、兵役を負わないのは市民じゃない。

それらの文化を受け継ぐ西欧の人たちは、権利の裏には義務・責任があることを、肌で知っている、っていうか、遺伝子に刷り込まれている。(エピジェネティックな遺伝かもしれない)


私の知る限り、日本人に"義務・責任"の感覚は無い。

私は、日本の近代史、日本文化に詳しくない。昔から日本人は"義務・責任"の感覚が無かったのか、あるいは、それは最近の事なのか?

これはこれで、興味深いのだが、冒頭の言葉を正当化し、こんな事を正義漢ぶって叫んでいる奴らが、日本人に権利意識だけを助長させせていることは間違いない。

2008年07月25日

汝自身を知れ(Know Thyself)

20080825_Know_Thyself.jpgバクテリアのような単細胞生物でも、集団となればそれなりに"知恵"が働くようになる。こんな事が出来る生命を作り出せるなんて、やっぱり神の存在を肯定するしかない。こういう現象が、神の存在を感じさせるのかもしれない。いわゆるインテリジェントデザインという意味において。。。。

神といえば、日本では"天皇"を連想する人もいるだろう。8月になればいやでも戦争を意識させられ、『天皇=神がイカン』だとかほざく連中が湧いてくる。

そういえば、天皇の男系に固執する人たちが、Y染色体なんぞを持ち出したりしているが、こっちでも、これを根拠にした瞬間に科学がエセ科学に転落してしまう。

私は"伝統"に科学的根拠は必要ないと思っているから(だから、天皇は男系を支持する)、こんな幼稚な"理屈"をふりまわされると、かえって萎えてしまう。

Science July 11, 2008, Vol.321

病原性細菌プロテウス・ミラビリスの細胞は、凝集して塊となり、コロニーを形成するが、このコロニーは他のコロニーと出遭うと、自己と他者とを区別できるのである。

プロテウス属は、同じ種に属する侵入者を、proticines と呼ばれるポリペプチドを武器にして、検出、阻止できるのだ。

Gibbsたちは、プロテウスのこの自己-非自己認識システムの遺伝的基礎を調べて、一般的および特異的な認識の決定要因を構成するとおぼしき6つの遺伝子の座位だけでなく、アクセサリ遺伝子の座位も発見した(p. 256)。

感染した宿主において、プロテウス・ミラビリス感染は通常クローン的なものであるので、この認識システムは、確立されたクローンが他のクローンによって重感染されるのを防ぎ、競合を回避するための方法となっているのである。

Genetic Determinants of Self Identity and Social Recognition in Bacteria
p. 256-259.


こういう現象を『知恵がある』って見るから神が存在しちゃうんだよね。これは、現象であって知恵じゃない。ただ、存在していて、偶然獲得した機能が運良く働いただけ。

私の尊敬する免疫学者の多田 富雄 氏の著書で、マリンパの雑感"私的・面白かった度"でも紹介している【生命の意味論】に、こんなフレーズがある。

女は存在だけど、男は現象である。


私は、この言葉が忘れられない。非常にユニークな視点であり、本物の学者の思考回路を垣間見た気にさせてくれた"名文"だ。

まさに、男(オス)は現象なのだ!!(興味が沸いた人は、プチっとクリックして購入してね!)

さらに、オスの三毛猫の存在が、Y染色体の価値を下げてくれる(?)。Y染色体は神々しくもないし、生命に重要なものを与えてくれるわけでもない。

何故、三毛猫にオスはいないのか?』や【エピジェネティクス入門 三毛猫の模様はどう決まるのか】を読んでもらっても良いのだが、簡単に言うと、三毛猫のオスは、人間で言う"クラインフェルター症候群"であり、性染色体がXXYとなっているだけなのだ。

さらに、人間で言う"ターナー症候群"は、性染色体がXであり、Yは無い。もともと、人間はY染色体が無くても生きていけるのだ。(生殖能力は無いけれど)


こんなY染色体を登場させて、さも曰くありげに天皇の男子男系を崇め奉るのは、知っているだけに萎えちゃうのだ。そんなもの登場させずに、"伝統"の一言で決め付ければいい。伝統とはそういうものだ。それ以上の説明はいらない。

強いて言えば、価値観の範疇だ。

それを敬っている人、重んじている人、深く考えている人が納得して信じていれば、それに対して不敬な人、軽んじている人、何も考えて無い人がとやかく言う筋合いではない。
 
 

 
まぁ、それはさて置き、私はこのブログに色々と書いているように、価値観の多様性は推奨こそすれど、全く否定するものではない。が、さすがに、一昨日の出来事には閉口した。

