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2008年10月 アーカイブ

2008年10月01日

マスコミが報道しない“研究開発強化法”

20081001_legislation.jpg私が、常々、マスコミに辛辣な言葉を浴びせている理由の一つに“報道のバランスを欠いている”という事がある。バランスを欠く理由が大衆迎合で、大衆が愚かである事は論を待たないが、今回はそこには目を向けないでおくことにする。

本来なら、大衆に迎合すべきではないのは、当然だが、彼らも霞を食っては生きられないからしょうがない。その点で言えば、全医療人も同罪だから、強い事は言えないし・・・。

さて、その“研究開発強化法”だが、実は今年(2008年)6月に議員立法で“ひっそり”と成立している。。。。『そんなこたぁ、俺らにはカンケェねぇ~』なんていうのは、早計だ。回りまわって医療費の抑制に貢献できるんだからね!『医療費の抑制に貢献できるなんて、信じられない』。。。そのご意見もごもっとも。。。


で、その法律は、小泉政権時代に成立した行政改革法により、日本の公的研究を担う独立行政法人や大学法人は人員の削減を余儀なくされた。このままでは、日本の研究開発力が危機に陥る。。。って事で、超党派(民主党・鈴木寛、自民党・林芳正ら)の議員が議員立法で成立させたものだ。ようは、研究に金を出させる法律って事。

よく、小泉元首相の規制緩和政策を批判する人がいるが、本音でものを言わず偽善者っぽく思われるからやめたほうが良い。もっとも『おかげで、商売、あがったりだ!』って“お怒りの人”なら、かまわないけど。(どっちも、かっこ悪いのは同じ!)

一見、単純に日本のことを考えたすばらしい法律に見えるこの“研究開発強化法”も、コレを隠蓑に甘い汁を吸う輩がいることを忘れてはならない。(刑法第39条を悪用して、無罪を勝ち取る輩がいるのと同じ・・・とまでは言わないけれど)

日本の公的研究を担う独立行政法人や大学法人に所属する研究者の全てが優秀で、正義感にあふれ、滅私奉公しているのかといえば、そうじゃない。

小泉改革は、こうした本音の部分で、無駄を殺ぎ落とす為に、絶対必要だったのだ。

だが、ノーベル物理学賞を受賞した小柴さんの『私の研究は、人々の生活には全く役に立たないが・・・』という言葉を用いての反論もあるだろうけど、その発生頻度は、極少だといわざるを得ない。。。。つまり、そのような研究者は例外中の例外だ。


と、こんな事を考えさせる為にも“バランス良く報道する事”を、マスコミ、新聞、報道に携わる人間たちには自覚してもらいたい。(でも、大衆迎合じゃなくって、無知・無教養に拠るものだとしたら、、、、ってこたぁねぇよなぁ)


だけど、こんな事を考えてしまう私だが、一見、単純に日本のことを考えたすばらしい法律に見えるこの“研究開発強化法”には、最大限の効力を発揮してもらいたいと願っている。科学者のモラルを世間に知らしめる為にもね。アメリカだったか、日本だったか、信頼できる職業の上位に研究者・科学者ってのがあるんだからね。


これにつられて思い出したのが、過去のエントリーのコレ。
危険・・・?』『カウントダウン開始 --- シミジミと。

人間ってのは、理屈をひねくり回していると、過去にも同じ思考回路が刺激された事を思い出すらしい。

病院で遺伝子的検査を一回するたびに、その料金の一部は、パテントとして海外に流出するのだ。これは、由々しき事態で、“研究開発強化法”をもって、バンバン研究者に金を与えねばなるまい。。。。。(イキナリ短絡的)

まぁ、医学・生物学的研究に限って言えば、臨床的な恩恵を受けられる研究ってのは、ほとんど無いって見方も出来るわけで、そこまで言ったら金を出す必要が無くなっちゃうから、全ての研究は、将来の為の礎に・・・という事で、資金投入の大義名分としましょう。

「ラスカー賞」を受賞した遠藤章博士の発見が、コレステロール代謝のネットワーク解明に繋がったんで、その生物学的な意義は計り知れない。当然、ノーベル賞クラスの研究である事は当然だと思う。(そもそもノーベル賞ってのはそういうもんだし。アレ、でもこの流れの中で、LDL-C受容体の発見って、既に誰かノーベル賞もらってんじゃなかったっけ?!)

でも、そもそもの医薬品(スタチン)については、残念ながら、、、、という評価も仕方がない。臨床試験をやったって、その結果は、ポジティブだったりネガティブだったり、、、差が出ても“目くそ鼻くそ”程度だったり。評価だって、いかようにもなるようじゃ、臨床的な恩恵を受けてるとはいい難いわけで。(数学の背理法でいけば、論証が行き詰まる訳だから『LDL-C が悪者』を真理としている事自体が間違っていると証明できるし!!)


遺伝子検査をするにあたり遺伝子を増やす為に PCR法 が必要不可欠で、、、、の様に、この医薬品(スタチン)の発見からわかった事が、将来、“大化け”する事を期待して研究者の皆さんに投資するとしましょう。

短期的な“焼け石に水”のような経済政策は、、、、やめてもらいたいよ。麻生さん!大衆に解り易いからってね!!

