バクテリアのような単細胞生物でも、集団となればそれなりに"知恵"が働くようになる。こんな事が出来る生命を作り出せるなんて、やっぱり神の存在を肯定するしかない。こういう現象が、神の存在を感じさせるのかもしれない。いわゆるインテリジェントデザインという意味において。。。。
神といえば、日本では"天皇"を連想する人もいるだろう。8月になればいやでも戦争を意識させられ、『天皇=神がイカン』だとかほざく連中が湧いてくる。
そういえば、天皇の男系に固執する人たちが、Y染色体なんぞを持ち出したりしているが、こっちでも、これを根拠にした瞬間に科学がエセ科学に転落してしまう。
私は"伝統"に科学的根拠は必要ないと思っているから(だから、天皇は男系を支持する)、こんな幼稚な"理屈"をふりまわされると、かえって萎えてしまう。
Science July 11, 2008, Vol.321
病原性細菌プロテウス・ミラビリスの細胞は、凝集して塊となり、コロニーを形成するが、このコロニーは他のコロニーと出遭うと、自己と他者とを区別できるのである。
プロテウス属は、同じ種に属する侵入者を、proticines と呼ばれるポリペプチドを武器にして、検出、阻止できるのだ。
Gibbsたちは、プロテウスのこの自己-非自己認識システムの遺伝的基礎を調べて、一般的および特異的な認識の決定要因を構成するとおぼしき6つの遺伝子の座位だけでなく、アクセサリ遺伝子の座位も発見した(p. 256)。
感染した宿主において、プロテウス・ミラビリス感染は通常クローン的なものであるので、この認識システムは、確立されたクローンが他のクローンによって重感染されるのを防ぎ、競合を回避するための方法となっているのである。
Genetic Determinants of Self Identity and Social Recognition in Bacteria
p. 256-259.
こういう現象を『知恵がある』って見るから神が存在しちゃうんだよね。これは、現象であって知恵じゃない。ただ、存在していて、偶然獲得した機能が運良く働いただけ。
私の尊敬する免疫学者の多田 富雄 氏の著書で、マリンパの雑感"私的・面白かった度"でも紹介している【生命の意味論】に、こんなフレーズがある。
女は存在だけど、男は現象である。
私は、この言葉が忘れられない。非常にユニークな視点であり、本物の学者の思考回路を垣間見た気にさせてくれた"名文"だ。
まさに、男(オス)は現象なのだ!!(興味が沸いた人は、プチっとクリックして購入してね!)
さらに、オスの三毛猫の存在が、Y染色体の価値を下げてくれる(?)。Y染色体は神々しくもないし、生命に重要なものを与えてくれるわけでもない。
『何故、三毛猫にオスはいないのか?』や【エピジェネティクス入門 三毛猫の模様はどう決まるのか】を読んでもらっても良いのだが、簡単に言うと、三毛猫のオスは、人間で言う"クラインフェルター症候群"であり、性染色体がXXYとなっているだけなのだ。
さらに、人間で言う"ターナー症候群"は、性染色体がXであり、Yは無い。もともと、人間はY染色体が無くても生きていけるのだ。(生殖能力は無いけれど)
こんなY染色体を登場させて、さも曰くありげに天皇の男子男系を崇め奉るのは、知っているだけに萎えちゃうのだ。そんなもの登場させずに、"伝統"の一言で決め付ければいい。伝統とはそういうものだ。それ以上の説明はいらない。
強いて言えば、価値観の範疇だ。
それを敬っている人、重んじている人、深く考えている人が納得して信じていれば、それに対して不敬な人、軽んじている人、何も考えて無い人がとやかく言う筋合いではない。
まぁ、それはさて置き、私はこのブログに色々と書いているように、価値観の多様性は推奨こそすれど、全く否定するものではない。が、さすがに、一昨日の出来事には閉口した。
こんな"クソ野郎"どもは、私が北斗神拳をマスターしていたら、間髪入れず秘孔を突いてやっただろう。45年間、生きてきて、これほどはらわたの煮え繰り返った事をされたのは初めてだ。
状況はこうだ。
