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2009年11月 アーカイブ

2009年11月04日

押尾学事件、感情的に判断して何故悪い?

20091104_MDMA.jpgはじめに、アレルギー体質は転写因子「Mina」の遺伝子が原因だっという発見。

これは、抗原暴露があった時、その“現場”に、IL-4 が多く出ちゃう事を説明できるものだ。

初回に、抗原提示細胞から、抗原の提示を受けて・・・・・って所で、今までは、抗原提示細胞そのもの、つまりB細胞から提示を受けるのか、マクロファージから受けるのか、樹状細胞の性質なども考慮に入れて、、、、受ける側のT細胞もリンパ節で他の抗原を受けているT細胞がいたりしたら、そのサイトカインの影響を受けたり、、、、、と、かなり曖昧に説明されてきた箇所が、T細胞の「Mina」で、、、、全てではないにせよ、説明できるようになったって事だ。

これは、解釈の仕方によっては、アレルギーの“場の雰囲気”の影響を過小評価させる方向に進みそうだが、腸内細菌を介してのアレルギーコントロールなどもマウスでは見られるので、一方的には進まないだろう。

“場の雰囲気”ってのは、実験的には、花粉を暴露して IL-12 を同時に投与するような場合の、IL-12 存在量のこと。人為的にせよ、自然の流れにせよ、初期のサイトカインである IL-12 がその反応の場にあれば、細胞性免疫に向かうのだからね。

人間で、「Mina」が、どれ位の割合で免疫現象に影響しているのか、はたまた、さらに「Mina」の影響を制御する因子があるのかなどなど、、、、興味は尽きない。


が、臨床的には、100%の制御はかえって悪そう。ほどほどの適当な制御がいいんだろうなぁ。。。システムとして機能しているものが対象の場合にはね。

 理研免疫・アレルギー科学総合研究センター シグナル・ネットワーク研究チームの久保允人(まさと)チームリーダー、米国セント・ジュード小児研究病院のマーク・ビックス准教授らの研究グループが、アレルギー体質を決めるのは転写因子「Mina(ミーナ)」の遺伝子であり、そのSNPs(スニップス)がアレルギーの発症にかかわっていることを明らかにした。

 これまで、アレルギー体質には遺伝的要因が関係していると推測されていたが、その遺伝子やメカニズムは謎のままだった。今回、研究グループは、アレルギー発症の原因となる「インターロイキン-4(IL-4)」の産生に関連する遺伝子がゲノム上のどこに位置しているかを調べ、16番染色体上の領域に存在することを明らかにした。そして、この領域に存在する30個の遺伝子に注目し、アレルギー体質のマウスとアレルギー体質でないマウスを比較した。その結果、アレルギー体質でないマウスのT細胞(免疫応答に関与するリンパ球の一種)にはMinaが多く存在するのに対し、アレルギー体質のマウスでは少ないことを突き止めた。また、Mina遺伝子の塩基配列を、アレルギー体質のマウスとアレルギー体質でないマウスとで比較したところ、Mina遺伝子上に多数のSNPsが存在し、これがアレルギー体質を左右していることも明らかにした。

 さらに研究グループはMinaの働きを調べ、MinaがIL-4 の遺伝子に結合し、T細胞内でIL-4の産生を抑制することを解明した。人為的にMinaの発現を増加させたマウスでは、T細胞でIL-4の産生が低下したのに対し、Minaの発現を減少させたマウスのT細胞では、IL-4の産生が上昇した。これは、Minaがアレルギー体質を制御することを示している。

 今回のマウスの研究結果から、ヒトでもMina遺伝子のSNPsがアレルギーに「なりやすい」「なりにくい」といった体質の違いを生み出しているものと推察される。今後この研究が進むことにより、個人個人に合ったアレルギーの投薬治療などへつながると期待される。


だから、ほどほどが良いのは、何も、免疫系の制御だけじゃない。

血液サラサラ、、、ダイエット、、、抗酸化物質、、、納豆、、、コレステロール、、、おっと、脱線。。。


話は変わるが『チーム・バチスタの栄光』の海堂尊氏は、氏のブログで捜査関係者の思考法が明治維新直後に策定された刑法の考え方のまま、旧態依然であると痛烈に批判している。

科学的推測論法を無視した“直接の因果関係”を求める続ける姿勢に対してである。

氏によれば、押尾学事件で亡くなった女性の司法解剖結果、すなわち『原因不明』が、全く生かされていないと。

30代の女性と言えども、「脳出血や心筋梗塞」というような疾患であれば、突然死もあり得るわけだが、司法解剖は、その点をも“無し”としたわけである。

ならば、その前に“やってた”事が“死亡と関係あり”とするのが、“普通”じゃないのか?シロウトでも、わかることだ!と、これを科学的推測論法だと言っている。

さらに氏が指摘するのは、捜査関係者の根底にある心理が“直接の因果関係”を厳密に証明することが、容疑者の人権を守る事に繋がるという認識だ。それが、過剰な犯罪者の人権保護に繋がっていると。


海堂尊氏の指摘する『それが、過剰な犯罪者の人権保護に繋がっている』という部分に、“激しく同意”してしまった私も、“やってた事が死亡と関係あり”に決まってんジャン・・・と感じてしまう。。。。


だが、これは、別なシーンを想定すると、疑問符を付けざるを得ない。。。

とある夫婦、夫の常備薬は妻の管理。いつものように『じゃ、コレ、今朝の分ね』と妻に手渡された薬を服用後、出勤の準備をしていた夫は、突然、倒れ・・・・・・・。解剖の結果、死因不明。従って急性心不全となった。

死因不明なんだから、妻が飲ませた薬が原因じゃないのか?

いや、いつも飲んでいる薬なんだから、それはありえない!

じゃ、3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン (3,4-methylenedioxymethamphetamine) 略称 MDMA、別名 エクスタシー(EcstasyまたはXTC)の場合は、いつも服用していて、死にゃしないのに、この時だけは因果関係ありなのか?

・・・・・・と。

このように、考えると、科学的には押尾学が飲ませた薬が原因と断定してよいものなのか、自信がなくなってくる。(上記のように、アレルギーの体質すら、科学的には曖昧模糊としてるんですぜ!)