2008年10月03日

政治的立場(Political Baggage)

まずは、以下をお読みくだされ。

Science September 19 2008, Vol.321

政治的態度は経験と環境によってのみ形成されると考えられてきたが、この事象への我々の応答は、或る程度「生まれつき刷り込まれた(hard wired)」生来的なものではないかという研究が始まっている。

Oxleyたち(p.1667)は、政治的に強い信念を持つ被験者に、急激な騒音や恐ろしい絵(例えば眼球の上をクモが動き回る絵といった)の刺激に明らかに鈍感で弱い反応を示すグループの人たちは、外国への援助やリベラルな移民政策、平和主義、銃の規制に対して、これを支持するような態度を示すのに対して、上記刺激に明らかに敏感で強い反応を示す人たちは、防衛費の増額や、死刑、愛国主義、イラク戦争賛成のような政治的立場を支持する傾向があった。

Political Attitudes Vary with Physiological Traits
p. 1667-1670.


20081003_Political_Baggage.jpgつまり、これは、、、、周りの状況(環境)に対して、生存本能が刺激されるかどうか?危機意識が刺激されるか?って言葉に置き換えられるのかな??

『急激な騒音や恐ろしい絵』ってのは、その昔、人間が動物だった頃には、生存の危機に直面する場面に相当する。恐怖心ってのは、生存の機会に直結する大切な感情だから、過去に於いては、この感情が“ゆるい”個体は淘汰された。まぁ、偶々、ラッキーで生き続け、生殖年齢に達して子供を残した場合もあるだろうから、危機意識の“ゆるい”遺伝子も現存するんだけど。

現代社会では、『急激な騒音や恐ろしい絵』が一次的にその個体の死を意味しなくなった為に、危機意識の“ゆるい”遺伝子も増えてきて、それは、淘汰圧のかかる因子ではなくなったと考えるのが、素直だと思う。危機意識が“ゆるい”方が、なにもしなくて楽だから増えるというシナリオもある。


そう考えると、『防衛費の増額や、死刑、愛国主義、イラク戦争賛成のような政治的立場を支持する傾向』が危機意識の過敏な人にあるのは当然だと考えられる。

逆に、『まぁ、大丈夫なんじゃないのぉ~』と脳天気な危機意識の“ゆるい”人たちは、自分で積極的に自分の身を守る事をしなくても生き延びられる環境を構築したがる傾向、すなわち、『外国への援助やリベラルな移民政策、平和主義、銃の規制に対して、これを支持する』が納得できる。


ふむふむ、なるほど、、、そうすると、、、、、、、

幕末から明治維新にかけて輩出された“偉人”たち、それから彼らに思想的に大きな影響を与えた松下村塾・吉田松蔭はどんな性格だったのか?なんて、事が気になってきたりする。。。


その前に、世界の偉人達の“言葉”を考察してみるとする。。。。

◆「国家が滅ぶのは、劣悪な人々を
     優れた人々から、区別することができなくなるときだ」
          ~ 古代ギリシャの哲学者 アンティステネス ~

・・・この時代なら“劣悪な人々”は“危機意識のゆるい人”で、“優れた人々”は“危機意識の過敏な人”かなぁ。そんな気がする。


◆「人生はアップで見ると悲劇だが、
                 ロングショットではコメディだ」
           ~ チャップリン イギリス 映画俳優・監督 ~

・・・チャップリンの映画『独裁者』を見ると、チャプリンが“刺激に明らかに鈍感で弱い反応のタイプ”ということがわかるが、“危機意識のゆるい人”かどうか?はわからないなぁ。


◆「理想主義のない現実主義は無意味である。
                  現実主義のない理想主義は無血液である」
            ~ ロマン・ロラン フランス 作家 ~

・・・確かに、大衆(無知・無責任)=“刺激に明らかに鈍感で弱い反応のタイプ”が望まないなら、どんな“良策”も意味をなさないが、大衆(理想主義)にまかせると『死んでしまう』事になる。。。うーん、進化論てきぃ~。


◆「正直は最善の政策である」
            ~ ゼノン ギリシャ 哲学者 ~

・・・大衆を不安に陥れないように、嘘をつく(嘘も方便)のは、やはり最善ではないんだよな。『財源はどこかにある』なんて事を“危機意識のゆるい人”は言うんだけど、正直じゃないのは、私にもわかるよ。


◆「わたしたちのひとりひとりが、自分をみがかなければ、よりよい世界は築けません。
  この目的のむかって、わたしたちはみな、自分の力をできるだけのばし、
  同時に、人が生きるうえでの、それぞれの責任をはたさなければなりません」
                 ~ ノーベル賞受賞の大科学者 キュリー夫人 ~
・・・さすが、キュリー夫人は良いこと言いますねぇ~。『一人一人が危機意識を持て』ってことですねぇ!福沢諭吉爺の『学問のすすめ』に通じます。「諸外国に負けない為には勉強しろよ」ってね。。。。あっ!キュリー夫人の言葉は自国の幸せだけに限定してないかもね。福沢先生とは、ちと違うのか?


