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2008年12月 アーカイブ

2008年12月05日

ひどい上司を持つと心臓に悪い

20081205_becoming_a_donor.jpg心臓病のリスクが上昇するくらい“ぐうたらな上司”に対して不満が鬱積するなんて、スウェーデンの労働者はみんな上昇志向が強いのだろうか??

スウェーデンという国の文化や国民性がわからないので、なんともいえない調査結果だけど、一つだけ感じるのは『科学雑誌も大衆迎合しなきゃならない時代なのだなぁ』と。

この調査結果を評価した研究者達によれば、上司たるもの、最初からやる気の無い社員をも“やる気を出させる”くらいでなければいけないらしい。そして、やる気の無い社員(日本では“シュガー社員”とか言うらしいが)達に対しては、そのモチベーションとの因果関係を考察することすらしていない。猛烈上司の下での“シュガー社員”もストレスで心臓病のリスクが増大しそうなものだけど・・・・。


ところで“シュガー社員”、名付け親は社会保険労務士の田北百樹子氏で、『シュガー社員が会社を溶かす』(ブックマン社)という本で初めて使った言葉だとか。私は読んでいないのだが、内容はなんとなくわかるような気がする。

提供:WebMD

無能な上司の下で働くと心臓病のリスクが上昇することが分かった。

Bill Hendrick
WebMD Medical News

【11月24日】自分の上司は不公平だ、気まぐれだ、思いやりがない、全体的に管理能力に欠けると考えている人は、心臓発作などの心臓病になるリスクが高いことをスウェーデンの新たな研究が明らかにした。

また、ひどい管理者のせいで一般社員がストレスを感じている場合、心臓病の長期リスクがさらに上昇する、と研究者らは11月24日発行の『Occupational and Environmental Medicine』に報告している。

この研究でスウェーデンの科学者らは、1992年から1995年の間に男性一般社員3000人以上の心臓の健康状態を追跡した。次に、2003年までに虚血性心疾患により入院、死亡した患者に関する全国患者登録データとこの職業的健康記録を照らし合わせてみた。

およそ10年間にわたる調査期間で、心臓発作、不安定狭心症、心停止などの致死的および非致死的心臓疾患イベントが74例認められた。部下が管理者を有能と評価すればするほど、重篤な心臓病のリスクは低くなった。

管理者のリーダーシップに対する認識と部下の重篤な心臓病リスクの関連性は、部下の勤続年数が長いほど高かった。つまり、ひどい上司によるストレスは時間とともに増大することが示された。

社員の重篤な心臓病を予防するため、会社は部下の評価に基づいて管理者の不足能力を改善する手だてをとるべきだ、と研究者らは言う。

「存在感があり意欲的な管理者とは、体制をつくり、情報を提供し、社員を支えてくれる管理者であって、部署が悪い方向にいかないよう対策を講じる。それによって、ストレスによる部下の生理的変化を悪化させるのではなく、むしろその再生を促すのではないか」とカロリンスカ研究所およびストックホルム大学ストレス研究所のAnna Nyberg氏は書く。

上司を評価する

参加者らは、ある評価体系を使って、コミュニケーションやフィードバック能力の高さ、変化対応時の成果、目標設定能力、部下に任せた仕事の量などに関し、上級管理者を評価した。

その結果、リーダーシップスコアが高ければ高いほど心臓病のリスクが低下した。この関連性のロバスト性は「教育、社会的階級、収入、監督的立場、仕事時に感じる身体的負荷、喫煙、運動、[BMI]、脂質、フィブリノゲン、糖尿病を補正の上で」確認された。

つまり、ひどい上司はその下で働く人の健康や寿命にまでも悪影響を及ぼす可能性があることが分かったのである。

最近行われた別の研究で、身体的・精神的に有害だと思う職場環境にさらされている社員の心血管疾患リスクは50%も高かったという。この研究結果について研究者らは、「特に職場の心理社会的ストレッサーは比較的多いので、臨床的意味は大きい」と書く。

また、管理者の行動の質に対する認識が部下の健康に影響するとのエビデンスは増えていると研究者らは言う。部下が意識的にみている点は、上司の「思いやりある行動」、どれだけ上手く部下に知的刺激を与えられるか、部下とのコミュニケーション能力であった。