MDMA が臨床試験を経ているとは考えられないが、心室性不整脈など致命的な副作用が高率で発生するなら、そもそも、(一部の)大衆に安易に広がっているはずが無い。

MDMA を服用し SEX に興じることが日常的になっており、その際に、死亡する事がほとんど無かったのなら、押尾学事件で、薬との因果関係ありとするのは、死因不明だからと言って、飛躍しすぎではないだろうか??(って考え方も、科学的推測論法になるよね)


しかし、そうは言っても、押尾学と彼の行為は、極めて“黒”いと感じる。

この黒いと感じる原因は、押尾学に対する“妬み”や日頃の鬱憤晴らしの可能性がある。男としては、あんな淫らな行為をしてみたい願望。それを抑制しなければならない自分、女にモテない自分、律儀に社会のモラルを守っている自分と、奔放な押尾学の行為とを比べてしまって・・・・・『あんなヤツ、地獄に落ちればいい』と。

でも、世間じゃ、法的な裁定を下す時には、感情的じゃイカンとなっている。

何故、感情的なのが悪いのか?

私は、悪くないどころか、それが集団で生活を共にする為の知恵だと思っている。

そして、このような判断は、概ね、正しい。進化論的に“憎悪”の感情が保存されてきたのは、それが生存環境に適応的だからだ。互恵的利他行動を取らない“ズルイ”ヤツを発見する能力も含めて。

ただし、他人に刷り込まれた印象による感情を、自分の感情だと勘違いしている人が多いので、別な問題もあるのだが。

日本人の場合、自分の意見を持たない民族だから・・・・。


ちょっと、脱線するが、「菊と刀」の著者で、アメリカの民俗学者 ルース・ベネディクト が1945年太平洋戦争終結の直前にペンタゴンから日本の占領政策について意見を求められ、「日本人は単独では思想を持ち得ない民族。天皇制存続を保証すれば、占領政策はうまくいく」と回答したそうだ。この分析が適切であった事は歴史が証明済みだ。見事に日本人の性質を言い当てている。

この我々日本民族のDNA上に刻み込まれている(この表現はメタファーです)性質は、感情が沸き起こらない自分を卑下してしまう事にも、起因するんだと思う。だから“雰囲気”に流されやすい。場の雰囲気に流されやすいのは、免疫現象に似ているから、生物の本質かも知れない。(『そう?俺は何も感じないけど??』って言えない。何も感じない=馬鹿だって思われたくないからかなぁ??そもそも、自分に自信が無い?だとしたら教育の問題?「空気読めない KY 」なんて言葉が流行るくらいだから、教育の可能性大?)


『押尾学めぇ、1人で、イイ思いしやがってよぉ~』と言われて、『うん、そりゃそうだ!!』と俺も頭にきたよぉ~~~~って。さらに、集団内で、価値観が対立すると、仲間はずれにされる、そっちの恐怖の方が重要だと判断するのか、感情を装う事すらありえる。装っているうちに、、、自分の中から沸き起こった感情だと勘違いする・・・・。

まぁ、法的判断に感情が入る事を嫌うのも、“ほどほどに”って事でまとめるけど、裏返せば、社会的な問題を解決するのに科学は万能じゃないって事。

良い例が、医療。。。。あっ、医療はサイエンスだとは思ってないけど、大衆はそう思っているって事。

ただ、それならば、外交だって、感情的でイイジャン。お前は以前『外交は、極力、感情を廃せ』って言ってたけど、逆の事言ってるジャン!と指摘したい人もいるかも知れない。

でも、この感情に従って、ルールを守らない奴に罰を下す、互恵的利他行動が出来ない固体を村八分にする行為は、価値観が、ほぼ、同じで、肌を接するくらい物理的に近くで生活している集団内で適応できるものだ。

価値観が違う、たとえば、宗教的な信仰や“聖戦”“殉職”を理解できないなら、感情的な解決法は無益しかないだろう。(ギリシャ神話のゼウス的に言えば、人減らしに役立つけど)

それに、進化的な時間で眺めれば、1000km、2000km、5000km と離れた人達とコミュニケーションを取るようになったのは、つい、最近のことだ。だから、外交と感情は、ホントは、なんとも言えないんだけど、浅い歴史(有史)を眺めてみても、戦争が絶えないからねぇ・・・。必然の部分が多いにしても・・・。(ギリシャ神話のゼウス的に言えば、人減らしに役立つのは、生物学的にも意味があるよなぁ。地球は人口過剰だもん。神話の頃から人口が多いって認識があったんだから、間違いないっ!だから、逆に、戦争を肯定するなら感情的でいいんだけどね。結局、それは顔見知りの間では利益であるし、見ず知らずの遠い所に住む人と仲良くする必要ないんだから)


閑話休題。海堂尊氏は、司法解剖で原因不明ならば、“やってた”事が“死亡と関係あり”とするのが、科学的推測論法だと言っているのだが、これを科学的と言っちゃイケナイと思う。しかし、押尾学と彼の行為を『極めて黒い』とする事には、大賛成だ。

法的な判断に、市民感情を反映させることが、社会生活に安寧をもたらす事になるのだから。裁判員は“科学的”なんて言葉に惑わされないで、自分の感じたままに判断すればよい(と思っている)。


なんで、こんな事になるのかといえば、世の中、科学的と言う言葉を安易に使いすぎって事なんだよね。

科学の分野では「ディタッチメント」(detachment)という言葉がある。脳科学者の茂木健一郎氏は、、、、
『科学的世界観とは、理想的には、あたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ることによって成り立っています。そのことを、科学者たちは、「ディタッチメント」(detachment)をもって対象を観察する、と表現します。「ディタッチメント」は、もともとイギリスの経験主義科学を特徴付ける言葉であり、日本語に直せば、「認知的距離」とでも訳せるでしょうか。』
、、、、と。

科学的という言葉の信頼性が揺るがないようにする、科学者の良心とでも言えば良いのだろう。

科学的と言葉を使うからには、人間も残酷にならなければイケナイ。裁判を科学的にしたいなら、その根拠となる医学に『倫理的』などという言葉を持ち込まず、『30代の女性の突然死するリスクが、MDMA 服用後の SEX により有意に上昇する』という仮説を証明する実験をしなくっちゃ!

それが出来ないんだから、感情で判断すべし・・・・だっ!押尾学を“黒”にするのに、科学的なんて言葉は必要なし!感情で十分だろ?薬と死亡の因果関係が無くたって、そもそも、持ってちゃいけない薬を使って、SEXで“イイ気持ち”になったツケだよ!!でイイんじゃない?

突然死が“偶然のとばっちり”だったとしても、自業自得だし、死んでしまった女性の身内も含めて、社会が溜飲を下げる結論だろ!