◆「反対のための反対、悪意、悪口、ただ否定することしか
      できないものを、ことごとく厳しく斥けなければなりません。
               ただの否定からは、何も生まれてこないのですから」
                ~ドイツの文豪・ゲーテ~

・・・『反対のための反対』は現代の日本に於いても、よく見かけるんだけど、彼らの行動は、、、意味不明だよなぁ。


って事で、なんか、見えてきたけど、、、、結局、危機意識の高い人は環境の変化に強くて、自分で積極的に環境に介入し、生き残ろうとするんだけど、危機意識の低い人は、それをやらない。

人間が動物だった昔々には、危機意識の高い人が生き残る事に対して、危機意識の低い人が『それは不公平です』と文句を言わなかった。

現代は違って、危機意識の高い人が生き残る事に対し、『ずるい』と言われてしまう。だから、まず、『それは不公平です』が出ないようにする事が最優先される。

って事だから、なにもかも『難しい・・・』のかも。


閑話休題。幕末から明治維新にかけて輩出された人たちは、当然、日本が諸外国から侵略され、あるいは取り残され・・・と危機的状況な現実を知っていた。

こういう時代なら、当然、危機意識が高い人、すわわち、恐怖に敏感に反応するタイプが活躍出来、当然、目立ったのだろう。

◆「勇気とは恐怖への抵抗であり、恐怖を支配することである。
                    恐怖が存在しないことではない」
            ~ マーク・トゥエイン ~

言葉を変えれば、恐怖に敏感に反応するタイプだけれど、“勇気”がある人たちだったとも言うことだけは、間違いなさそうだ。


危機意識の高い人が、日本人の人口に何割なのかは知らないけれど、結局、“外野席”で騒ぐだけの“勇気”の無い人達が、圧倒的なのは間違いないだろう。

自分の政治的立場から、私は、危機意識の高いグループに入るけど、“勇気”は、間違いなく“無いっ!”。

うーーむ、ちょっとかっこ悪いかもぉ~~~~。

(注意:上の写真を見て北朝鮮だと思った人は、かなりマスコミに洗脳されてますよん)

2008年10月11日

『心底惚れた女が、実は男だった』って感じ?

20081011_bi_sexal.jpgおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!

癌という病気が“怖い”のは『転移するからだ』の“転移”は、細胞が“癌”になってから別の臓器に移動して、そこで成長するってプロセスを辿る事だとばっかり思っていた。

しかし、この論文によると、癌になる前から、たとえば、肝臓の細胞は肺に“移り住んで”いて、後から“癌”になる事もあると。

ひぇ~~~~~、これって、『心底惚れた女が、実は男だった』って感じじゃない!?

ガンの転移を再考する(Rethinking Cancer Metastasis)

Science September 26 2008, Vol.321

ほとんどの人のガンによる死亡は、原発性のガン細胞が体の新しい部位に伝播して拡散する転移によって起きる。

途中の血流中を生き延び、新規の組織の環境に定着することを含め、転移性細胞は複雑な一連の段階をうまく切り抜けなければならないので、転移はガンの進行における遅い段階で起きるとこれまで考えられていた。

Podsypanina たち(p. 1841,8月28日オンライン出版、および、Kleinによる展望記事参照)によると、転移プロセスの開始は以前考えられていたよりもっと前かららしい。

正常なマウスの乳房細胞を遺伝子操作して、ガン遺伝子発現のタイミングを実験的に制御し、これをマウスの血流中に注入した。

驚いたことにガン遺伝子の発現がないときは、正常な乳房細胞は肺まで移動し最大16週間生存するが、ガン遺伝子が活性化するまでは攻撃的成長を開始しなかった。

このように腫瘍転移は、播種性の正常な (前悪性)細胞から発生し、遺伝的な変化が悪性になるまで臨床的には黙ってじっと待っている。

Seeding and Propagation of Untransformed Mouse Mammary Cells in the Lung
p. 1841-1844.
CANCER: The Metastasis Cascade
p. 1785-1787.


この論文では言ってないけど、もしかしたら、“転移”って現象は正常な生命現象かもしれない。だとすると、、、、、転移をターゲットにすると、ホメオ・スタシスに影響が出ちゃう・・・・。(例えば、組織固有の幹細胞の出自を探ると・・・・)

以前は、転移という現象は“癌細胞固有”だと考えられていたから、コレをターゲットにしようとしたんだけど、これが生命現象の一部だとすると副作用は・・・・・。


そんなことより、固形癌の外科切除、転移予防の為のリンパ節の郭清手術する“意義”の問題になるのは、確実だよね?