上司の評価に使われた質問には、「私が何か失敗すると上司にかなりきついことを言われる」といったものや、管理者がいかに上手く期待していることを伝えられるかについて聞くものもあった。

ここではっきりしたのは、情報伝達に難がある(単に否定的意味でなく)と思われている上司の部下は心臓病を発症するリスクが高い、ということである。まず手始めに管理者の仕事能力を高める訓練をしてみてはどうか、と研究者らは勧めている。


having-a-bad-boss-is-bad-for-the-heart

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不況による社員解雇の“ニュース”としての取り上げ方は、至極マスコミらしいので、いまさら何も言うことは無いのだが、科学(医学)雑誌に投稿される“論文”にまで十把一絡げで『弱者は皆、正しい』とのニュアンスで文章を書かざるを得ないとしたら、『ちょっと、マズイんじゃない?』と感じたもんで、エントリーを追加した次第だ。(『Occupational and Environmental Medicine』って雑誌にそんな意図はないとおもうんだけど・・・)

簡単なことだけど、自動車産業やコンピュータ産業などは、銀行のように“大赤字”を出しても、税金を投入して救ってもらえない。(アメリカじゃ交渉してるみたいだけど。)日本の企業すべてが赤字を出したら国が救済してくれるのなら、どの企業も社員解雇なんてするわけは無い。解雇しなきゃ会社が潰れるから解雇する。少ない犠牲で多数を救う。自然の摂理だ。

解雇される人間と残る人間の線引きに不公平あるって論調でマスコミは伝えているが、この場合、何か“妙案”があるのなら、マスコミは示すべきだ。


それはさておき、私は、“機会”の平等は守られねばならないと思うけど、“結果”の平等は守れるものじゃないと思っている。“結果の平等”は絵に描いた餅で、絶対、食べられない。(上のイメージ写真も、『チャンスは誰にでもある』って言っているよ。後は貴方次第っだって!)

世の中、マスコミのおかげで『結果の平等もありなんじゃないのか』と勘違いしている人が非常に増えたみたいだけど、現実は、それほど“シュガー”ではない。

っていうか、マスコミが作り上げた虚像の(シュガーな)世界は、マスコミが守るべき“弱者”を作り出すための作戦だったのだろう。それが証拠に、“弱者”が淘汰されていく現実を映像化して視聴率を稼ごうとしている。そして、それだけじゃなく、『セレブな生活は幸せだ』『セレブのような生活が出来ないのは不幸だ』『不幸と感じられないのは間違っている』のような価値観を植えつける低俗な番組を垂れ流しつつ、そのセレブな生活を送っている人達の血のにじむような努力は見せようとはしない。

これじゃ、勘違いして不幸になる人が後を絶たないよなっ。

マスコミが本気でこのような“勘違いして生きてきた結果、不幸になる庶民”の数を減らしたいのなら、世の中は甘くないという現実を認識させるような“論調”こそが、平時(不況のこと。戦時という意味じゃない)から必要ではないのか?


努力する・しないは個人の自由だ。

だから、努力しなかった人は、それなりの生活をすればよい。本来、努力した人と比較するから“不幸”になるわけで、最初ら比較しなければ『こんなもんでしょ』と自らの環境を不遇と感じることも無い。解雇されない人間はそれなりの理由があるわけで、それと自分を比較して不幸だと感じる事もないわけだ。


テレビは、『解雇されたら、路上生活者になってしまう・・・・』なんて訴えている人を映している。マスコミの言いたい事はミエミエだが、、、、、

新聞に折り込まれてくる求人広告やハローワークでの求人が全く無いのなら、『解雇されたら、路上生活者になってしまう・・・・』って訴えも、切実に聞こえるけれど、現実は、かなりの求人がある。

そういうと、『自分の希望職じゃない・・・・・』

こんな映像を流す前に、すべての日本人が自分の理想としている職を得られているのか?とマスコミには聞きたい。

そもそも、希望する職種が、当人に合っているかどうかも問題だ。注意力散漫でケアレスミスの多い人が希望しても、パイロットにはしたくないと誰でも思うし、医療職にはしたくないって思うが如くだ。