これが、庶民の為の法律なんじゃないのか?(でも、これって、魔女裁判と同じだっていう奴いるだろうなぁ・・・・)

2009年11月09日

囚人のジレンマ

20091109_electricity.jpg擬人化すれば、ヒト以外の生物で“種内の相利共生あるいは操作に当たるもの”なら、互恵的利他行動とみなしても良さそうなものだが、、、専門家には、、、なんかあるのだろう、、、それは、おいといて、、、、

“囚人のジレンマ”という命題をご存知だろか?

『世界から核兵器を廃絶しよう』なんて訴えている人達は、当然、知っているだろうが、この崇高な理念が達成できない“理屈”が、これで語られることが多い。

いや、核問題だけじゃなく、外交や政治にもかかわってる。「人類はみな兄弟」とか言っているロマンチストには、馬の耳に念仏なんだろうけど、、、まさか、民主党の新人国会議員の中にも、知らない輩が混じってたりして?!

「遠くの血縁より、近所の他人」とは、一理有り。遠くにいたんじゃ、膝と膝を突き合わせて話も出来ない。電話やネット会議したって、基本的には、問題は他人事。

自分にとって、明確な利益が保障されなければ、、、、、、、

進化:ヒト以外の動物での互恵行動

Nature 462, 7269 (Nov 2009)

Robert Triversが1971年に互恵行動に関する創意に富み影響力の大きい論文を発表して以来、互恵行動モデルや「囚人のジレンマ」型資源分配ゲームのモデルにより、非血縁個体間の協力を説明する主要な理論的枠組みが整備されてきた。

しかし、自然条件下でヒト以外の動物が資源あるいはサービス(機能提供)を普通に交換する証拠は、ほとんど得られていない。

ReviewではT Clutton-Brockが、ヒト以外の動物の野生個体群にみられる互恵行動の事例を検証している。

互恵行動の証拠は乏しく、一見すると非血縁個体間の協力のようにみえる事例の多くはおそらく、種内の相利共生あるいは操作に当たるものだと結論している。

Review Article p.51


沖縄、米軍基地移設ですったもんだしているが、アメリカのオプションの最後は“撤退”なんだけどなぁ。。。。。撤退されたら、日本も独自の核開発は避けられないし、憲法第9条の議論している暇もなくなっちゃうよ。

誰かさん達の沽券に関わる問題だったのか、今までシラばっくれてたみたいだけどけど、日本が平和でいられるのはアメリカの庇護の下にある事を、インテリ庶民にも周知徹底しなきゃならないなぁ。

「期限を設けないで・・・」なんてのは、日本語にしか無い表現だぞっ!

また、使用済み核燃料の処理を外国(フランス、イギリス)に頼まなくてもいいように、プルサーマルは計画されている。茨城県東海村や青森県六ヶ所村に再処理施設があるけど、焼け石に水だから。

だけど、フランスまで運んだり、持って帰ってくる時の無防備さは、あまり、知られてない。プルトニウムは兵器利用にはもってこいだ。こんな荷物を積んでるのに、自衛隊が警護せず丸腰で海上を移動する(海上保安庁の警護は付くらしいけど)のは日本だけなのだが、そんな事には、お構いなしに、別な理由の反対運動は“発生”する。健康被害とか・・・。


原子力発電、簡単な話、庶民が電気を使わなければ、問題は解決する。反対する連中は原子力に代わる現実的な代替案を出さなきゃ。

暑い夏場は、冷房禁止。一石二鳥でインフルエンザも流行しない。

冬は、暖房禁止、さっさと布団に入って寝る。

立法化して、罰を儲ける。もしくは、冷暖房税をメチャクチャ高く設定する。

当然、経済は沈滞する。だけど、炭酸ガス排出抑制の目標は楽々クリアできる。

そうすりゃ、アメリカ第7艦隊が撤退しても日本の魅力は半減してるから、北朝鮮、ロシア、中国に狙われることも無い。もっとも、ロシアは日露戦争の屈辱を晴らす為、海路への拠点欲しさに、日本に進軍してくるかもしれないが、そしたら、日本は、クリミア戦争で煮え湯を飲まされた中東の人達と仲良くすりゃいい。あっちは、あのフセインでさえ“親日”だったんだから、近所の“反日”よりゃ、マシってもんだ。


日露戦争といえば『坂の上の雲』だが、一般大衆の間では、この小説により野木希典の評価は一変したと言う事だ。乃木大将の評価は現代の我々の生活には無関係なので、私にとってはどうでもいい事だが、大衆心理に与える影響を医療における印象操作と対比すると、面白いことが見えてくる。

「旅順攻囲戦」を戦闘における指揮官の能力を知るための壮大な実験としてみれば、エンドポイントは、戦闘の結果(勝ち負け)と戦死者の数、作戦に要した費用と日数で統計的に見ることが出来るだろう。(※1)

すなわち、少ない投資で最大の結果を得ることが“効率の良い勝利=優れた戦術=有能な指揮官”と言えるからだ。

それには、まず、「戦術」という介入がどれほど“効率”を引き上げたら、戦術効果ありと判断するのか、実験する前に示しておかねばならない。また、「戦争資金の額」「銃弾、爆薬の量」によるバイアスを考慮し、戦術と戦死との関連は、単なる関連性か、因果関係によるか、交絡因子を介するものかを示す必要がある。さらに、サブグループ解析により、「兵士の年齢」「兵士の体力」「兵士のモチベーション」の“効率”を階層別に明らかにする必要がある。


と、医療を統計学で“切る”ための思考ロジックのアナロジーとして示してみたが、、、、

野木希典を“無能”と断定する人達に、『この方法で証明してみてよ!』と言ったところで、返答は期待できない。。。。というか、無理なのは、よほどの馬鹿でもない限り、わかることだ。

戦死者数ひとつとっても、この時代の陸軍の食事内容から脚気による死亡が相当数合あったことは事実であるし、コレだけの人数が群集していれば感染症も否定できない。兵士の活動指数に影響を与えるが、的確に判断できる感染症の専門軍医がいなかった為、記録も残っていない。

ようするに『野木希典を“無能”』とする為(思想的?※2)、その仮説を補強する事実が寄せ集められ、表に出されたという可能性もあるわけだ。

一体、『野木希典は“無能”』の“p値”はどれほどになるのだろう?