帰宅路は商店街と住宅街を抜けている。昔からある道路なので、幅は狭い。車が行き交うには微速前進で慎重にしなければならない。当然、センターラインも歩道も無い。朝はスクールゾーンに指定され、許可車以外の通行は制限される。
そんな道路での帰り道。私と対向する車があり、後ろからも車が迫っていた。
車どおしはすれ違う為に徐行しなければならないが、後ろから来る車にとっては、私が邪魔になり、最徐行を余儀なくされていた。
私は避ける場所も無いので、当然、そのまま歩きつづけたわけなのだが、なんと、その車の運転者は、アクセルをあおりエンジンを唸らせて、私を威嚇したのだ。
こんな事をされたのは、生まれてはじめてである。
というか、車を運転する人は、このような道路では、歩行者保護を最優先しなければならない筈である。自動車優先道路(高速道路)では躊躇なく跳ね飛ばして良いが。
私は、すれ違いざまに、その行為に抗議の意味をこめて睨みつけてやったらそして、こともあろうに、その"クソ野郎"運転手は、私を睨み返してきたのである。
頭にきた私は、ツバを吐きかけやった。運転手が車を止めて下りようとしたら、間髪いれずに先制攻撃(とび蹴り)するつもりで。
車は、そのまま走り去ったのだが、少しの間、私は怒りで震えが止まらなかった。
無知・無教養なアホ面、太り気味、浅黒く日焼けした肉体労働者風で窓からだらりと下げた手には吸いかけのタバコ。そのまま、それをポイするような"下衆野郎"に唸りを上げるエンジンで威嚇されたかと思うと、悔しくて情けなくて、、、、
だけど、そんな"クソ野郎"をギャフンと言わせる為に、それこそ知恵を絞っているうちに、怒りより脱力感に襲われてきたのだ。
携帯電話で証拠写真をとり、歩行者を威嚇する行為(道路交通法違反)を警察に通報し、とっちめてやる事自体が、虚しく感じてしまったのだ。(たいした知恵じゃないけど)
こんな"クソ野郎"と一分一秒でも関わりを持つ事自体が、汚らわしいというか、全く無益で生産性も無く、嫌悪すべき事に感じられてきたのだ。(殺人事件の被害者家族が、復讐よりも関わりあいたくないという気持ちもあるというのが、なんとなくわかった)
人を風体で決め付ける事に不快感を感じる人もいるだろうけど、こんなことされたら、誰だって私と同様に感じるだろう。(もし、私がヒトラーになれたら、粛清したい筆頭だ。。。世の中で使い道はあるからやらないけど・・・)
これが現実だ。
私が45年間生きてきて、初めて出合った程のヤツとは言っても、それほど希少なわけじゃない。私の人生ですれ違っただけの人を含めても、人の数は、延べ人数にしたら、たかが数万、多くて数十万人だろう。100万人はいないはずだ。日本の人口を考えれば、こんなアホも存在率からいって、、、、かなりのもの。。。。
無知・無教養なアホも、秋葉原の通り魔のように正規分布にしたがい確実に存在し(だから、粛々と社会から排除するしかないのだが・・・)、自分勝手な"理屈"を他人に押し付けてくる。この"クソ野郎"にとっては、円滑な交通の流れを盾にとり、私を邪魔物扱いしたのだろう。
円滑な交通の流れを盾にとり、交通規則を破る事を正当化するような、頭の悪い奴らが、この手の風体のヤツには多いことは間違いない。
ここを読んでくださる方々にとっては笑ってしまうような話だと思うが、円滑な交通の流れの為にスピード違反は正当化されると本気で主張するヤツが、世の中にはいるのだ。流れに乗ってスピード違反する事は仕方なくする(私も当然違反する)ことで、どんな理由も違反を正当化する事にはならないという事が理解できないような脳みその萎縮した連中が。(私も面白がって某掲示板を見ていたクチだけど、今は読んでるとムカつくから、お気に入りから削除した)
本来なら当事者の私が、こんな"クソ野郎"どもを更生させるために行動するべきなのだろうが、心底、マジ、やりたくない。
そのうち、重大な事故をやらかして、誰かにとっちめられるまでは、放っておく事にする。裁く側に回ったら(裁判員)、間髪をいれずに、もっとも重い量刑を科してあげるつもりだ。
ところで、こんな価値観の"クソ野郎"も裁判員になる・・・・・・って考えたら、やっぱり、これは恐ろしい制度だ。そして、こんな"クソ野郎"に『汝自身を知れ』と言う事の無力を思い知る事になるのだろう。