そんな“シュガー”な労働者に『ダメな上司』って言われても、、、

『不公平だ』、、、、だって、出来の良い社員と出来の悪い社員を平等の評価をしたら、出来の良い社員から『不平等だ』っていわれちゃう。。。。

『気まぐれだ』、、、、上司の言うことをボケェ~ってしたりイヤホンしたりで聞いてなかったり、意図を理解できなかったりして『気まぐれだ』って言われても。。。。

『思いやりがない』、、、、社員の不始末を不問にふすことが『思いやり』ではないことを祈るしかない・・・・かっ。。。。


まぁ、なんにせよ、引用中に【参加者らは、ある評価体系を使って、コミュニケーションやフィードバック能力の高さ、変化対応時の成果、目標設定能力、部下に任せた仕事の量などに関し、上級管理者を評価した。】ってあるけど、日本で求められる“理想の上司像”は、野球の星野仙一氏のような“友達感覚”の上司であり、決して、この評価体系を使って優秀なスコアを獲得する上司ではないような気がするのだが・・・・・・・。


というわけで、日本の企業では、スウェーデンと違って、出来の悪い部下が御しやすい友達感覚の(ぐうたら)上司が職場ストレスをなくすのには、一番・・・・・・って事なんだろうか??

2008年12月06日

ブロッコリーは喫煙者の友?

20081206_smoking.jpg不思議なんだけど、タバコを吸いたいヤツは自分の意思で吸ってるんだから、放って置いてあげればいいと思うんだけど、おせっかいを焼きたいヤツが、世の中にはゴマンといる。

この手のデータをせっせと集めるのも、その手の一味に違いない。

がんになるのは当人にとっては、“all or nothing”のはずなのに、それを確率論に摩り替えて、意味の無い疫学調査に意味を持たせようとしている。。。。と私なんぞに下衆の勘繰りをされても仕方が無い。

そして、この手のデータは“みのもんた”や“あるある大辞典”のかっこうのネタになる。

だが、まてよ!この不況の時代に、消費活動に弾みがつくのなら、なんでもアリなんじゃないのか??って思いも頭をよぎる。別に、野菜を食べ過ぎても害にはならないだろうからね。自分で判断すりゃ良い。


その昔、ギリシャにおいてペロポネソス戦争の時代に活躍したアテネの偉大な政治家ペリクレスは何が一番優れていたかと言うと、民衆に『この国の政治は、自分たちが直接動かしている』と思い込ませたことによるのだとか。

結局、偉大な政治家は、民衆に騙されている事を悟らせずに手玉にとる事が出来るのだ。翻って、今の政治家はどうだろう?答えは誰の目にも明らかだと思うが。。。。

“みのもんた”や“あるある大辞典”などを筆頭に、マスコミも同様だ。やっていることは、民衆の思考停止を招くことだけ。

たしかに、民衆の思考を停止させれば、御しやすいのかもしれないけれど、民衆は馬鹿ばっかりじゃない。自分で考える人もいる。だから、ボロが出る。

しかし、民衆自ら『俺達ゃ、頭使ってるもんねっ』って思わせておけば、反発する人間なんぞは現れない。しかし、これは高度なテクニックを要する。私自身も、ペリクレスがどうやって何十年も“陶片追放”を免れたのかわからない。まぁ、だから偉大なんだろうけど。(ペリクレスがいなくなったとたん、アテネはスパルタにやられ、スパルタはテーバイに取って代わるも、どっちにせよ都市国家の域を出られず、船頭多くしてギリシャはまとまらない。やがて、王政のマケドニアに支配される。支配したのは、ご存知アレキサンダー大王の親父ってことだもんねぇ)


で、身近なところから民衆にあたまを使わせるには?って考えたら、『タバコの害は自分で考えなっ!』ってところに行き着くわけだ。(って、俺だけじゃねぇ~よな?)

おせっかいはやめた方がいいんじゃねぇのぉ??