多分、0.5 くらいだろなぁ!(爆笑)


さて、なんでこんな喩え話をしたのかと言うと、現代においても、ある権限を持つ関係者も同様の事をしているからだ。意図は、私には良くわからないが、、、

それは、(がんに限らず)検診にランダム化比較試験を行うことを“毛嫌い”しているところだ。結局、『野木希典を“無能”』と同様の“印象操作”を行うことで、検診には意義があるということをコンセンサスにしておきたいらしい。

さらには、一般大衆が統計学に疎い事をいいことに、ととんでもない“エビデンス”を根拠にして、大量に病人を製造し、大量に薬を消費させている。。。。そもそも統計学を医療に適用するのは、ヒトという種に対しては有効なのは間違いないが、患者個人に対しては、疑問符だらけにもかかわらず、、、、


これは、誰にとって、“利益”があるのだろう・・・・・か?

それとも、“囚人のジレンマ”のひとつなのだろうか?


※1:戦争に負けたら『良い戦術』とは言わないから、戦争に勝つ事が大前提となる。しかし、勝っても驕ることなく、反省点を探す・・・みたいな、ある意味、ペシミスティックな洞察は“賢く見える”こともあり、そんなところから乃木無能論なんて“妙”なものの見方が出現したのかも知れない。妙というのは、本来、二国間の問題は政治的に解決するのが“良い戦い方”であり、戦争に突入した場合、良いも悪いも無い。その指揮官の戦術に“有能・無能”などと評価をするのは、当事者である軍内部ですることであって、庶民にとっての意味は、軍神と崇められた偉人をこきおろす快感くらいなもんだろう。こんな事を考えるヤツは、戦争に“良い戦争と悪い戦争”があるって思っているからに違いない。(必要な戦争と不必要な戦争はあると思うけど)

現代の小泉叩きに通ずるところがあるなぁ・・・ムフフっ!


※2:小説家の場合は小説を面白くする目的がある。インテリ大衆の場合は、Wikipedia で乃木無能論の主な根拠を見ても科学的ではないから、神のように扱われていた事に対する反動とみるのがいいのかも。反戦論者や左翼の人達は、軍国主義、国粋主義とか関心がありそうだからなぁ。。。。

2009年11月13日

個の医療で考える事と公衆衛生で考える事

20091113_health_care.jpg殺人事件が起きた。容疑者と思しき 5 人は、みな少年だった。あなたは、善良な市民。被害者、容疑者とも面識は無い。

『風の噂で、容疑者 B の両親のプロフィールが舞い込んだよ。父親は炭鉱労働者で人を殺して服役中、母親は生活苦から万引きの常習だってさ』とあなたの親友から。。

さて、あなたは、誰が真犯人だと思うだろうか?


話は変わって「あなたインフルエンザです」と言われたとして、その根拠を聞いたことがあるだろうか?医師に向かって聞けない?ごもっとも。

インフルエンザの診断キットで陽性だった?

インフルエンザという病気の症状(高熱が出る)は、インフルエンザウイルスの感染が“必要”且つ“十分”条件だと思う?

インフルエンザウイルスに感染していても、発症しない、あるいは発症しても発熱が軽微な人がいると思う?

インフルエンザウイルスが他のウイルスと混合感染すると思う?

本当は他のウイルス(RSウイルス、アデノウイルスなど)が発熱を引き起こしているにもかかわらず、インフルエンザ診断キットで陽性が出たしまったら、インフルエンザウイルスによる発熱だと判断される事があると思う?それとも、臨床所見(喉の状態など)から違うと判断する場合があると思う?


インフルエンザ治療薬の治療効果を見る臨床試験で、本物のインフルエンザの患者かどうかは、何か特別な方法で試験して、完璧な診断していると思う?

予防接種して抗体(免疫グロブリン)が出来ると、全ての病気で発病を防げると思う?

インフルエンザの場合は、予防接種して抗体が出来ると発症を防げると思う?

新型インフルエンザワクチンの有効性は、発症が予防できたかどうかではなく、単に抗体産生の有無で判断していると言う事を知っている?


インフルエンザ診断キットの感度と特異度は何パーセントだか知っている?

そもそも、感度と特異度の意味を知っている?

例えば、エイズの診断で感度99.9%、特異度99.9%の検査をしたところ、陽性と出るとする。だが、この人がエイズに感染している確率は、統計学上、99.9%ではなく、約17%であることを知っている?

統計学上、健康診断で、20種類の項目を検査すると、どんなに健康な人でも、すべてが正常範囲に入る確率は、36%であり、20種類の項目を検査すると、必ず、1つは、正常値から外れる事になることを知っている?


以上に考えをめぐらせて・・・・、インフルエンザの診断が、真犯人が日本刀で被害者の首を切り落とすのを見るが如く、直接的に為されていると感じるだろうか?

もし、間接的だと感じるなら、容疑者 B を真犯人だと思わない理由は何故か?

犯罪者の子供が犯罪を犯す事は、優位な差を持って証明されている?

貧困層の生活者は、犯罪を犯しやすい事は、有意差がある?

IQの低い人は、犯罪を犯しやすい事は、有意差がある?

犯罪者の再犯率は、初犯率より高い?


今、目の前にある“高熱”という症状に100%確実な診断を下す方法が存在すると思うか?

予防接種をして、抗体が作られて、100%発症を抑制できるという例を、我々は、天然痘に見ることが出来る。それ以外の例を私は知らないが・・・・・。

今、健康な人を集めて、一つの部屋に入れ、インフルエンザウイルスを噴霧する。発病した人だけを集めて、自然についた免疫グロブリンがなくなる時間を空けて(1年?記憶B細胞、T細胞は無視)、再度、同じものを噴霧する。この中で発病した人を選択して、今度は、1ヵ月後に(免疫が自然に付く頃)に、もう一度、同じウイルスを噴霧する。

ここで、発病しなかった人を選んで、1年ほど経ってから、今度は、噴霧したウイルスに対応するワクチンを接種して、抗体が出来上がった頃(1ヵ月後)、本物のウイルスを噴霧して発病の有無を見る。

実験動物だと、免疫学的な個性が無い(クローン)からダメ。他の動物では、もともとインフルエンザウイルス感染で症状が出ない種があるからダメ。

と、本物の人間でやれるといいなぁ!!!いろんな事、わかりそうだなぁ!!
 