念のため、きれいさっぱり切り取っても、1年後、遠隔転移が発見されちゃう人ってのは、既に、原発癌の手術をした時点で、転移していた・・・・・・って事にもなるんだからね。。。これじゃ、リンパ節の郭清手術は意味がなくなっちゃう。

原発性の癌が“病気”として見つかった時点で、ルーツを同じにする別の細胞が既に他の臓器に移り住んでいて、それがわかりやすい“ブドウ糖の取り込みの増大”などの性質を示していないんだから、存在の確認しようも無い・・・・・・。
 
 
 
アリストテレス以来の演繹による理論的推論(※『すべての人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死ぬ』が有名)に異を唱えたベーコンは、今日の科学者が用いる帰納的研究法を考えたといわれている。そのベーコンの言葉を引用すると、、、

 自然の微妙なところは、感覚や理解力の微妙さの何倍も微妙である。そのため、人々がかまけている、もっともらしい省察、思弁、虚飾は、その目的から全く離れ、結局、それを観察する人がいない。

 三段論法は、科学の第一原理には適用されないし、中間の公理に適用しても無駄で、自然の微妙なところとは比べ物にならない。それは命題に従うことを求めるが、物事を束縛はしない。

 三段論法は命題からなり、命題は単語からなり、単語は概念の記号である。ゆえに、概念そのもの(それがことの根本)が混乱していて、事実から拙速に抽出されたものであれば、その上に乗る構造物には確固としたところがありえなくなる。希望が持てるとすれば、真の帰納にしかない。


う~ん、帰納的な臨床試験を行っている筈が、最初の『LDL-C は悪者だ』が“事実から拙速に抽出されたもの”である事を、そろそろ認め、詭弁的な三段論法が現代の大規模臨床試験だと認めなければならなくなるようなお言葉ですねぇ!!(笑)という余談は置いといて・・・

で、対照的に、トルストイは軽率な一般化を戒め、人間は小さな現象を、大きな現象の原因と見てしまうのではないかと、、、

 「戦争があったときは必ず、強大な軍事指導者がいた。革命があったときは必ず、大指導者がいた」と歴史は言う。「実際は、強大な軍事指導者がいた時は必ず戦争があった」と、人間の理性は答える。しかし、それは将軍が戦争の原因だと証明はしないし、戦争にいたる要因が、一人の人物の個人的な活動に見つかるということの証明にもならない。

 農民は春の終わりに冷たい風が吹くのは、楢木のつぼみが開くからで、実際、楢の花が咲く春には冷たい風が吹くという。しかし、楢の花が咲く頃に冷たい風が吹く原因は知らないが、冷たい風の原因が楢の花が咲く事だという農民の意見には賛成できない。風の強さは、つぼみが影響する範囲外だからだ。


戦争と軍事指導者のくだりは、ロマンチストな小説家が、もっともらしい省察、思弁、虚飾を駆使し作り上げる歴史観そのものだ。膨大な資料にあたったとしても、見たいものしか見なきゃ単なる推論と同じだし。現代日本では、この類の小説を読んだ庶民が、“戦争と軍事指導者の関係”が“楢の花が咲く事と冷たい風の関係”と同じ事だと認識できていないところに問題がある訳で。。。。しかし、小説はそうじゃなきゃ面白くないし、、、私はアレキサンダー大王萌え~でカエサル萌ぇ~でアレキサンダー大王の家庭教師だったアリストテレス好きで・・・って、まぁ、それは置いといて・・・・


自然科学における真理の追求には、演繹による理論的推論がベターなのか、帰納法によるのがベターなのかは、私にわからないけど、一旦、思い込んで、尚且つ、それを疑う余地が無い時代に築かれたものは、「その上に乗る構造物には確固としたところがありえなくなる」ハズなんだけど、、、、権威筋が跋扈する世界にあっては、白いものも黒いと言わざるを得ないだろうなぁ・・・・・。

今回は、『転移は悪性化する前から起きている』という事実を取り上げたのだが、似たようなケースは“医学”には“レア”ではないように思われる。それは、生命現象以前に、まず病気というフィルターを通して生命活動を見てきた事によって“誤認”したまま、砂上の楼閣を築いてきたってことなんだろう。

基礎科学(医学にとっては生物学)の重要性が痛感されるところだ。

日本人のノーベル賞受賞だけに浮かれずに、国家予算からの基礎研究への割当増を真剣に考え直さなきゃならないんじゃないのかな。

さらに言えば、一般教養としての理系科目(数学的な思考法などは特に)は義務教育課程で徹底した方が良いと思われる。本来なら企業倫理として問われる問題が“食の安全”なったり、“食の安全”としなければならない問題が政治問題にされる、などという頓珍漢な方向に向かうマスコミに煽動されない為にもね。


最後に、大衆の無知と強大なマスコミの影響力による“喜劇?悲劇?”を示して終わりにする。良くご存知のアメリカでの話。

NASA の月面着陸を信じない人たちが NASA の陰謀説を流布し、テレビ会社 FOX に信じさせ、それに関するテレビ番組を放映させたのは有名な話だ。番組ではアメリカ人の20%の人が月に行ってないと信じていると。全てスタジオで撮影されたんだと。それによって、大衆は、NASA 陰謀説に大きく傾いていく。

