娘は学校、妻は仕事が終わってから出かけたので、6:05pm からの上映を観る事になってしまったのだが、、、妻は子供の教育上、夜更かしは厳禁だと信じて疑わない人なので、映画から帰ってきたらすぐさま寝かしつけるために、私は映画に行く前に娘をお風呂に入れて(小学1年生)から出かけるハメになったのだった。
夜更かしは、良くない! 人間、やっぱり早寝早起きが一番!!って思っている人は多い。
それに、朝型の人の方が夜型の人より“優れている”と思っている。
しかし、最新の研究では、睡眠を制限するという負荷をかけた時、夜型の人の方が耐性、すなわち、注意に関連する脳領域の活性が落ちないことが判明した。
多分、『学校のテストや入学試験は午前中にあるから、朝型に切り替えろ』という学力試験対応戦略が、朝方が優秀という誤認識に至ったのだろう。一事が万事ってことんなだろうな。
早起きと夜更かしの比較(Early Birds and Night Owls)Science April 24 2009, Vol.323
一日を通してみると、認識能力は日周プロセスと恒常的な睡眠欲求の混ざった影響下にある。
朝が最高潮の人から夕方が最高潮の人まで様々なタイプの中から朝型と夜型の両極端の被験者を使い、Schmidt たち(p. 516) は、10時間以上覚醒状態に置いた場合、朝型の人は夜型の人に比べ注意に関連する脳領域の活性が落ちることを見出した。
更に、朝型の人は、より眠気をもよおし、注意を要する課題の効率が遅くなる傾向がある。
適当な時間にバランスよく眠ることが毎日の行動パターンを制御する上で重要であると思われる。
Homeostatic Sleep Pressure and Responses to Sustained Attention in the Suprachiasmatic Area
p. 516-519.
思い込みっていうのは、恐ろしい。
思い込みが恐ろしいといえば、何か事が起きた時、人は、それに対応するべく“脳を使う”わけだが、ここでも、人によって使う脳領域が違うことが明らかになった。
使う脳領域が違うんだから、その結果である“行動”に差が出るのは仕方がない。
いろいろゲームをする(Playing More Games)Science April 24 2009, Vol.323
戦略的意思決定や社会的選好の根底にある神経メカニズムは、実験的な「ゲーム」によって解き明かすことができる。
2者によるゲームのうちの支配可解(dominance solvable;一歩一歩慎重なる推論により解いていく)ゲームでは、採用するのが最適な1つのやり方であるユニークな戦略が出現する。
というのも、そのやり方は相手方が何をするかによって打ち負かされることがないのである。
別のクラスのゲーム(coordination game;直感により解いていく)では、唯一の解というものはなく、最適な戦略はプレイヤー同士が互いに協調することを必要とする。
それは、明示的情報交換がないという条件下で、「心を合わせること」が生じるということである。
Kuoたちは、これら2つの種類のゲームを行っている被験者たちの神経画像化処理を主導し、従来慎重かつ努力の必要な推論に付随しているとされてきた脳領域が、支配可解ゲームの際に活性化し、一方、協調ゲームの際には、社会的プロセシングに結び付く別の脳領域が中心となって作用しているということを発見した(p. 519)。
Intuition and Deliberation: Two Systems for Strategizing in the Brain
p. 519-522.