 
 
さて、健康診断や、病気の診断に使う、その臨床検査の“正常値”だが、、、

■20種類の項目を検査すると、どんなに健康な人でも、すべてが正常範囲に入る確率は、36%である。

■20種類の項目を検査すると、必ず、1つは、正常値から外れる。

■エイズの診断で感度99.9%、特異度99.9%の検査をしたところ、陽性と出た。だが、この人がエイズに感染している確率は、99.9%ではなく、約17%である。

って言われたら、、、

単純にビックリするか、あるいは、、、、、「ふ~ん」か、、、、、あるいは、むむむむ?本当なのか??今までの人生、俺が肌で感じてきた事と違う!違和感あるぞ!って。


何れにせよ、今、ここで、臨床検査値が無かった(正常値が決まっていなかった)時代を想像してもらいたい。

検査値の標準値(正常値)を作成する為に、体のどこにも不具合無く、すばらしく健康に生活している人達に集まってもらい、色々な検査、例えば血糖値、血清カリウム濃度、血中尿素窒素(BUN)、尿酸値などを測定したとする。

一つ一つの検査値は、ある値の周辺に多く分布し、その値から左右に遠ざかるほど、頻度が低くなる。つまり、数学の教科書で見かけた、左右対称で釣鐘型の分布となる。

この分布は1733年にフランスの数学者Abraham Demoivreによって発見され、正規分布に非常に近い。正規分布は数学的に表現され、計算の容易な平均値と標準偏差(SD)の 2 つによって規定されるので、取り扱いが簡単である。その為、医療の分野でも、さまざまな検査値について平均値とSDを算出し、通常「平均値±2SD」を正常範囲あるいは基準値としている。

なぜ、「平均値±2SD」なのかというと、、、、知りたければ、ご自分でどうぞ。。。というわけで、この範囲には健常者の95%の検査値が含まれるのだ。

これで、めでたく、正常値が出来上がった。


・・・で、現在、このようにして作った正常値を運用しているわけだが、、、


これは、逆の見方をすれば、健常者の 5 %は、必ず基準値外の検査値を呈することを意味し、健常者が 1 つの検査を受けて正常範囲の結果が出る確率は、その人が本当に健康であっても 95 %である事を意味する。必ず100%の確率で正常値が出るというわけではない。

これ、ほとんどの人が知っていても、感覚として、忘れている部分。

しかるに、計算上では、本当に健康な人でも 20 種類の検査をすれば、全ての検査が“正常値”に収まる確率は、0.95x0.95x・・・・と20回掛けると、0.36 、すなわち、36%という事になる。

『■20種類の項目を検査すると、どんなに健康な人でも、すべてが正常範囲に入る確率は、36%である。』が正しいことが、ご理解いただけたと思う。

サイコロの目が、6回中6回、“1”が出る確率の計算方法と同じってこと。


さらに、1 人の健常者が“互いに独立した排他的な”20種類の検査を受けると、どれか 1 つの検査値は必ず正常範囲から外れることになる。(臨床的には、完全に独立した検査項目ってのは少ないから、1つ外れると、2~3は芋づる式に外れることがあるが、まぁ、それはおいといて・・・・)

これは確率の足し算の法則(加法定理)によって説明される。

1 つの検査値が正常範囲から外れる確率は 0.05 であるから、仮に 2 つの検査値のいずれかが正常範囲から外れる確率は、、、、

  0.05+0.05=0.1

となる。つまり、Aの事象とBの事象の起こる確率がP(A)、P(B)である場合、AまたはB(A or B)のいずれかが起こる確率は 2 つの確率を加算した値、、、、

  P(A or B)=P(A)+P(B)

となる。これは直感的に理解されるはずである。

いずれかが起こればよいのであるから、それぞれが起こる確率より高くなることがわかる。

 したがって、20種類の検査を施行した場合に正常範囲から外れる確率は、0.05を20個加える、つまり、

  0.05×20=1.0

となる。

確率が1.0ということは、ある事象が必ず起こるということであるから、健常者が20種類の検査を受けると、どれか 1 つの検査値は必ず正常範囲から外れることになるのである。

夜の高速道路を歩いていて、1分間なら車に轢かれないけど、20分間歩いていればやがて轢かれる・・・と喩えは悪いけど、これなら直感的に理解できる。

『■20種類の項目を検査すると、必ず、1つは、正常値から外れる。』は、ご理解いただけたと思う。


ここが、“キモ”“肝要”である。


医療での検査が、もともと、このような処理のされ方、つまり統計学的な処理をされているのである。


でもなんか、釈然としない筈だ。「なんか、騙されているんじゃないのか?」って。


そして、自分の経験から、検査値から外れていれば、病気である事が多い。同僚を見ても、ご近所さんを見渡しても。『健康なのに異常値が出る確率が、64%(100-36)』とは、なんたることか!!


一般常識では考えられない!!

と。


どうして、そんな事になるのか?

検査の方法が出来上がると、病気の定義が変わる。健康であっても、正常値から外れる“モノサシ”を使って測っているうちに、、、って事だろう。

病気だと判断された根拠が、検査値が無かったころには“健康”だとされていた“価値観”“感覚”“自己認識”“コンセンサス”が「平均値±2SD」から外れたから「病気の可能性がある?」と判断されて、今度は、それが個人の“認識”を経て世間の“コンセンサス”に変化していく・・・・。

さらに、検査値が正常範囲内であっても、ご近所の旦那さんは、心筋梗塞で倒れたと言う話を聞くと、正常範囲内から外れている私は、、、、、、、と、追い討ちを掛けられ・・・

「あなた検査値は、正常の範囲から外れています」と言われて、病気の定義までを考えるような人はほとんどいないから、「健康な人と自分は違う」、「健康な人の検査値と違う」と感じ、それは『異常なこと』と考えるようになる。。。。


かくして、病気が検査によって“増える”。


それでも尚、「そもそも、どうして95%の範囲を取るんだ?100%を取れば、健康な人には異常値なんか出ないじゃないか?」と。

ごもっとも。でも、それやっちゃうと、本物の病気を見逃す可能性が高くなる。だから、確率論的に、統計学的に、落とし所が「平均値±2SD」・・・と。

それに、病気の人を集めて、その人達の検査値データを取り、“病気値”なるものを求めたとしたら、その左右対称で釣鐘型の分布は、正常値とかなり重なり合うだろう。(検査値=病気となる検査項目は存在しないのだが、正常値から外れることが病気であるとの勘違いが庶民の間に浸透している)


絶対値としての“治療が必要と感じる基準”が存在しないのは、世界の人口60億人に対して、人口1億ちょっとの日本が、タミフルの全生産量の7割から8割を消費している事を考えれば、病気(治療が必要と感じる基準)ってのは、その国民の“コンセンサス”であることが、ご理解いただけると思う。


