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移植法修正A案を発表…参院議員有志「提供時に限り死」

20090708_transplantation.jpg私は、娘が不慮の事故で脳死状態になったとしても、絶対、臓器提供はしない。


移植法A案が参議院に回って、一部を修正して可決しそうな雰囲気だ。

衆議院で可決された段階では、親族への臓器優先提供という文言が盛り込まれていたそうだが(ぜんぜん知らなかった)、修正A案では、取り消され?(読売新聞社の概要図が曖昧の為、よくわからない)かわりに、法施行3年後の見直しなどの文言が盛り込まれるようだ。

そして、もっとも不思議なのは、現行法と同様、脳死の位置付けを曖昧なままに置き去り、移植だけは15歳以下でも可能にしようというものだ。

・・・・・・なんなのだ???これは???
(穿って見れば、賛成派、反対派の双方のガス抜きが出来る折衷案なのだろうが、よくわからん)

移植法修正A案を発表…参院議員有志「提供時に限り死」

 自民、民主、公明党の参院有志議員は7日、衆院を通過した臓器移植法改正案のA案の修正案をまとめ、発表した。

 A案が脳死を「人の死」を前提としている点を修正し、現行法通り臓器提供時に限って人の死とすることが主な柱だ。9日にA案を審議している参院厚生労働委員会で修正動議を提出する見通しだ。脳死が「人の死」であることを前提とせずに、本人の意思が不明確な場合でも家族の同意だけで臓器提供が可能かどうかが議論になりそうだ。

 修正案をまとめたのは、西島英利、衛藤晟一(自民)、谷博之(民主)各参院議員ら6人。

(2009年7月8日 読売新聞)


さて、冒頭の私の『絶対、臓器提供はしない』という決意を読んで、あなたはどのように感じられたであろうか?

私の事を『人道的じゃない』『人の情けを知らない』『自分勝手で冷徹なヤツ』などと感じなかっただろうか?

そう感じたあなたは、多分、新聞などで見かける『「もっと早く法改正の議論をしてもらえれば、○○郎も今、元気だったのではないかと思えてならない」』とか『妻が抱える息子の遺影を見つめ、「A案で採決できたよと報告できる。参院審議があるが、一歩踏み出せた。息子と共に最後まで頑張りたい」』などの文章で、目頭を熱くするタイプなのだろう。

こういう感情を惹起する人達は、移植法案採決などという状況で、臓器の提供側ではなく臓器移植を受ける側にシンパシーを感じがちで、自分自身に当てはめる時提供を受ける側として想像しがちな人達だ(新聞やテレビ報道でそのように仕向けられているからかもしれないが)。

そして、多分、その人達は、自分らの感情や態度を“人道的”であり“情に熱い”人間だとして誇りに感じている。

『人の命を救う事は、何にもまして尊い』、心からそれを思える自分は、、、、と。

そして、そのような認識は、世論(せろん)にもある。

それが証拠に、新聞にも『「前日まで元気だった子が、急に事故や病気で脳死状態になった場合、家族は冷静な判断ができない」として、本人の意思が不明でも家族に判断が委ねられるA案に異議を唱えた。』と書かれるように、反対する人達も、臓器提供を断るのに、“冷静な判断の上である”という大義名分を必要としている事からもわかる。

つまり、臓器提供を断るのに“うしろめたさ”を感じているのだ。

冷静に判断するなら“臓器提供することが人道的である”と皆が思っているから、拒否する事は“非人道的”な人間だと思われてしまうんじゃないのか・・・・・と。
 
 
 
嫌なものを嫌といえない、、、、、、これって、一体何なのだろう?

人命を人質に言論・思想の弾圧・・・・?価値観の画一化・・・・?ある種の全体主義・・・・??
 
 
 
マスコミは、そういう方向に、もって行こうとしている???