その根拠となったのが、ニール・アームストロングの影が二つ映った写真だ。

月面なら、光源は太陽だけの筈なのに、もう一つの光源がある。それはスタジオのライトに違いない。写真には、星も、着陸時の噴射によるクレーターも映っておらず、空気が無いのにはためく星条旗が映っている・・・・と。

月面では光源が二つ以上あってもおかしくない事(地球や月の表面は光をよく反射する)、写真に星が写ってないのは、露出時間の問題である事、月面の土はほんの数センチしか堆積しておらず、確認できるほどのクレーターが出来なくてもおかしくない事、空気が無くても竿が揺れる事で旗がはためく事・・・を理解できる人には、NASA の陰謀説の番組は“茶番”にか見えないのだが、月面では光源が二つ以上あってもおかしくない事を知らなければ、番組に洗脳されるのは必至だろう。

今回は、みのもんたやあるある大辞典などと固有名詞は出さないが(あっ、言っちゃった!)、こんな番組が多いんだから、NASA の陰謀説を信じている人は、自分の理系の素養を見直したほうがいいかもよ!!

それと、NASA の陰謀説の根拠を話して納得するかどうかを、あなたの周りで試してみるのも一興かも。(あなたに対する周りの人の評価に変化が生じても、私には責任はありませんが)

2008年10月21日

乳首を吸う頻度は?

20081021_breast.jpg出産後、赤ちゃんがおっぱいを吸う刺激(乳首刺激)で、さらにプロラクチン(PRL)は分泌されるようになる。そして、その PRL によって、排卵が抑制される。その間、母親は次の子供を宿さないので、赤ちゃんは乳房を独り占めできる。。。。。

アマージ錠2.5mg』でも書いた事だが、では、乳首刺激によってプロラクチン分泌が増加するには、どれくらい吸うと効果があるのか??

未開の地では、乳児は母親の首から風呂敷のようなものに包まれて吊るされていて、何時でも乳首を吸えるようになっているところがあるらしい。その乳児達は、一回に少量を飲み、一日に100回を超えるほど乳首を吸うのだとか。(先進国の子育ての常識からはかけ離れているが)

もちろん、その回数に個人差はあるのだろうが、一時に乳飲み子を複数抱える事が困難な環境では、乳首を100回吸わせて、離乳するまで次の妊娠を抑制するってのは、合理的に見える。首から風呂敷のようなもので乳児を吊るすってのは、環境の淘汰を免れた進化の結果ではなく、人間の文化だろうから、知恵により自分の遺伝子を最大限残す事になる行動の貴重な例なのかもしれない(本人達はそんな意識は無くても)。


さて、女性の出産後のホルモンバランスは乳汁分泌するために傾き、乳汁は作られるようになるのだが、赤ちゃんが乳首をくわえて吸ってくれないと、やがて出なくなってしまう。そう、産後のホルモンバランスは短い期間で妊娠可能サイクルに戻ってしまうのだ。

これも、非常に合理的な仕組みだ。(母体に無駄な母乳を作られせないという点で。)

ただ、これを知っているだけじゃ、望まない妊娠を防ぐ手段にはなりえない。

そう、どれくらい吸えば、排卵は起きないのか??が大切なのだ。
(先進国では、抗プロラクチン薬を飲ますだけだけと・・・)
 
 
 
中国産の食材から健康被害を及ぼす成分が検出されたと、連日のように報道されている。しかし、その報道の内容は『乳首を吸うと妊娠しない』というレベルを超えてはいない。

理系風な表現をすれば、定性分析は済んだが、定量分析がまだだ・・・ということになる。

中国の野菜農家が生産性を上げる為、よく効く安い農薬を使う事と酪農家が水で薄めた牛乳の蛋白濃度を見せかける為にメラミンを入れる事を同じ土俵で語って良いものかどうかは、この際、置いといて、、、この問題で問われるのは、人体に対する影響が、どの程度の濃度で現れるのか?という事だ。

自然食品は安全などと寝ぼけた事をいう人もいるが、自然界には“猛毒”はごまんとある。自然が安全で人工が危険などと短絡的にイメージしてしまうような報道も慎むべき(ついでに体に良いと五穀米を食べつづけ痛風になるなんて話も)だが、これも、今回は置いといて、、、

さらに、人体に対する影響が、濃度の問題で語って良い場合と暴露の有無で語らなきゃならない問題がある事をもごちゃ混ぜに扱い報道する事も慎まねばならない(毒はやがて解毒されるが、HIV や プリオン蛋白は一度体内に入ったら排泄されない)が、これも、今回は置いといて、、、


上で、報道は「レベルは超えていない」・・・とは言ったものの、今朝のズームイン・スーパーでは、『検出されたメラミン濃度は、一日の摂取許容量の1/50・・・』などと、変化の兆しが見えた。

私は、この点を非常に評価したいと感じた。


そう、いつもはマスコミ・報道をこき下ろすばかりのエントリーなのだが、今回は、誉めてあげたいのだ。


この報道の姿勢が、全ての放送局、新聞社、その他のメディアに共通するものだとしたら、非常に望ましいものなのだが、もし、そうだとすると、『どうしてそんな事ができたの?』と逆に疑問が湧いてしまうのも事実だ。


大衆がマスコミの修飾された報道に嫌気が差した事を原因だとするには、あまりにも実感が湧かない。大衆が賢くなっているとは微塵も感じられないからだ。

では、、、、大衆の無関心?