以上のように、、、、
■20種類の項目を検査すると、どんなに健康な人でも、すべてが正常範囲に入る確率は、36%である。
■20種類の項目を検査すると、必ず、1つは、正常値から外れる。
は、間違いでも、まやかしでもないのである。


正常範囲をどのように設定するかということによって生じる、単なる現象なのだ。それ以上でも以下でもない。


さらに、臨床検査の性能を測る場合、“感度”や“特異度”といった概念がよく使われる。一般に使うイメージから類推すると、思わぬ誤解を生む言葉だ。

『■エイズの診断で感度99.9%、特異度99.9%の検査をしたところ、陽性と出た。だが、この人がエイズに感染している確率は、99.9%ではなく、約17%である。』が、予想に反する、、、どころじゃなく、「ウソだろ」って感じるのが普通だと思う。

ある検査をしたとする。その集団の一部の人は本物の病気だとして、彼らの検査結果は陽性だった場合、彼らは「真陽性」である。病気なのに検査結果が陰性だった人もいる。彼らは「偽陰性」である。

また、病気じゃない人で陰性だった人は「真陰性」、病気なのに検査結果が陽性だった場合、それは「偽陽性」である。

で、真陽性、偽陰性、真陰性、偽陽性の率を合計すると 100% となる。

臨床検査でいう“感度”とは、陽性と判定されるべき人数(個体数)のうち、実際に陽性と判定された人数の割合である。すなわち、(真陽性)/(真陽性 + 偽陰性) である。

つまり、「患者を陽性と判定する確率」である。感度が高ければ、患者を見逃すケースが減る。肥満の検査を BMI を用いれば、感度を上げるには、閾値を下げればよい。それにより、多くの人が“肥満”と判定される事になる。

臨床検査でいう特異度とは、陰性と判定されるべき人数(個体数)のうち、実際に陰性と判定された人数の割合である。すなわち、(真陰性)/(真陰性 + 偽陽性) である。

感度と同様、これは「患者でない者を陰性と判定する確率」である。特異度が高ければ、健康な人を患者としてしまうケースが減る。BMI の閾値を上げれば、本物のデブだけが、捕まえられる。

この“感度”と“特異度”に加えて、二項分類試験(病気か病気じゃないかを分けるような事)の性能の尺度として“陽性予測値”と“陰性予測値”がある。

“感度”と“特異度”は検査自体の性能の指標だが、こっちの方は、病気か病気じゃないかを判断する性能の尺度だから、直観的に分かりやすいだろう。

陽性予測値は「ある人の検査結果が陽性だったとき、実際に罹患している確率」である。計算式は(真陽性)/(真陽性 + 偽陽性)となる。つまり、陽性となった結果のうち、真陽性が占める割合である。陰性予測値も同様に計算できる。

このように、同じ計算式で求められる。が、感度自体を求める場合と、感度を使って臨床的な判断を下す場合には、これらの重大な違いを認識しておかねばならない。

感度と特異度は、検査結果の陽性と陰性の割合には依存しないという意味で個体群から独立している。実際、検査の感度を求めるのに必要なのは実際には陽性と判定されるべきケースだけである。しかし、予測値の方は個体群に依存している。

例として、99% の感度と 99% の特異度の臨床検査があるとする。健康な1000人と罹患している1000人の合計2000人に対してこの検査を行う。検査結果は真陽性と真陰性がそれぞれ990人で、偽陽性と偽陰性がそれぞれ10人となるはずである。この場合の陽性予測値と陰性予測値は 99% となり、非常にわかりやすい。

しかし、2000人のうち罹患しているのが100人だった場合はどうなるだろうか。この場合、真陽性が99人、偽陰性が1人、真陰性が1881人、偽陽性が19人となる。つまり、陽性と判定されるのは 99+19人で、このうち真陽性なのは 99人だけである。

従って、陽性と言われた人が本当に罹患している確率は 84% でしかない。

一方、陰性と言われた人は安心してよい。陰性といわれて実際には罹患している確率は(この場合)0.05% しかない。


日本でのエイズ感染者の割合(罹病率)は5000人当たり1人とすれば(正確な数がわからない)、、、、、、もう、お分かりですね?

100% の感度と 100% の特異度検査法があれば、話は簡単なのだが。。。。(99.9%の感度・特異度でも、最後には「じゃ、誰がどうやって本物の病気だって断定したんだよ・・・って、ニワトリとタマゴのような問題に突入しちゃう・・・・)
 
 
 
さて、健康診断でよく見かける風景。

「あれは、あくまで“標準”だから、個人差を考えれば、外れていても病気とはいえない」などと、強がってみたり、不安になったり、、、と、1人で心が揺れたり、あるいは、強がるだけの病気に無頓着な人がいたり、一つでも正常値から外れると自分は病気であるとクヨクヨする人がいる。

日経メディカルオンラインでブログ「アメリカ視点、日本マインド」を公開されている津久井宏行氏が、自身の経験として、非常に面白い話をされていた。「都会の老人と田舎の老人の病識にはかなりの差がある」というものだ。私は、氏のユニークで鋭い視点に関心してしまい、一読でファンになってしまった経緯があるが、それはおいといて。。。

田舎の老人は「どうして、こんなになるまで放っておいて・・・」「だって、この程度じゃ、恥ずかしくって病院なんぞに行けまい」というやり取りが多く、都会の老人は、この逆だというものだ。

氏は、この状態が良いとか悪いとか言うのではなく、病識に対してこれだけの格差のある状態を十把一絡げで「医療に差はあってはいけない」というスローガンのもと、ブルドーザーで大地を均すが如くの医療政策は、如何なものか?と疑問をていされていた。


私が、もやもやして、表現出来ずにいた事を、実に、スマートに喩えてくださった。

検査による帰結が100%にならず、尚且つ、検査自体が正しく分析出来ず(感度、特異度)、尚且つ、治療効果が100%でない現状においては、病気かどうかは、本来、本人が納得すれば、それで良いのではないかと思っている。


自分の人生なんだから。

それを、自覚症状も無いうちから、治療を開始したり、、、、

老化現象を病気にすり替えたり、、、、

病気だと思ってない人に、「あんた病気だから、病院にいかなきゃいけないよ」などと脅しをかけるコマーシャルなんぞは、どうかと思うぞ!!


個の医療とは、そういうものではないだろうか?