ところで、日本人は別な意味で思考停止を“善し”とするところがあるって思う。自分の事も自分で決めないで、大勢の流れに身を任せる・・・・・。先進国の中でAIDSは増え続け、アルコール消費量も増え続けているのは、思考停止しているから以外のなにものでもない。
 
 
 
話は変わるが、最近知った事で、面白いことがある。裁判員制度が気になっているので、その周辺を調べていて hit したものだ。

私のところに、裁判員候補者としての連絡が来たのかどうか、それは言えないが(『来た』とも『来てない』とも言えない。だって、言ったらいけないんだよね?)、最近、こんな事(「裁判」と「判決」の違いなんての)を知ってしまったので、考えさせられたのだった。

ソクラテスは青年に害悪を及ぼしたという罪で裁判にかけられ、死刑を宣告された。ソクラテスはその裁判に不服だったが、弟子達に脱獄を勧められた時、「この裁判は受諾し難いが、その判決を受諾しなければ法治国家は成り立たないから判決には従う」と、従容として毒を飲んで死ぬ。。。。

というエピソードは、みなさんもよくご存知だろう。

"Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan"という文章は、どうだろうか?ご存知だろうか??なんとなくわかったかもね。

そう、サンフランシスコ講和条約11条の原文だ。

で、Japan が accepts した judgments の judgments は、どう訳せばいいのだろう?

当時の外務省はこれを「極東国際軍事裁判所並びに国内外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾する」と翻訳したそうだ。その為、多くの日本人が、日本は「東京裁判」そのものを受諾したと思っている。

と、えらそうに書いたが、実はこれは受け売りで、上智大学名誉教授 渡部昇一氏 の考えだそうだ。


で、私も、英語の翻訳サイトで上記文章を和訳させてみた。

まずは、エキサイト翻訳。
『日本は極東への国際Military Tribunalと他のAllied戦争Crimes Courtsの判断を日本以内と日本の外に受け入れます。』

次に、Yahoo Bable Fish 翻訳
『日本は他の同盟戦争犯罪の極東のための国際的な軍事裁判の判断を受け入れ、日本の内のそして国外の両方を招く』

まぁ、どちらの翻訳も日本語としては“酷い”ものだが、どちらも、judgments を“判断”と訳しており、決して“裁判”とはしていない。


どうして、外務省は judgments を“裁判”としてしまったんだろう??


文脈から考えて、判決=裁判 となるだろう・・・・って事なのか??

戦犯たちは、1946年4月29日に起訴され、1948年12月23日に死刑執行されたという、非常に政治的な裁判だ。負けたんだから政治的な制裁の意味があるのは当然だと思うし、立場が逆だったら、アメリカの原爆投下を“非人道的”として断罪しただろうから、ソクラテスが判断したように、世界の秩序を守るためには、日本が“判決”を受け入れるのは当然だと、私も思うのだが、、、、

その他諸々、証拠の捏造、隠匿、証人の証言を途中で打ち切ったりと裁判自体の進め方や日本だけが非人道的・・・云々に関しては、到底、受け入れてはならない筈だ。なのに、外務省はどうして、全てを受け入れるかのように“裁判”としてしまったんだろう??
(逆に見れば、諸外国は『日本は judgments を受け入れただけなのに、何故、あんなに卑屈なんだ?』って思うのだろう)

もしかして、全てを受諾して『はいはい、私達日本が、すべて悪ぅございました』と言っていれば、後のことは何も考えなくても良い・・・・・・・・。って事なのか?

だとしたら、恐ろしい。

それが証拠に?、田母神俊雄氏の考えは、政府もマスコミもこぞって否定しようとしている。“村山談話”だけに論拠を求めるのは、どう考えても無理があるもんねぇ!あっ!村山談話だけで納得する民衆を作るためにも、思考停止は必要・・・・・・。


閑話休題。ってことで、私は、何度も書いてるけど、小学校・中学校の頃から、肺がんで死んだ人の肺組織を見せつつ、『タバコを吸うと、こんなことになることがあります。まぁ、ならない人もいるから、後は、自分達で考えなさい』という教育しかないっ!って思ってるんだけど、どうだろう??