こんな"クソ野郎"どもは、私が北斗神拳をマスターしていたら、間髪入れず秘孔を突いてやっただろう。45年間、生きてきて、これほどはらわたの煮え繰り返った事をされたのは初めてだ。

状況はこうだ。

帰宅路は商店街と住宅街を抜けている。昔からある道路なので、幅は狭い。車が行き交うには微速前進で慎重にしなければならない。当然、センターラインも歩道も無い。朝はスクールゾーンに指定され、許可車以外の通行は制限される。

そんな道路での帰り道。私と対向する車があり、後ろからも車が迫っていた。

車どおしはすれ違う為に徐行しなければならないが、後ろから来る車にとっては、私が邪魔になり、最徐行を余儀なくされていた。

私は避ける場所も無いので、当然、そのまま歩きつづけたわけなのだが、なんと、その車の運転者は、アクセルをあおりエンジンを唸らせて、私を威嚇したのだ。

こんな事をされたのは、生まれてはじめてである。

というか、車を運転する人は、このような道路では、歩行者保護を最優先しなければならない筈である。自動車優先道路(高速道路)では躊躇なく跳ね飛ばして良いが。

私は、すれ違いざまに、その行為に抗議の意味をこめて睨みつけてやったらそして、こともあろうに、その"クソ野郎"運転手は、私を睨み返してきたのである。

頭にきた私は、ツバを吐きかけやった。運転手が車を止めて下りようとしたら、間髪いれずに先制攻撃(とび蹴り)するつもりで。

車は、そのまま走り去ったのだが、少しの間、私は怒りで震えが止まらなかった。

無知・無教養なアホ面、太り気味、浅黒く日焼けした肉体労働者風で窓からだらりと下げた手には吸いかけのタバコ。そのまま、それをポイするような"下衆野郎"に唸りを上げるエンジンで威嚇されたかと思うと、悔しくて情けなくて、、、、

だけど、そんな"クソ野郎"をギャフンと言わせる為に、それこそ知恵を絞っているうちに、怒りより脱力感に襲われてきたのだ。

携帯電話で証拠写真をとり、歩行者を威嚇する行為(道路交通法違反)を警察に通報し、とっちめてやる事自体が、虚しく感じてしまったのだ。(たいした知恵じゃないけど)

こんな"クソ野郎"と一分一秒でも関わりを持つ事自体が、汚らわしいというか、全く無益で生産性も無く、嫌悪すべき事に感じられてきたのだ。(殺人事件の被害者家族が、復讐よりも関わりあいたくないという気持ちもあるというのが、なんとなくわかった)

人を風体で決め付ける事に不快感を感じる人もいるだろうけど、こんなことされたら、誰だって私と同様に感じるだろう。(もし、私がヒトラーになれたら、粛清したい筆頭だ。。。世の中で使い道はあるからやらないけど・・・)


これが現実だ。


私が45年間生きてきて、初めて出合った程のヤツとは言っても、それほど希少なわけじゃない。私の人生ですれ違っただけの人を含めても、人の数は、延べ人数にしたら、たかが数万、多くて数十万人だろう。100万人はいないはずだ。日本の人口を考えれば、こんなアホも存在率からいって、、、、かなりのもの。。。。

無知・無教養なアホも、秋葉原の通り魔のように正規分布にしたがい確実に存在し(だから、粛々と社会から排除するしかないのだが・・・)、自分勝手な"理屈"を他人に押し付けてくる。この"クソ野郎"にとっては、円滑な交通の流れを盾にとり、私を邪魔物扱いしたのだろう。

円滑な交通の流れを盾にとり、交通規則を破る事を正当化するような、頭の悪い奴らが、この手の風体のヤツには多いことは間違いない。

ここを読んでくださる方々にとっては笑ってしまうような話だと思うが、円滑な交通の流れの為にスピード違反は正当化されると本気で主張するヤツが、世の中にはいるのだ。流れに乗ってスピード違反する事は仕方なくする(私も当然違反する)ことで、どんな理由も違反を正当化する事にはならないという事が理解できないような脳みその萎縮した連中が。(私も面白がって某掲示板を見ていたクチだけど、今は読んでるとムカつくから、お気に入りから削除した)


本来なら当事者の私が、こんな"クソ野郎"どもを更生させるために行動するべきなのだろうが、心底、マジ、やりたくない。

そのうち、重大な事故をやらかして、誰かにとっちめられるまでは、放っておく事にする。裁く側に回ったら(裁判員)、間髪をいれずに、もっとも重い量刑を科してあげるつもりだ。


ところで、こんな価値観の"クソ野郎"も裁判員になる・・・・・・って考えたら、やっぱり、これは恐ろしい制度だ。そして、こんな"クソ野郎"に『汝自身を知れ』と言う事の無力を思い知る事になるのだろう。

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