まずは、以下をお読みくだされ。
Science September 19 2008, Vol.321政治的態度は経験と環境によってのみ形成されると考えられてきたが、この事象への我々の応答は、或る程度「生まれつき刷り込まれた(hard wired)」生来的なものではないかという研究が始まっている。
Oxleyたち(p.1667)は、政治的に強い信念を持つ被験者に、急激な騒音や恐ろしい絵(例えば眼球の上をクモが動き回る絵といった)の刺激に明らかに鈍感で弱い反応を示すグループの人たちは、外国への援助やリベラルな移民政策、平和主義、銃の規制に対して、これを支持するような態度を示すのに対して、上記刺激に明らかに敏感で強い反応を示す人たちは、防衛費の増額や、死刑、愛国主義、イラク戦争賛成のような政治的立場を支持する傾向があった。
Political Attitudes Vary with Physiological Traits
p. 1667-1670.
『急激な騒音や恐ろしい絵』ってのは、その昔、人間が動物だった頃には、生存の危機に直面する場面に相当する。恐怖心ってのは、生存の機会に直結する大切な感情だから、過去に於いては、この感情が“ゆるい”個体は淘汰された。まぁ、偶々、ラッキーで生き続け、生殖年齢に達して子供を残した場合もあるだろうから、危機意識の“ゆるい”遺伝子も現存するんだけど。
現代社会では、『急激な騒音や恐ろしい絵』が一次的にその個体の死を意味しなくなった為に、危機意識の“ゆるい”遺伝子も増えてきて、それは、淘汰圧のかかる因子ではなくなったと考えるのが、素直だと思う。危機意識が“ゆるい”方が、なにもしなくて楽だから増えるというシナリオもある。
そう考えると、『防衛費の増額や、死刑、愛国主義、イラク戦争賛成のような政治的立場を支持する傾向』が危機意識の過敏な人にあるのは当然だと考えられる。
逆に、『まぁ、大丈夫なんじゃないのぉ~』と脳天気な危機意識の“ゆるい”人たちは、自分で積極的に自分の身を守る事をしなくても生き延びられる環境を構築したがる傾向、すなわち、『外国への援助やリベラルな移民政策、平和主義、銃の規制に対して、これを支持する』が納得できる。
ふむふむ、なるほど、、、そうすると、、、、、、、
幕末から明治維新にかけて輩出された“偉人”たち、それから彼らに思想的に大きな影響を与えた松下村塾・吉田松蔭はどんな性格だったのか?なんて、事が気になってきたりする。。。
その前に、世界の偉人達の“言葉”を考察してみるとする。。。。
◆「国家が滅ぶのは、劣悪な人々を
優れた人々から、区別することができなくなるときだ」
~ 古代ギリシャの哲学者 アンティステネス ~
・・・この時代なら“劣悪な人々”は“危機意識のゆるい人”で、“優れた人々”は“危機意識の過敏な人”かなぁ。そんな気がする。
◆「人生はアップで見ると悲劇だが、
ロングショットではコメディだ」
~ チャップリン イギリス 映画俳優・監督 ~
・・・チャップリンの映画『独裁者』を見ると、チャプリンが“刺激に明らかに鈍感で弱い反応のタイプ”ということがわかるが、“危機意識のゆるい人”かどうか?はわからないなぁ。
◆「理想主義のない現実主義は無意味である。
現実主義のない理想主義は無血液である」
~ ロマン・ロラン フランス 作家 ~
・・・確かに、大衆(無知・無責任)=“刺激に明らかに鈍感で弱い反応のタイプ”が望まないなら、どんな“良策”も意味をなさないが、大衆(理想主義)にまかせると『死んでしまう』事になる。。。うーん、進化論てきぃ~。
◆「正直は最善の政策である」
~ ゼノン ギリシャ 哲学者 ~
・・・大衆を不安に陥れないように、嘘をつく(嘘も方便)のは、やはり最善ではないんだよな。『財源はどこかにある』なんて事を“危機意識のゆるい人”は言うんだけど、正直じゃないのは、私にもわかるよ。
◆「わたしたちのひとりひとりが、自分をみがかなければ、よりよい世界は築けません。
この目的のむかって、わたしたちはみな、自分の力をできるだけのばし、
同時に、人が生きるうえでの、それぞれの責任をはたさなければなりません」
~ ノーベル賞受賞の大科学者 キュリー夫人 ~
・・・さすが、キュリー夫人は良いこと言いますねぇ~。『一人一人が危機意識を持て』ってことですねぇ!福沢諭吉爺の『学問のすすめ』に通じます。「諸外国に負けない為には勉強しろよ」ってね。。。。あっ!キュリー夫人の言葉は自国の幸せだけに限定してないかもね。福沢先生とは、ちと違うのか?
◆「反対のための反対、悪意、悪口、ただ否定することしか
できないものを、ことごとく厳しく斥けなければなりません。
ただの否定からは、何も生まれてこないのですから」
~ドイツの文豪・ゲーテ~
・・・『反対のための反対』は現代の日本に於いても、よく見かけるんだけど、彼らの行動は、、、意味不明だよなぁ。
って事で、なんか、見えてきたけど、、、、結局、危機意識の高い人は環境の変化に強くて、自分で積極的に環境に介入し、生き残ろうとするんだけど、危機意識の低い人は、それをやらない。
人間が動物だった昔々には、危機意識の高い人が生き残る事に対して、危機意識の低い人が『それは不公平です』と文句を言わなかった。
現代は違って、危機意識の高い人が生き残る事に対し、『ずるい』と言われてしまう。だから、まず、『それは不公平です』が出ないようにする事が最優先される。
って事だから、なにもかも『難しい・・・』のかも。
閑話休題。幕末から明治維新にかけて輩出された人たちは、当然、日本が諸外国から侵略され、あるいは取り残され・・・と危機的状況な現実を知っていた。
こういう時代なら、当然、危機意識が高い人、すわわち、恐怖に敏感に反応するタイプが活躍出来、当然、目立ったのだろう。
◆「勇気とは恐怖への抵抗であり、恐怖を支配することである。
恐怖が存在しないことではない」
~ マーク・トゥエイン ~
言葉を変えれば、恐怖に敏感に反応するタイプだけれど、“勇気”がある人たちだったとも言うことだけは、間違いなさそうだ。
危機意識の高い人が、日本人の人口に何割なのかは知らないけれど、結局、“外野席”で騒ぐだけの“勇気”の無い人達が、圧倒的なのは間違いないだろう。
自分の政治的立場から、私は、危機意識の高いグループに入るけど、“勇気”は、間違いなく“無いっ!”。
うーーむ、ちょっとかっこ悪いかもぉ~~~~。
(注意:上の写真を見て北朝鮮だと思った人は、かなりマスコミに洗脳されてますよん)