以下が、エントリーの元ネタです。

提供:WebMD

アブラナ科の野菜は喫煙者の肺癌リスクを低下させる

Miranda Hitti
WebMD Medical News


【11月18日】ブロッコリーなどのアブラナ科の野菜をたくさん食べる喫煙者と元喫煙者は、そうでない喫煙者より肺癌になりにくいようだ。

これはロズウェルパークがん研究所(ニューヨーク州バッファロー)の研究者らが今日、ワシントンD.C.での癌予防に関する米国癌研究会議(AACR)で報告したニュースである。

「まず初めにすることは禁煙」と研究者のLi Tang, PhDはWebMDに話す。なぜならば、肺癌発症の「リスクを下げるためにはやはり禁煙が一番効果的」だからである。

禁煙に加えて、喫煙者と元喫煙者はブロッコリー、カリフラワー、キャベツ、ケール、かぶら菜、からし菜、コラードグリーンなどのアブラナ科の野菜をたくさん、それも生で食べるとよいとTang博士は言う。

一方、絶対に肺癌にならない「魔法の野菜はない」とTang博士は注意する。しかし野菜を多く食べて損することはない。

Tang博士のチームは、948名の肺癌患者と1743名の非肺癌患者に喫煙歴のほか果物、アブラナ科野菜、その他野菜の摂取量について質問した。

喫煙者でも特に元喫煙者では、アブラナ科の野菜をたくさん食べていることが肺癌リスクの低下に関連していた。

だからといってアブラナ科の野菜が肺癌を予防したということではない。Tang博士の研究は観察研究で、アブラナ科野菜の肺癌予防効果を直接調べたわけではない。

しかしアブラナ科の野菜に含まれるイソチオシアン酸という成分に抗癌作用があることが他の研究で分かっている、とTang博士は指摘する。

Tang博士の研究で最もよく食べられていたアブラナ科の野菜はブロッコリー、キャベツ、カリフラワーであった。加熱によってイソチオシアン酸を活性化するのに必要な酵素が壊れてしまうので、これらの野菜は生で食べるのが一番いい、とTang博士は言う。

今年の2月、ブロッコリースプラウト抽出物中のイソチオシアン酸にラットの膀胱癌予防を助ける作用があると別の研究者が報告した。

また7月には、ブロッコリーを週に数回食べる男性は食べない男性より前立腺癌になりにくいことが別の研究で明らかにされている。

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2008年12月10日

インベーダーって何?

20081210_polymorphism.jpg『インベーダー』って聞くと、ドッ・・ドッ・・ドッ・・ドッ・・・、キューンキューン、フニュフニュフニュフニュフニュフニュ・・・・・、『やったぜ!UFO 300点』・・・・・・って熱くなるのは、アラフォーの世代かなぁ!?

私の場合は、高校1年の時に大ブレークでした。名古屋打ちをマスターしたつもりの私でも、最後の一匹には泣かされ、喫茶店で粘ること1時間・・・・・・散財しまくって、、、って話ではなくって。


大方の予想通り、個の医療は薬物治療における副作用防止から始まった・・・って話。

その遺伝子多型の診断薬の名前が、、、なななんと、『インベーダー』なのだ。正式な名前は「インベーダー(R)UGT1A1 アッセイ」だ。2008年11月1日付で保険適用(保険点数2000点)となった。

この手の商品は、これからバンバン出てくると思われるが、個の医療としての遺伝子治療は、まだまだ、当分、先の話だろう。

しかし、診断キット、製品としては、2005年にアメリカで使用開始されている。なのに、何故、日本での導入が遅れたのか??

この診断薬で治療するわけじゃないんだから、副作用もへったくれもないのに??

あっ、その前に、何を調べる診断薬なのかを説明しておこう。

“イリノテカン”って抗がん剤は、いろんながんに使われているんだけど、その代謝(解毒)酵素、すなわち、UDPグルクロン酸転移酵素(UGT1A1)の遺伝子には多型が存在する為、同じ量を投与しても“イリノテカンの効き方”が違うっていう現象に、臨床医たちは悩まされていた。効かなくてもマズイけど、効きすぎれば“致命的”だからだ。

