小太りで豆タンクのような女が、大股でカツカツと私の前を横切り、駅の改札へ向かう。私はおもわず道を譲ってしまい、すこしあとに、チラっとその女に視線をくれる。
やっぱり、、、、怒った顔してる。
なんか最初から怒っている人が増えているような気がする。結局、自分が損をするのに・・・・。
こういう態度をとっている人に、優しくしようとは思わない。それどころか、その人に利益をもたらす情報をあえて与えない“意地悪?”な心が芽生え、積極的にサボタージュする事になる。
私は、日々、こんな小さな事を繰り返し、心の平和を維持している。
「意地悪?」と「?」を付けたのは、私は、これがヒトの脳の仕様であり、自然な事だと理解しているからだ。ヒトの脳には互恵的な利他行動に反する“個体”“行為”に敏感に反応する機能があり、生存に有利なため淘汰圧を免れて現存しているということを知っているからだ。
だが、世間一般には、このような行為は“意地悪”と呼ばれるのだろう。
でも、何で“意地悪”って評価されるのだろう??
親切でないから意地悪なのか?
私は、後味の悪い自己嫌悪を催す行為は、“意地悪”だったなと感じるのだが、積極的なサボタージュには、後味の悪さは感じない。ただ、こういう行為が“意地悪”と世間一般で理解されている為、自分がそのような評価を受けるかもしれないという事に対して、後味の悪さを感じることはあるにせよ。。。。だ。
ヒトは脳から沸き起こる感情を言葉に置き換える作業をする。言葉で考える。
日本人なら、日本語で怒り、喜ぶ。
これも“脳の機能”とである。
同じ“脳の機能”でも、互恵的な利他行動に反する“個体”“行為”に敏感に反応する機能は『意地悪だ』とされてしまうのは、なんか、道徳的な教育、、、もしくは宗教的な、、、。
でも、側頭葉てんかんの患者のなかには、この宗教的な体験?をする人が多いらしく、神の啓示もまた、生存に有利なため淘汰圧を免れて現存している脳の機能だとしたら、、、、、。地域、言語(これは脳が考えコミュニケーションする為の手段だっ!)を問わず、宗教が存在しているんだから、ヒトの脳が持つ普遍的な機能、、、、、と考えてもおかしくない??
だとしたら、脳は、自分を否定する機能をも持ち合わせている・・・・?
この“機能”は、抑制性の神経系という“実態=形態”が実現しているのだろうか??
なんだか、ごちゃごちゃしてきたけど、脳の事を脳が考えている、、、、これって、なんか面白い。
まぁ、そんな事はいいとして、最初から“怒っている”ような雰囲気を醸していれば、こっちもやり易い。だけど、したたかに、謙虚に出られると、それが“最善”とは思わないことでも、受け入れざるを得なくなることがある。
いわゆる“巨悪”というのは、そういうふうに存在していけるのだろう。巨悪が必要度と二律背反の関係にあれば、存在するのも止む無しかもしれないのだが、、、、既得権益ばかりは、、、、
既得権益を守る人達が、最初から、喧嘩腰に“俺達の権利だぜ!”ってやらないところがミソなんだろう。
やけに、前フリが長くなってしまったが、、、、、
私の、最近のわからないことの一つに、薬学部学生の臨床実習に、是が非でも調整機構を使うことにしたというのがある。
この話題は過去にも何度かしているので、経緯はご存知の事として話を進めるが、某薬科大学では、調整機構に不安を感じ、OBが運営する薬局での実習を検討していた。ところが、途中で学長が代わると、遮二無二、調整機構を介しての実習に拘り、大学独自の実習カリキュラムを放棄させてしまったのである。
ここで、以下の引用を読んで頂きたい。理化学研究所の発行するオンライン版の小冊子に掲載されていたもので、2009年度より理研脳科学総合研究センターのセンター長に就任した利根川進と理事長野依良治のノーベル賞対談での利根川氏の話・・・
RIKEN NEWS 5月号 No.335 May 2009日米では学部の入試制度も違いますね。MITには日本のような入学試験はありません。MITでは志望理由を書かせる小論文と面接を重視します。何千人もの入学希望者をどうやって面接するかというと、MITを卒業して各界で活躍している人たちに面接を依頼するのです。面接官はそれぞれの主観で学生を評価します。そして大学側では、その面接官が高く評価した学生が、入学してから本当にMITの欲しい学生だったかどうかを検証して、一致していなければ、その面接官を次回から外します。この方法は、試験で点を付けるほど客観的なものにはなりません。MITだけでなくハーバードなどほかの大学も同じような方法です。
これは日本と大きく違いますね。日本の社会は戦後、あまりにも平等主義、客観主義を重視して、人の主観というものに信用をおいていません。特に研究のように創造的な仕事をする場合には、これはかなり問題だと思います。
私は、これを読んで、膝を打った。
大学独自で臨床実習先を確保する事自体、“仏作って魂入れず”の実態を放置した当局の怠慢に対する、強烈なカウンターパンチになるし、非常に合理的だと感じていたんだけど、この対談を読んで、大学独自の方式が、より優れていると確信した。
OBが後輩を鍛える・・・・すなわち、大学間の薬剤師養育の競争をもたらすわけだ。
世に出た薬剤師が使い物にならなくて、『どこの大学、出てんだよぉ。ったくぅ』とならない為にも、そして、出身大学の誇りを守るためにも、この方式のほうが利点が多いって思う。
何故、これが出来ないのか??
新たな学長の履歴書をみるにつけ、目は下(学生)ではなく上(国、保身)に向いているなぁって感じる。細かい事情は知らないけれど。
そして、現場では、暇で休日にも何もする事がない輩が、せっせと講習会に通い“認定”を取得し、この“認定者”以外を臨床実習指導できないように締め出している。
そして、その講習会の内容たるや・・・・・・。愚痴はやめよう。
大学間の薬剤師養育の競争に“質の担保”を求め、調整機構はOBの居ない、もしくは少ない大学の受け皿とする方が、よほど、学生志向で薬剤師資質向上に貢献すると思うのだが。。。。。
どの世界でもそうだが、魑魅魍魎を排除して実利を取るということは、日本語で考える日本人の脳を持っている人達が実行権を持っている限り、無理な事なのだろう。
というわけで、私は、小さな抵抗として、講習会に出席せず、認定も受けず、調整機構に組み込まれることを拒否し、学生実習に参加しないことにする。調整機構が破綻して、大学独自カリキュラムが復活し、低レベルの“認定”を必要としなくなる日まで。
(・・・・やっぱ、サボタージュ・・・だよなっ、どう屁理屈かましても・・・・ハハハ)