自分の財布の中身に関わる事と、解りやすい正義(悪者を作って叩く)には強く関心を示している大衆が、社会的な正義や公共の利益に興味を示さないという事実を、諦めに似た境地で受け入れたからなのか??

いままでマスコミは、大衆には分別があり大衆は正しいという立場にたって、記事を書き、ニュース番組を作ってきた。だから、いかもに『おれが教えてやるよ』みたいな雰囲気が出ないようにしてきたんだろう。『そんなことは、賢い皆様ならご存知でいらっしゃるでしょうから、敢えて、私からは申し上げませんが・・・』みたいな調子でねっ?!

ところが、世の中の標準というか、基準というか、物差しのレベルがあまりにも幼稚化してきて、そろそろ、限界・・・ってことなのか?(知識の量は増えても、知恵として生かせていないも含め)

大衆迎合の記事を書いて、ニュースを作っても、インターネットにお客が奪われ、ジリ貧ならば、大衆に迎合(大衆には分別があり大衆は正しいという立場)して記事を書くより、『おれが教えてやるよ』みたいな雰囲気が出て、大衆に自らの無知を知らしめる事になったとしても、それを歓迎してくれる購読者・視聴者がいれば、それを大事にしていこうという開き直りなのか?!

その辺の事情は、私には知る由も無いのだが、いずれにせよ、今までのように、事件を面白おかしく、はたまた、些細な事をスクープの如く修飾し・・・なんて事は少なくなり、その事件が及ぼす影響を判断できる事実をだけを視聴者・購読者に伝えるという(推測・予測はしなくてよい)、本来の機能を取り戻してくれるなら、非常に歓迎すべき変化だと、私は感じたわけだ。(たまたま、、、だったら、このエントリーも恥ずかしいけど)


『検出されたメラミン濃度は、一日の接種許容量の1/50・・・』を言うと言わないとでは、印象が激変する事を、多分、見ていた人は感じたはずだ。たとえ、「中国めぇ」といつも中国が嫌いな人であっても、「まぁ、その程度ならゆるしてやるかぁ」ってね。これを言わなかったら、「中国!絶対、ゆるさん!!(ムカムカムカぁ)」ってなってた所だよね!
 
 
 
閑話休題・・・・というか、p.s. というか、このタイトルで始めたからには、多分、この話題は避けて通れないんじゃないかと思って、追記するんだけど、、、、、

赤ちゃんの代わりに、夫が吸ったら・・・・・・って、乳首を。

さらに『避妊目的でおっぱいを吸ってあげる』とか言う男が出てきたら・・・・・。

この辺の定性分析と定量分析は、、、、、だれかやってくれているのだろうか??

性交の間の男女の性器と女性の性的な喚起の磁気共鳴イメージ』なんて研究もあるくらいだからなぁ・・・・・って、一日100回もオッパイを吸えないジャン。。。。

いや、まてよ!『お薬を使わず、避妊できます!私、オッパイ吸い男にお任せください』なんてバカが現れないとも限らない・・・・。


おあとが、よろしいようで・・・・。

2008年10月28日

政治報道の「劣化」

20081028_recognition_skill.jpg「それを庶民感覚と結び付けて報じるのはどういう神経か」

激しく同意。

ネットの世界では『禿同』とか言うらしいが、まさに、『禿同』。でも、マスコミの腐り具合が同業からの“公の”指摘レベルになったのは、なんともやりきれない。

「筆者などが政治の現場で走り回っていたころは、こういう特殊な記者がいたら、よってたかって成敗したものだ」・・・こんなことが出来なくなった世の中の風潮はマスコミ自身が作り出したものかもしれないから自業自得なのだが、マスコミのくだらない報道を真に受けるバカな庶民がいるのだから、事は自業自得では済まされない。


※時間が経つと記事がなくなる事もあるので、全文転載

【政論探求】ホテルのバーがなぜ悪い

産経新聞
2008年10月28日(火)08:05

 麻生太郎首相の「高級ホテルのバー通い」がなにやら政治問題化している。これのどこが悪いというのか。

 どうやら特定の記者がしつこく追及し、これをほかのメディアも伝えているというのが実情らしい。こんなことが政治報道の軸になってはたまらない。


 筆者などが政治の現場で走り回っていたころは、こういう特殊な記者がいたら、よってたかって成敗したものだ。国民に知らせるべき肝心の政治取材が阻害されるからだ。


 まして、いま、政治の最大の焦点は100年に一度といわれる世界的経済危機と国内政局との関係にある。こういうつまらない質問で首相を煩わせていいのか。首相にただすべきことはほかにいくらもある。


 このコラムでも以前、首相就任前の麻生氏が夜の会合を終えてからなじみの酒場に毎晩のように顔を出すことを紹介したが、これは、気力、体力の充実ぶりを示すものとしての話だ。失礼ながら、あのトシで酒場に精勤するというのは、なまなかのことではない。