この“インベーダー”は、UDP グルクロン酸転移酵素(Uridine diphosphate glucuronosyltransferase,UGT)の分子種の1つであるUGT1A1 遺伝子多型のうち、抗がん剤「塩酸イリノテカン」の代謝に関与すると報告されているUGT1A1*28 とUGT1A1*6 を判定するのだ。ちなみに、遺伝型*28と*6を持つ患者は代謝活性が低く、“イリノテカン”の作用が強く出てしまうタイプだ。

で、この多型を調べる方法を“インベーダー法”と呼ぶ。

ちなみに、グルクロン酸転移酵素 (UDP-glucuronosyltransferase : UGT) は、薬物、異物あるいは内在性物質であるビリルビン、ステロイドホルモン、胆汁酸などにグルクロン酸を付加する反応を触媒する酵素で、べつに特別なもんじゃない。


閑話休題。厚生労働省は、何故、保険適用を渋ったのか????

いろいろと考えてみたけれど、メリットしか考えられないので、意味不明だ。『個人の遺伝子を調べる事』を利用した医療が日本で初めてなので、もし、万が一、想定外の事が起きたら、新聞・マスコミの格好の餌食になるからビビったのか??

そう言えば、BTJ 11月号に、『東大医科研論文捏造報道はフェアだったのか?』と題して、朝日新聞の姿勢を問う文章が掲載されている。朝日新聞に事実誤認があっただけでなく、事件そのものの“悪質性”などを考慮すれば、取るに足らない事なのに、相手が“天下の東大”だということだけで、記事のボリュームは常識を欠いていたと。(アメリカじゃトリビューン社が潰れたっていうし、そろそろ、朝日も危ないかな!こんな三流週刊誌並みの記事を書いてるようじゃね)

こんなことされりゃ、厚生労働省もビビるわなぁ。なにしろ、日本で初めての事をするわけだからねぇ。

というわけで、最初の一歩は誰しもが踏み出したくないっていう、日本人の特質からくるものだったのだろうか??

それとも、単に“保険適用”しなかったのは、保険の財源の問題??

何にしても、投与する前から、副作用の発現がある程度予測できるのには越したことは無い。正式な手順を踏んで取得した医薬品を使っての副作用は“救済制度”がある。この制度による支払い金額が、年間、どれ位になるのかは調べたことも無いけれど、そんなものと天秤にかける事じゃないだろう。


現場の人間に取っちゃ、副作用が出たら、取り合えず、矢面に立たされる。その上、最近ではそれを理由に脅されるケースもあるらしいし。

そういうわけだから、現場の医療人の士気に関わる事を考えても、この手の診断薬はバンバン保険適用されることを望みたい。そして、存在の必然性も無いくだらない医薬品は、薬価基準からバンバン削除してもらいたい。


・・・・と、本日は、日記ふうにかいてみました。

2008年12月24日

倫理観って何だろう?

20081224_moral.jpg『テレビゲームは高齢者の知力を高める可能性』

こういう臨床試験の結果がニュースになるって事からして、“テレビゲーム”ってのが偏見に満ちた目で見られている証拠だ。(別な意図を感じるが、それは後ほど)

ゲームをする道具が何であれ“戦略的なゲーム”ならば、同様の結果が得られるだろうに!テレビゲームに限らず。逆に言えば“テレビゲーム擁護派”にとっては、ゲームの内容も問わず『ほら見ろ』って根拠にされかねない。戦略的なゲームだとしても、攻略本などを読んでゲームすれば、それは、ゲームをクリアすることだけが目的になってしまって、副次的な“知力を高める”効果なんて望めない。。。。そんなことはチト考えればわかることだ。

“戦略的なゲーム”の対照に“シューティングケーム”を選ぶのもいいけど、“戦略的なテレビゲーム”と“戦略的なカードゲームやボードゲーム”、そして、“戦略的なテレビゲーム”を攻略本を与える群と与えない群。そんなところまで踏み込んで“テレビゲーム”と“知力を高める可能性”を考察してもらいたいもんだ。