例えば、今、大騒ぎしているインフルエンザ対応も、人によってかなりの差がある。
この論文に当てはめてみると、インフルエンザに対する知識がある人は、支配可解ゲームで使う脳の領域で考え、知識が無い人は coordination game で使用する脳の領域で考える、すなわち、自分にとって危険かどうかを直感で判断する・・・っゆー感じだと思うんだけど。
直感で判断する人達にとって、その時に流行っているインフルエンザウイルスが危険なものかどうかを判断するより、周りの人はどう対応しているのかの比重が高いんだろう。
っていうか、マスコミによって、インフルエンザウイルスのビルレンス(病原性)の強弱以外に、ナンセンスな余計な情報がもたらされ過ぎて正常な判断力が削がれ、「こんなに報道されるんだから、なんか、ヤバイんじゃないの」って思い込まされた結果として見るべきなのかもしれないが。※注
しかし、『明示的情報交換がないという条件下で、「心を合わせること」・・・』っていうのが、皆でマスクするっていう現象と似ていて、、、、、、怖い。
このように、ある出来事に、脳のどの辺を使うのか?って事は、天使と悪魔で語られる科学と宗教、宗教をどのように捉えるのか?って事にも繋がっているんじゃ?ってふと、思ってしまったのだ。
余談になるが、映画からの帰り道、車のラジオからは東京での発症例をネタにしたトーク番組が流れていた。コメンテーターは、とある医師(女性)の方。番組ナビゲーターの質問も突飛なら、それに答える医師の回答も免疫学を知っているのか?と言えるほど、お粗末なものだった。。。。だが、免疫学を知らなければ、十分、納得させられるほど、話の進め方はロジカルではあったのだが、、、
結局、問題なのは、医学の未熟さで、映画・天使と悪魔の中で語られる『・・・宗教も過ちを犯す。だが、それは人間の未熟さゆえ・・・』というものと同レベル・・・・・って感じてしまった。
そもそも、インフルエンザの病原性を問題にする時、医学は人間の個体差を加味しなければならないから、個人的な予見、確定的な事は、何一ついえなくなる。“決定打”として語る為には、100人居たら、100通りの説明が必要になるわけだ。。。。
しかし、現実には、そんな医学的な研究は不可能。
あらましの人にとって“弱毒”であっても、その機序はどうであれ、不幸の転機を辿った人、その家族にとっては、“弱毒”ではないわけだ。そういう人は、なににすがるかと言えば、、、、、
「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る」によれば、関東大震災でのデマから日本人が在日朝鮮人を虐殺してしまったことに対して、寺田寅彦は、科学的な考察をすれば、井戸に毒を入れて放火するなんて事が、簡単に出来ないことなどすぐにわかりそうなものなのに・・・と痛烈に、当時の庶民の科学的な常識の欠乏を嘆いている。
著書は、「そうはいっても、非常時に常識的な考え方をせよっていうのも酷なんじゃ?」と書いている。まぁ、それはそれで言えてる。が、それはいいとして、
物理の真理は、万人にとって、一つだ。E=MC^2 は人によってまちまち・・・なんてことはない。間違っちゃいない。だが、、、、
医学は、極論は、個人の数だけ真理がある。
問題を、医学的に切るのは、、、、いつまでたっても、無理なんだろうなぁ。そもそも、医学は科学にはなりえない・・・・。
私は、リチャード・ドーキンスの事を崇拝している・・・・・・が、ドーキンスが宗教を忌み嫌っているのだけは、同調できない。ジェイ・クールドにこそ同調出来る。
やっぱ、宗教は必要だと思うよ! 神の存在を信じるとか信じないとかいう話じゃなくって。
マスクをすることで、本人の気持ちが“不安”から免れるなら、科学的な根拠は“ゼロ”でも、それにすがる、、、宗教と同じ扱いでいいのかもしれない。。。。
というより、現代の医学は、見方によれば、患者の気持ちを癒す宗教の一つとも見なせるのだからね。
でも、ひとつだけ、やめて欲しいのは、「お前も、マスクしろっ!!」とても言いたげに、人を睨みつけるような行為や発言、自分の信念を他人に強要する事だ。
思い込みは、いいんだけど、こうなると、恐ろしい。
※注:季節性インフルエンザの感染力だって毎年変わる。なのに基準を提示せず、新型は感染力が強い・・・・とか、非科学的な事、言ってるよね。。。ジャイアント馬場は強いって言うのと似てるよ・・・苦笑。それに、感染力と病原性を混同しているふしも見られる!?