政府が考える、平等な医療は、現実には、なじまないんだけどねぇ。そのツケが、インフルエンザごときでの国民的パニック・・・・・。なんだかなぁ。

2009年11月17日

インフルエンザワクチンは効果あるのか?

■やわらかドリームジェネレーター

やわらかドリームジェネレーターとは、きびしい現実に直面したとき、瞬時にして夢の世界に逃避する技だ。

たとえば夫婦喧嘩で分が悪い時、大見栄きった後で間違いってわかって引っ込みが付かなくなった時、などなど、非常に有効な技だ。

詳しくは、やわらかアトム“第2話”を見てもらうとして・・・・・

ところで、私は、やわらか戦車が好きである。なんたって、馬名を“やわらか戦車”とした程なんだから。。。。。。あっ、馬、飼ってるわけじゃないよ!ゴルフコンペの馬名だよ。

気にならない人には全く気にならないニュースでも、気になる人は非常に気になるニュースの“インフルエンザ”ネタ。今の“旬”は、新型インフルエンザワクチンだろう。

お昼のワイドショーでも、さんざん、ネタにしてる。


「効果があるのか?」なんて、一般ピーポーが気になる見出しで、さんざん引っ張った挙句・・・、なんだか、良くわからない結論でお茶を濁されておしまい。先日、NHKスペシャルでやっていた「素数」の番組みたいに、こられか面白くなるんだろうなって思ったところで、番組終了・・・みたいな、、、、感じ?

番組でコメントさせられた“専門家”は、不思議な事に、日本臨床内科医会会誌 第24巻第2号臨時付録『インフルエンザ診療マニュアル』のデータを引用しないんだよねぇ!

機序(理論的な説明)なんて知りたいのは、こっち(医療従事者)側の人間だけ!一般の人は、そんなことはどうでもいい!(ワクチン)打ったら、病気になるのか、ならないのか?

明確な答えが、『インフルエンザ診療マニュアル』に掲載されている・・・・。

昨シーズン(2008~09)は、ワクチン打った人と打たなかった人で発病した人の数を比べた結果!なんと同じ(打った人の方が、若干、多い)だったと記されている。(p7 図4-1参照)

一般の人だけでなく、実体を知らない医療従事者をも驚愕させるデータが、そこにはあるのだ。(一般ピーポーは、医師から「接種したからと言って100%インフルエンザに罹らずに済むというわけではない」って言われても、80%~90%は効くんだろうって、勝手に思い込んでる。そういう次元の話じゃないんだよねぇ、コレがっ!)


---効きます---


とか、言っちゃった人は、すぐさま、“やわらかドリームジェネレーター”を伝授してもらわねばなるまい!!

さらに、『私たちも、医療従事者だ。新型ワクチンを打たせろ』と叫んだ日本薬剤師会、声をあげた後、誰にも反応してもらえなかったけど、こっちも、相当、はずかしぃ!!(私は、新聞でこの記事を見て、自分が言ったわけではないにもかかわらず顔から火が出そうなほど恥ずかしかった)

彼らにも、“やわらかドリームジェネレーター”を伝授しなきゃならんでしょうなぁ!

私が、日本薬剤師会の広報担当だったら、『我々の分はいいから、リスクの高い人に回してください』って言うよっ!!

大して効果が無いのがわかってて言うんじゃないよっ!だって、新型ワクチンがどれほど効くのかは、シーズンが終わってからじゃないと、答えは出ないんだから。(でも、この部分、言い訳みたいで、かっこ悪いなぁ)

俺にも、“やわらかドリームジェネレーター”が必要かもね!!


ところで、もう、いいかげん、インフルネタには、俺も飽きてきた。今度からは、「高感度CRP測定装置」ネタで、徳光和夫をネチネチとイジメルコトニするかっ!!(嫌な男だねっ!俺も)

2009年11月20日

パンドラの箱

20091120_Pandora.jpgパンドラの箱をご存知だろうか???  知らない人はいないとは思うが、、、、

ギリシャ神話のエピソードの一つだ。パンは“全て”をドラは“贈り物”を意味するギリシャ語だ。誰からの誰への贈り物かといえば、神様から人間へのである。

ただし、この贈り物は、人間が困る為に神が送ったものであり、決してもらって嬉しい贈り物ではなかった。これを知っている人は少ないかも、、、、

プロメテウスとエピメテウスの兄弟は、ゼウス達オリンポスの神々とは従兄弟の間柄である。そしてプロメテウスはその名(先見の明)の通り、賢い。ゼウスは神の中の神であり、その他の神々はひれ伏すしかないのだが、プロメテウスだけは違った。

ゼウスは人間に知恵が付く事を嫌ったが、プロメテウスは持ち前の天邪鬼ぶり?を発揮して、人間に“火の使い方”を教えてしまった。(おおういきょうの茎に入れてもっていったんだとさ)当然、ゼウスの逆鱗に触れるわけだが、、、、プロメテウスはゼウスの弱みを、、、、

それはさておき、ゼウスとはそんな間柄だったので、プロメテウスは、常々、弟のエピメテウスに『ゼウスからの贈り物には気をつけろ』と言っていた。

ある日、エピメテウスが留守番をしていた時、壷を携えた人間の女がやってきた。この女が、ゼウスから人間への贈り物である。パンドラだ。エピメテウスはその名の通り(下衆の後知恵)、お馬鹿だった。この美女をたいそう気に入り、、デレデレデレ、、、、

エピメテウスが開けたとも、パンドラが開けたとも言われているこの壷の蓋だが、この中に何が入っていたかは、みなさんご存知の通りである。あらゆる人間の災いである。痛風、リュウマチなどの病、貧困、嫉妬、怨恨、復讐などである。あわてて蓋を閉めると、「前兆」だけが中に閉じ込められた。

もし、この「前兆」が外に飛び出していたら、人間はその生涯に起こる不幸をすべて、正確に知ることとなる。そうなると人間はどうなってしまうのか。

希望を抱くことができなくなり、生きていられなくなる。人間は災いから生き残っていくことは可能であるが、希望なしに生きることはできない。(この「前兆」は、文献によって、ときに「希望」となっている。)

ゼウスの思う壺である。

日本には『知らぬが仏』と言う諺があるが、知ってしまったからには、、、、、ってヤツだ。


話は変わって、、、

私の一日は、ネットで医療情報を“漁る”ところから始まる。日経メディカルオンラインはその一つ。

その日経メディカルオンラインのブログで 本田 宏 医師 が書いていらっしゃる「勤務医よ、闘え!」も、よく目を通す一つだ。

ただ、最近、ちょっとお疲れのご様子。

それは、本田 宏 医師 の主張である『医療費を増やせ』『医師を増やせ』に、身内であるはずの医師からも、反対の声がかなり上がっているからだ。主に『医師を増やせ』の部分に。。。。

