民主主義の建前に於いては、国民の一人一人が自分の直接の専門分野でない様々な領域の問題の文脈とタームを理解し、冷静なる判断をもって清き一票を投じる事になっている。そして、マスコミや報道は、国民が判断を誤らないように中立に事実を提供することになっている。
しかし、実態は、国民は政治には他人事を決め込み、マスコミや報道は、伝えるべき事実に恣意的に、しかも、とにかく反体制的なバイアスをかけることに腐心している。
今、医療の世界の問題をスポーツの試合に見立てれば、個々のプレーヤーにとって、万全のプレーを行うのと、そのゲーム自体の制度的な妥当性を考察するのとでは、思考と意欲のベクトルの向きは正反対だ。一方でそのルールに基いて闘っていながら、他方でそのルールを疑ってみるというのはなかなか出来ない事である。
はっきり言うと、医療の中心にいる人達には、そのルールの妥当性を評価する事は出来ないと思う。
閲覧に関し医療職限定のあるサイトなどでは、医療の中心にいる人達から医療制度について色々な意見を拝見できるのだが、その意見のほとんどは、プレーヤーにとってのものだ。同様にクライアントである患者の意見もルールの妥当性を評価するには至っていない。
世間(やマスコミ)では"負の遺産"などと形容される小泉元首相の改革路線だが、私は、このベクトルが間違っているとはこれっぽっちも思っていない。
私のフィールドに限ってみても、現在、病院に通っている人達すべてが、公的資金で医療を受けられる事に妥当性を感じていないからだ。(他の分野は知らないけれど推して知るべしだろう)
個々(患者毎)に取り上げれば『情(じょう)に棹(さお)させば流される』のがオチだから、小泉元首相は"すばっ"とやったわけだが、本来、これを『間違っている』と言う方がおかしい。これを間違っているという人は『じゃ、どのレベルの人にまで情をかければいいの?資金が底を付いた時、全員を救えるの?』に具体的に答えなければならないだろう。
こんな質問に答えられる人はいない。結局、自然淘汰じゃないけれど、国として出来る事(限度)を示し、あとは現場に任せるしか解決方法は無いのだ。これとて『非情だ』と非難されるのだろうが、地球上の生物が生きていくって事は、そういう事じゃないのかな。
さてさて、政局は面白くなってきた。
私は、個人的なキャラクターとしては(外交や防衛の姿勢も)麻生さんが好きだけど、赤字国債乱発の近視眼的な財政政策だけは疑問を感じる。。。。もっとも、親分にならなきゃ話は始まらないんだから、リップサービス(大衆に迎合する政策)を以って総裁に就任し、20年後、30年後と、その後の子供達の世代に不安を感じない基礎作りをやってほしい・・・・・。
医療・福祉の資金源は経済の発展に依存させず、尚且つ、『保険料払ってんだから、病院に行かなきゃ損だ』みたいな感情を抱かせず、医学に過剰な期待を抱かせない、(金をかけてもかけなくても、ほとんど結果は同じなんだから)『貧乏人は死ねってことかぁ?』なんて被害妄想を抱かせない、、、、、、
(『ほとんど』の定義をしないと価値観の違いで問題が生じそうな文章だね、コリゃ!・・・・まぁいいけど。)
やっぱ、教育が大事!!ってことですかぁ?!
p.s. election も erection も日本人が発音するとどっちも『エレクチオン』だ。だから、横文字好きなキャスターもこれだけは英語にしない・・・・プっ。