テレビゲームは高齢者の知力を高める可能性

提供:WebMD

高齢者はストラテジーゲーム「ライズ・オブ・ネイション」で遊ぶことによって記憶力、推理力が向上するとの研究

Miranda Hitti


【12月12日】高齢者はストラテジーゲームで遊ぶことによって記憶、推理などの「実行」という知的機能が改善する可能性がある。

新規研究による同知見は『Psychology and Aging』に発表されている。

この研究では、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(University of Illinois at Urbana-Champaign)の近隣に住む健康な高齢者(平均年齢69-70歳)39名を対象とした。研究開始時点では、被験者の中にテレビゲームをする人はいなかった。

まず、被験者に種々の知的機能検査を行った。次いで、被験者を2群に分けた。

次の2カ月間にわたり、1群の被験者はライズ・オブ・ネイション(Rise of Nations)というストラテジーゲームを15セッション行った(各セッションは90分間継続)。比較のため、他群の被験者はテレビゲームを行わなかった。

ライズ・オブ・ネイションでは、各プレーヤーはひとつの国を選び、より多くの領土を獲得し、都市を築き、都市の中に「ワンダー」(という特殊建築物)を築き、インフラを管理し、敵から防御し、外交交渉や諜報活動などを行う。地政学的に策を練り、同時に複数の作業をこなしつつ、狡猾さと虚勢を併せ持つ必要がある--『マキャベリ』と『ナポレオン』が合わさった内容となっている。

「商人が必要である。自国を守るために軍隊を必要とし、教育と食物にある程度の資源を費やしていることを確認しなければならない」と研究を行ったChandramallika Basak, PhDはニュースリリースで述べている。「このゲームは資源の管理と運用の計画性を重視している。多くの高齢者は独力で自分の資源を計画および管理しているので、このことは高齢者にとって重要であると思う。


テレビゲームの効果

この実験の終了時点で、被験者全員に再度、知的機能検査を実施した。

テレビゲームをしなかった人たちに比べて、ライズ・オブ・ネイションを行った人たちでは、作業記憶、短期記憶、推理、タスク切替能力に大きな改善が認められた。

比較群がゲームに参加しないのではなく他種のテレビゲームで遊んだ場合に結果が違ったかどうかわからない、と同研究者らは記している。

同研究者らはライズ・オブ・ネイションの製造元との関係はないと報告している。この研究は米国立老化研究所(National Institute on Aging)の助成金による援助を受けている。

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でもって、脳を活性化するって状況、すなわち、戦略的なテレビゲームをする最中に、その効果を最大限に出来る可能性のある薬物の投与を試してみるってのはどうだろう??

それこそ、脆弱な倫理観なんてぶっ飛ぶかもしれないよね。


「脳を増強する薬」合法化を主張する『Nature』論説』っていう記事が、今、しずかな注目を集めている(のか?)。

生命倫理観っていうんだろうか?そういうものに対する感覚は、一般の方より“残酷で冷酷”な方向に振れているって、私は自分のことを分析しているけれど、この記事をちょこっと読んだときには、その科学者達の行為や大学教授達の思考ロジックには、ついていけなかった。

読んでいて、非常に違和感を感じたのだ。

一部、引用すると・・・・

Nature誌の論説は、これらの批判に次のように反論している。まず、脳の働きを高める薬が不正とみなされるのは、規則で禁止されているからであり、そもそも禁止する必要はないという。こうした薬が自然に反するという指摘については、そうであるなら医学や教育、住居も自然のものとは言えないと主張する。

この主張はさまざまな意味で説得力がある。自然に反するという理由で、殺菌された牛乳や歯科麻酔、セントラル・ヒーティングを否定する人はいない。また、脳が変化した場合、その原因が薬、教育、健康的な食事のどれにあるとしても、神経生物学のレベルではどの変化も同じであり、これらを道徳的に区別するのは恣意的といえる。


しかし、ゆっくりと思考をめぐらせば、ゲームの効果のアジュバントとして高齢者に投与するんなら、なんら問題ないんじゃないの??って

人間にとって『規則で禁止されている』事って、みんなで破れば怖くなくなる。ってゆーか、本能だ。


人間が法律を作ったのは、古代ギリシャやローマ帝国の歴史をみても明らかなように、集団で生活する上で必要に迫られたからだ。人間、みな価値観が違う。そんな人達が集まって集団としての利益を最大限にする為には、ルールが必要だった。

