激しく同意。
ネットの世界では『禿同』とか言うらしいが、まさに、『禿同』。でも、マスコミの腐り具合が同業からの“公の”指摘レベルになったのは、なんともやりきれない。
「筆者などが政治の現場で走り回っていたころは、こういう特殊な記者がいたら、よってたかって成敗したものだ」・・・こんなことが出来なくなった世の中の風潮はマスコミ自身が作り出したものかもしれないから自業自得なのだが、マスコミのくだらない報道を真に受けるバカな庶民がいるのだから、事は自業自得では済まされない。
※時間が経つと記事がなくなる事もあるので、全文転載
【政論探求】ホテルのバーがなぜ悪い産経新聞
2008年10月28日(火)08:05麻生太郎首相の「高級ホテルのバー通い」がなにやら政治問題化している。これのどこが悪いというのか。
どうやら特定の記者がしつこく追及し、これをほかのメディアも伝えているというのが実情らしい。こんなことが政治報道の軸になってはたまらない。
筆者などが政治の現場で走り回っていたころは、こういう特殊な記者がいたら、よってたかって成敗したものだ。国民に知らせるべき肝心の政治取材が阻害されるからだ。
まして、いま、政治の最大の焦点は100年に一度といわれる世界的経済危機と国内政局との関係にある。こういうつまらない質問で首相を煩わせていいのか。首相にただすべきことはほかにいくらもある。
このコラムでも以前、首相就任前の麻生氏が夜の会合を終えてからなじみの酒場に毎晩のように顔を出すことを紹介したが、これは、気力、体力の充実ぶりを示すものとしての話だ。失礼ながら、あのトシで酒場に精勤するというのは、なまなかのことではない。
麻生首相の場合、一日の最後に好きな葉巻と酒でリフレッシュすることと、重要人物との密談が目的という。首相のライフスタイルと情報収集の邪魔をしてはいけない。
かつて政治家の夜の密談場所としては料亭が通り相場だったが、料亭そのものがめっきり減った。ホテルのバーなら料亭よりも格安だし、ロビーがあるから記者たちが待機する場所にも困らない。
それを庶民感覚と結び付けて報じるのはどういう神経か。首相が一杯飲み屋に通っていたら、この方が問題だ。警備も大変だし、一般客に迷惑をかける。
筆者の現役時代は料亭の前で待った。出口のまん前に車を止めてさっと乗られてしまうから、つかまえるのが厄介だ。表向きの会合だけならいいが、ときに「カゴ脱け」をやられる。別の部屋に本来の密談相手に待っていてもらい、会合を中座して会うというものだ。だから、会合の一群が帰ったあと、電柱の影でしばらく待つということもやった。空振りも多かったが、要人たちの密談取材は体力勝負でもあった。
首相がホテルのバーを利用していることがニュースになるというのでは、政治報道の「劣化」を意味するのではないかと気になる。(客員編集委員 花岡信昭)
ところで、“庶民感覚と結び付けて報じる”って、朝日新聞とか、、、だろな。共産党とか旧社会党とか日教組とか、こんな連中の思考と肌の合う奴にぴったり・・・。まぁ、いいけど。
大阪府知事と教育委員会の激しいやり取りが、おもしろおかしく映像になってお茶の間に届けられる。
気になったのは、知事の『言ってわからなきゃ、体でわからせなきゃならない』に対して、『暴力反対!法律違反だぞ』って教育委員会のヤジ。
“暴力反対”を叫ぶ教育者ってのは、自分が殴る事で生徒と係わり合いになることを避ける“無責任な”ヤツだ。自分の無責任を棚に上げるために“暴力反対”をエクスキューズにする知恵は持っていても、“喝上”するような生徒を指導する“心意気”は持ち合わせていない。
“暴力反対”は何も教育委員会の専売特許じゃなくって、マスコミも大好きだ。昔々“よってたかって成敗(殴る蹴るじゃなくても)”出来た環境が、今は、パワハラだとかセクハラだとか、まるで“イケナイ行為”であるかのようにすりかえられてしまった。
まぁ、昔はバカでも歳を取れば“上司”に成れたから、上司の言うことが全て正しいとは限らなかったかもしれない。でも、そういう例外を除いて考えてみれば、ヒラ社員と上司の判断の正しい確率は圧倒的に上司だ。平社員はそれが面白くなければ、今は『言い方が気に入らない』『威張っている』『パワハラだ』と・・・・。こんな事を言える環境を作ってしまったのは、兎にも角にもマスコミ以外にはない。救われる人もいるんだろうから、それが絶対悪だとは言わないけど、バランスを欠いている事は間違いない。
それに、『言い方が気に入らない』『威張っている』『パワハラだ』というヤツに限って、低能である。有能であれば、自分の考え、判断を否定される事も無い訳だからね。
従って“理想の上司”なんてもんを考える事自体が“自分の低能さ”を証明することにもなる。
そんな環境が『一国の首相にも庶民と同じ目線で・・・』なんて、世界でも類を見ない“文化”にまで発展してしまった・・・かなしい日本。
日本といえば、WBC(野球)の監督を誰にするかでひと揉めしている。
そもそも、理想の上司なんてものに選ばれるのは“緩い”証拠で、出来の悪い奴らに好かれる星野を選んだ段階で、オリンピックの負けは決まっていたようなもんだった。勝ちたいんだったら、そんなものを監督選出の判断材料に使っちゃいけない。公にはそんな事を判断材料にしてなくても“チームの和”などという実体のないものを得られるかも?なんて期待があった事は否定できないだろう。“お友達”“仲良く”“理想の先輩”“理想の上司”なんてものはサークル活動だけでいい。
だから、イチローの考えには『禿同』だが、世の中にはそれを嫌う人もいる。
世の中、いろんな判断に食い違いが生じるのは、私は、それぞれの他者認識スキルの違いによると思っている。人間ってのは、自分の中のスケールで物事を判断する。他者を認識する場合に於いてもそうだ。だから他者認識スキルの低い人ってのは、自分のレベルも低い。
他者認識スキルの高い人は、(仕事を)任せられる人と任せられない人を峻別し、使いこなす事が出来る。他者認識スキルの低い人は、自分の判断や気配りが他者においての可否を考える事すらしないので、なんでも自分でやってしまおうとする。そして、自爆する。(ダッグアウトで椅子を蹴飛ばすのは、わかりやすい例)
そのレベルの人間を理想の上司とする人間も、また、然り。
最近の風潮の恐ろしいところは、一国の総理だけじゃなくって、映画スター、スポーツ選手、その他においても、ザコとセレブリティの区別をつけず(つけられない程、愚かなのかも)、友達感覚で接する事を善しとしている所ある。
それは、学校の先生に対してであったり、お医者さんに対してであったり、最悪なのは親子関係にまで及ぶ例があることである。他者認識スキルの低い人間が増えたというより、そんな概念すら考えてない人間が増えたからなのだろう。。。。裏を返せば平和である。。。危機感が無いとも言うけど。