 麻生首相の場合、一日の最後に好きな葉巻と酒でリフレッシュすることと、重要人物との密談が目的という。首相のライフスタイルと情報収集の邪魔をしてはいけない。


 かつて政治家の夜の密談場所としては料亭が通り相場だったが、料亭そのものがめっきり減った。ホテルのバーなら料亭よりも格安だし、ロビーがあるから記者たちが待機する場所にも困らない。


 それを庶民感覚と結び付けて報じるのはどういう神経か。首相が一杯飲み屋に通っていたら、この方が問題だ。警備も大変だし、一般客に迷惑をかける。


 筆者の現役時代は料亭の前で待った。出口のまん前に車を止めてさっと乗られてしまうから、つかまえるのが厄介だ。表向きの会合だけならいいが、ときに「カゴ脱け」をやられる。別の部屋に本来の密談相手に待っていてもらい、会合を中座して会うというものだ。だから、会合の一群が帰ったあと、電柱の影でしばらく待つということもやった。空振りも多かったが、要人たちの密談取材は体力勝負でもあった。


 首相がホテルのバーを利用していることがニュースになるというのでは、政治報道の「劣化」を意味するのではないかと気になる。(客員編集委員 花岡信昭)


ところで、“庶民感覚と結び付けて報じる”って、朝日新聞とか、、、だろな。共産党とか旧社会党とか日教組とか、こんな連中の思考と肌の合う奴にぴったり・・・。まぁ、いいけど。
 
 
 
大阪府知事と教育委員会の激しいやり取りが、おもしろおかしく映像になってお茶の間に届けられる。

気になったのは、知事の『言ってわからなきゃ、体でわからせなきゃならない』に対して、『暴力反対!法律違反だぞ』って教育委員会のヤジ。

“暴力反対”を叫ぶ教育者ってのは、自分が殴る事で生徒と係わり合いになることを避ける“無責任な”ヤツだ。自分の無責任を棚に上げるために“暴力反対”をエクスキューズにする知恵は持っていても、“喝上”するような生徒を指導する“心意気”は持ち合わせていない。


“暴力反対”は何も教育委員会の専売特許じゃなくって、マスコミも大好きだ。昔々“よってたかって成敗(殴る蹴るじゃなくても)”出来た環境が、今は、パワハラだとかセクハラだとか、まるで“イケナイ行為”であるかのようにすりかえられてしまった。

まぁ、昔はバカでも歳を取れば“上司”に成れたから、上司の言うことが全て正しいとは限らなかったかもしれない。でも、そういう例外を除いて考えてみれば、ヒラ社員と上司の判断の正しい確率は圧倒的に上司だ。平社員はそれが面白くなければ、今は『言い方が気に入らない』『威張っている』『パワハラだ』と・・・・。こんな事を言える環境を作ってしまったのは、兎にも角にもマスコミ以外にはない。救われる人もいるんだろうから、それが絶対悪だとは言わないけど、バランスを欠いている事は間違いない。

それに、『言い方が気に入らない』『威張っている』『パワハラだ』というヤツに限って、低能である。有能であれば、自分の考え、判断を否定される事も無い訳だからね。

従って“理想の上司”なんてもんを考える事自体が“自分の低能さ”を証明することにもなる。

そんな環境が『一国の首相にも庶民と同じ目線で・・・』なんて、世界でも類を見ない“文化”にまで発展してしまった・・・かなしい日本。


日本といえば、WBC(野球)の監督を誰にするかでひと揉めしている。

そもそも、理想の上司なんてものに選ばれるのは“緩い”証拠で、出来の悪い奴らに好かれる星野を選んだ段階で、オリンピックの負けは決まっていたようなもんだった。勝ちたいんだったら、そんなものを監督選出の判断材料に使っちゃいけない。公にはそんな事を判断材料にしてなくても“チームの和”などという実体のないものを得られるかも?なんて期待があった事は否定できないだろう。“お友達”“仲良く”“理想の先輩”“理想の上司”なんてものはサークル活動だけでいい。

だから、イチローの考えには『禿同』だが、世の中にはそれを嫌う人もいる。


世の中、いろんな判断に食い違いが生じるのは、私は、それぞれの他者認識スキルの違いによると思っている。人間ってのは、自分の中のスケールで物事を判断する。他者を認識する場合に於いてもそうだ。だから他者認識スキルの低い人ってのは、自分のレベルも低い。

他者認識スキルの高い人は、(仕事を)任せられる人と任せられない人を峻別し、使いこなす事が出来る。他者認識スキルの低い人は、自分の判断や気配りが他者においての可否を考える事すらしないので、なんでも自分でやってしまおうとする。そして、自爆する。(ダッグアウトで椅子を蹴飛ばすのは、わかりやすい例)

そのレベルの人間を理想の上司とする人間も、また、然り。


最近の風潮の恐ろしいところは、一国の総理だけじゃなくって、映画スター、スポーツ選手、その他においても、ザコとセレブリティの区別をつけず(つけられない程、愚かなのかも)、友達感覚で接する事を善しとしている所ある。