そのルールを守るのが“倫理観”だろう。

現代社会で“倫理観”“モラル”の低下が叫ばれて久しいが、逆に言えば、ルールを作る人達が本来の目的を逸脱してルールを作ることが目的化してしまい、必要のないルールが多すぎるからなのかもしれない。

『赤信号、皆で渡れば怖くない』ってのは、赤信号で渡れば車に轢き殺されるんだから、これを根拠に信号無視して渡るのは、ただのバカだけど、『赤信号をなら渡らない事がモラル』なんて理由にすれば、破りたくもなるってもんだ。

ローマの時代は成文化された法律は少なかった。当たり前だけど。だから、人は成文化されてないことは“常識”に従った。殺されるのを喜ぶ人はいないんだから、モラルでもなんでもない。

現代人は、『良かれ』と思ってやったことだろうけど、事細かに取り決めごとを成文化した。それが仇になって、『じゃ、法律に書いてなければ、なにやってもいいじゃん』ってなってしまったのだろう。

赤信号で渡ることは、『モラルじゃなくって死ぬからだ』って現実を突きつけてやった方が、人のためになると思うんだけど・・・。それくらい、自分で考えろって!


同様に、高齢者は先が短い・・・これが現実だ。これを突きつけないでいるから、世の中、話が拗れてくる。

薬を使わないって、法律で決めるんじゃなくって、まさにメリットとデメリットを秤にかけて、デメリットが大きければ使わない、メリットが大きければ使うでいいんじゃないのか?

高齢者は残りが短いんだから、その間、脳機能が高く保てれば、最良ではないのか?高齢者に先が短いことを告げることが、何故、社会的な悪とされちゃったんだ?

為政者やマスコミは一般庶民に考える機会を与えないから、どんどん庶民はバカになる。自分で考えさせれば、すなわち、脳を使えば知力が高まるって、研究者達は訴えているのに、事実を、そういう意図通りには伝えない。

それでいて、バカを救うのは、バカの味方は、弱者の味方は、我々だ!、、、、ってやる。

その良い例が、『脳を使えば、知力が高まる』って当たり前の事を、さも、特別なことのように報道する姿勢だ。(先に書いた意図的な報道)


ルール違反に見合う罰則がないならば、ルールは破られる方向に向かうのが、人間の性だ。

ルール違反は伝染しやすい(Contagious Rule-Breaking)

Science December 12 2008, Vol.322

他人があからさまに社会規範(ルール)に反するのを見ると、“皆がやっているのになぜ自分だけ”と思い、その人もたやすくそのルールを破るであろう。

では、他人があるルールを破った場合、人は他のルールあるいは法律さえも破る可能性が高くなるのであろうか?

Keizerたち(p.1681, 11月20日のオンライン出版参照)は、6つのフィールド実験をオランダのGroningenで行った。

その実験では、被験者はごみの投棄、落書き、禁止されている場所での花火など社会的違反行為を見たり聞いたりした後、他のルールを守るか違反するかを選ばなければならない。

ルール違反の痕跡がある場所では、ルールを破りたい気持ちが高まることが実証され、落書きを見ることでごみの投げ捨て、窃盗が倍増した。

The Spreading of Disorder
p. 1681-1685.


モラルの崩壊は、人間に内包するものなのだ。

ルールを守らせたいなら、秤にかけたメリットとデメリットを“考えさせなければ”ならない。

くどいけど、赤信号で横断歩道を渡れば“死”が待っている。死にたくなきゃ、赤信号で渡らない事だと。現代の風潮は、赤信号で轢き殺されても車の運転手を悪者にする。これじゃ、ダメなんだよね。

偽善に満ちたマスコミの垂れ流すバランス感覚に毒されたバカな庶民の目から鱗を落とす、、これが、WebMaster's impressions の存在意義・・・・なんちゃって!

ここへのエントリーは、これが今年最後かもしれない。また最後に、かなりの“藪睨み”を利かせてしまったかも知れないけど、まぁ、これが私の個性ってことで。

(p.s. 最後とかいっときながら、また、書くかもしれないけど・・・ワハハハハ)

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2008年12月にブログ「WebMaster's impressions」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

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