マスコミのやりそうなことだ。マッチポンプの“マッチ”の仕込みなのだろう。。。。そのうち、反対方向にいくんじゃない?子供の臓器が狙われる事件が起きたりしたらね。
 
 
 
だから、敢えて私は、『娘が不慮の事故で脳死状態になったとしても、絶対、臓器提供はしない。』と言う。
 
 
子供の命を救う事自体に異を唱える人はいないだろう。当たり前だ。

いくら私が事あるごとに『日本は人口過剰だ』なんて言っていたとしても、救うことが可能な命を救う事に異論はない。だが、単なる延命は違和感を覚える(価値観を異にする事を否定するわけじゃない)。


人が生まれるのは、その親の“性欲”の結果だ。行為をしなければ生まれはしない。自然の摂理だ。そして、自然の摂理は、100%を保証していない。(保証したら、種から亜種が発生せず、生物の進化はない)

現代人の感覚で言う“五体満足”で生まれない場合もあるのだ。これこそ、万人に平等に、機会は均等に訪れる。

“五体満足”で生まれる事を100%望む事自体が間違い。悲しい事ではあるけれど。

五体満足で生まれなかったことが、不平等ではないのだ。

自然の摂理に不満があるのなら、神様に恨みを言えば良い。

こんな辛い目に逢いたくなければ、“性欲”の結果、子供が出来ないようにすれば良い。ペットの死に遭遇するのが辛いから、動物は飼わないというのと同じだ。

現代人は知恵も術もがあるんだから、臓器の不全で子供を失うなどの悲劇を味わいたくなければ、子供を作らなければ良い。

子供を作るって言う事は、それだけの覚悟の上で、すべき事だと、、、私は思っている。

だから、『「もっと早く法改正の議論をしてもらえれば、○○郎も今、元気だったのではないかと思えてならない」』とか『妻が抱える息子の遺影を見つめ、「A案で採決できたよと報告できる。参院審議があるが、一歩踏み出せた。息子と共に最後まで頑張りたい」』などの文章を新聞で読むと、非常に違和感というか、嫌悪感を覚えるのだ。


(私が、“出来ちゃった結婚”に、嫌悪を感じるのも同じ理由だ。どうでもいいけど)


ここまで読まれて、私の事を『人道的じゃない』などと感じた人の中には、『(おまえは=私のこと)どうせ、自分の子供が移植を必要としてないからだ』なんて思う人もいるだろう。

私の子供は、心臓移植を必要としている。。。。。

かどうかは、わからない。現時点では必要はなさそうだ。今まで、娘の心臓を調べた事もないし。

いずれにせよ、もし、娘に移植が必要になっても、移植して延命しようとは考えていない。

今、死ぬ事と、3年後、5年後、10年後、15年後、20年後、25年後(現時点で心臓移植に、これ以上の実績は無い)に死ぬ事に、特別な差を見出せないからだ。

でも、私の価値観を、他人に押し付ける気は、ない。


だから、移植が人道的であるなんて価値観を強要するような世論(せろん=雰囲気)に嫌悪を感じるのだ。


価値観は、人それぞれ。臓器提供したい人はすればいいし、子供が脳死になって親がその臓器を提供したいならすればいいし、臓器移植を受けたい人は受ければ良いし。

それぞれの価値観にしたがって行動すれば良いだけで、他人にとやかく言われる筋合いのものじゃない。

新聞に取り上げられている(移植が出来ずに)子を失った親は『もっとはやく、、、、』と言っているが、移植を受けさせなかった法律を恨み、制度を恨み、そのうち、『脳死のくせに、何故、臓器を提供してくれないんだ』と人を恨むんだろう。。。(かわいそうに・・・ある意味、偽善者達の犠牲でマスコミのオモチャだ)
 
 
マスコミ!なんでも世論(せろん)調査すれば良いってもんじゃねぇんだぞ!!わかってんのか?ゴルァ!!こんな事(死生観)は、どっちが多いとか、どっちが正しいとか、どっちが正義だとか、どっちが人道的だとか決める事じゃねぇんだよっ!バカっ。

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2009年07月08日 15:59に投稿されたエントリーのページです。

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