それは、学校の先生に対してであったり、お医者さんに対してであったり、最悪なのは親子関係にまで及ぶ例があることである。他者認識スキルの低い人間が増えたというより、そんな概念すら考えてない人間が増えたからなのだろう。。。。裏を返せば平和である。。。危機感が無いとも言うけど。

2008年10月29日

首相「カップめん400円ぐらい?」

20081029_cupnoodle.jpg昨日は、『禿同!』のエントリーだったけど、同じ部類の内容で。

民主党の牧山弘恵(氏なんてつけない、呼び捨てに値する)は、28日の参院外交防衛委員会で首相にカップラーメン一個の値段を聞いて『庶民感覚がない』とやらかしたそうだ。
参議院インターネット中継はこちら

この国会議員をバカと呼ばずして、なんと呼べばいいのだろう?ニュースキャスター根性が抜けてないのだろうが、ここは、外交防衛委員会だ。こんなバカな質問をする事自体が本来の仕事に対するサボタージュだ。

大衆迎合な質問をしている議員を“正義の味方”扱いしてないで、“税金(給料)泥棒”と認識した方が良いと思うがいかが?

本来、庶民の生活と密着してる分野を仕事の領域とするのは区議会議員や市議会議員だ。カップラーメン一個の値段を彼らが知らなかったら、糾弾することも吝かではないが、首相がカップラーメン一個の値段を知らないことで、外交、防衛、教育、その他社会保障などの大枠に影響がでるとでも言うのだろうか?

人の価値観は十人十色。だから、“首相がカップラーメン一個の値段を知っている事が大事である”と考えるなんて理由で“賛同”する庶民もいるのかもしれないが、、、、、

庶民感情を適応させる範囲外だよ!首相の仕事は。

もしかしたら、庶民の暮らしを視察するなんてポーズだけで、それが証拠にカップラーメンの値段も知らないジャンなんて考えるアホな大衆の人気を得たい故の“質疑”なら、即刻、クビでもいいよな!こんな議員。

首相が現場(スーパーマーケット)を訪れるのは、具体的な価格を知ることが目的ではなく、庶民がどのように感じているかを肌で感じる事と本当にポーズだ!首相が来た事で「ああ、庶民の生活を考えてくれてるんだ」と思わせることに有る。プラセボ効果をバカにしちゃいけない。それを台無しにするような発言は、慎むべきだ。医療人なら常識の範囲だ。

もっとも、有名人が来た!ってキャーキャーやってるおばちゃん達の姿を見て「生活に困っている」と感じる人もいないだろうけど・・・・。


話は変わるが、私の妻は薬学部出身だ。化学が好きで成績が良かったから薬学部に行ったらしい。私は、薬学部出身だが入りたいところに落ちてしまったので薬学部に進学した。生物学が大好きでこの科目だけなら、学年で1、2番を争っていたくらいなので(※1)、理学部を目指していたのだ。でも、浪人中、不思議と本番(入学試験の模試)では化学の方が確実に得点できる事がわかった。あまり好きではないが、大学でも有機化学はフルマークだった。
(※1 生物学の教師が部活の顧問で、高校1年の一学期の生物の授業中に居眠りしてたら、この顧問の先生に「おまえ、いい度胸してるな」と脅され、テストでいい点取らなきゃヤバイとビビって、生物だけ猛勉強したって理由もあるのだが・・・・)

好きと上手が異なることを、人生で最初に体験したのが、こんな事だった。どうでもいい事だが。

その妻の本棚を見ると、私の興味以外のものがわんさかある。世間的には、薬剤師の夫婦で似たような価値観だろうと思われがちだが、私自身はまるっきり違うと感じている。

そんな事を痛烈に感じさせる本を、今朝から読み始めている。

進化論の教科書的な本を読むのに、ちょっと疲れたので、リフレッシュする為に妻の本棚から拝借した「 男こそ顔だ! 」(大石静 著)ってエッセイだ。


目から鱗が落ちる事しきり。


世間的には似てると思われる夫婦でも、読む本がまるっきり違うように、かなり違った価値観をもっている位だから、これが、まるっきり畑違いの世界に住んでいる人たちの価値観と比べたら・・・・(※2)。

(※2 夫婦の価値観が違うって書いたけど、でも、似てるから夫婦でいられるのかも知れない。例えば、妊婦のたらい回しの報道に対して、(医学的な理由で)しょうがないよなぁ・・・なんて反応に、「そうだよねぇ」と相槌を打つんだからねぇ。もし、文学部出身だったりしたら、私は非情な男として離婚届を突きつけられてるだろう・・・)
 
 
 
というわけで、私の価値観の外に、一国の首相がカップラーメン一個の値段を知っていなければならない理由も、あるのだろうか・・・・・???

私の目は、鱗に覆われているのか??
 
 
 
なぁ~んて、謙虚な事、思うわけねぇ~ジャン!!

(本日は、大石静氏のエッセイ風のオチを頂戴したエッセイにしてみました)

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