私は、薬剤師なので医師の数に言及する事はいたしかねるが、『医療費を増やせ』の部分には、いつも違和感を感じている。

違和感を感じる理由は、簡単だ。

本田氏の主張は、医師不足の核心を微妙にはぐらかしている。でも、庶民を敵に回すことにもなりかねない発言は、氏の立場上、出来る事ではないので、氏も歯がゆい思いはしていると思うのだが。。。

この本音の部分を吐露しない限り、政治家による政策と同じで、問題の解決には至らないのは自明だ。とても残念だが。


と、私らしくもなく、綺麗にまとめるつもりは無いので、いつもの調子でやると。。。


この本音の部分を吐露しない限り、政治家による政策と同じで、問題の解決には至らないのは自明だ。もっとも問題を解決したくないなら、核心には触れちゃイケナイんだけど。。。となる(諸外国じゃGDPの何%が医療費だってよく言うけど、日本人と欧米人の疾病構造は違う!治療法や医薬品の認可では【違う】って認識している人でも、医療費の話になると解釈は違うらしい??もともと日本人は健康的なんだよね。医療制度が良いから長生きしてるわけじゃない。今回は、この話じゃなくって・・・)。

病院に来ている患者のすべてが、はたして、治療が必要なのか?ということだ。だから違和感がある。これを明確にした後なら、本田 宏 医師 の主張は腑に落ちるのだが、、、


【病院が老人サロンと化している】


マスコミは、たまに、こういう実態を取り上げる。ただ取り上げるだけで、医療費問題とか医師の過労には結び付けない。それに治療が必要ない患者はなにも老人だけじゃない。子供も大人も老人も、程度の差こそあれ、医師が治療に関与する必要も無い人が、病院を訪れている。

これを否定する人はいなだろう。

だけど、個々の患者に関わってしまうと、それが言えない。また、患者自身も『自分だけは、医師の治療が必要だ』って思ってる。

『あなたは治療する必要が無い。自然に治る』『あなたには、もう、なす術が無い』と言えるのは“医師だけ”なのだが、これが言える医師がいない。というか、言える“雰囲気”が日本にはない。誰が作り上げたのかは知らないが・・・・。

この問題に触れないで医療政策はありえない筈なのだが、何故か議論すらなされていない。結局、お金が沸いてくるなら、ジャンジャン使えばいい。だけど、お金が無いんだから、それをどうするのかが、政策なのに、道徳的であったり、人道的な話とごちゃ混ぜの議論になってしまう。

【病院が老人サロンと化している】は知ってるけど、それは、自分の事じゃない。それに、高い健康保険料を払ってるんだから、元をとらなきゃ損っ!って、やってるから、自己負担“無し(0割)”だった老人保険や社会保険の本人に負担が発生し、今じゃ、3割は自己負担だ。

見てみぬ振りして、問題を先送りしているから、こうなる。この調子だと増税は必至だ。

さらに、病気であるかどうかの認識は、個人差がかなりあるのに、それが『良くない事』にされ、日本人なら平等に医療が受けられる事がよい事だとか何とか言っちゃって・・・。


70歳前のあるご婦人が、、、、農家に嫁いで40年。舅、姑、夫と亡くし、譲り受けたものを処分して、便利な住宅街に移り住んだ。お付き合いする友人も新しくできたが、一つだけ困った事がある、それは、風邪を引いた時や軽い怪我をした時、周りの友人から『病院には行ったの?』『病院行かなきゃダメじゃない』と、常に、言われる、、、と。『一晩寝てれば良くなるのに、病院に行かない事が、何か悪い事のように思えてきた』と。


なんか、、、、パンドラの箱を開けちゃった後のように思えてくるのは、私だけだろうか?

テレビでは『あなた!それは病気です』ってやってる。『コレステロールを甘く見るな!』とか『ほんとは怖いなんとか症状』とか、、、『健康診断を受けて早期発見』。。。。。で、、、、検査結果を知ってしまった、、、と。パンドラの箱を開けたようなものだ。全部とは言わないけど。

読売新聞、本日の朝刊にも、、、『消化器がん、血中遺伝子変化で判別…世界初』と。これ、遺伝子医学“萌え”の私にとっては、トピックなんだけど、これの利用方法を想像すると・・・・・・。結局、診断は付いても、治療方法が無い・・・・。いや、患者本人には『為す術は無い』とは言えないから、、、、だったら、パンドラの箱は開けなきゃ良かったのにぃ・・・・と。もちろん、厳密に、治療の術がある患者と無い患者を“峻別”する為に用いられるのなら、、、、、、。

どうして、一般紙が、このようなニュースを取り上げるのだろう・・・?

患者は、診断が付けば治せると勘違いしている。診断が正しく付くのと治療法はセットだと思い込んでいるのに・・・・・。

消化器がん、血中遺伝子変化で判別…世界初

 金沢大学医学類の金子周一教授らの研究グループは19日、消化器がんの有無を血中の遺伝子の変化で判別する技術開発に世界で初めて成功したと発表した。

 胃、大腸、膵臓(すいぞう)がんのいずれかの有無を9割の精度で判別できたといい、消化器がんの早期発見、治療が期待される。

 金子教授らは、消化器がんが発生した場合にだけ働きが変化する約1800の遺伝子群が、血球中に存在することを発見。血液2・5ミリ・リットルを使い、特に変化の大きい約800の遺伝子群を解析した。

 がん患者53人の症例検査では、がんと関連した物質の血中濃度を調べる腫瘍(しゅよう)マーカーでは27%だった判別率が、遺伝子解析では91%の精度で三つのがんの有無が判定できたという。

 さらに、腫瘍マーカーでは正常と診断された初期(1a期)の胃がん患者の判別にも成功したという。

 がんの種類も約7割の精度で識別でき、難しいとされる膵臓がんの早期発見にも期待している。金沢大は、自前の発明を事業化する学内ベンチャー「キュービクス」と特許許諾契約を結び、この検査法は早ければ来年末にも、医療現場に導入される見込み。

(2009年11月20日05時56分 読売新聞)


さて・・・・・・と、下準備は整った!!

さて、テレビコマーシャルで徳光和夫は「コレステロールを甘く見るなよ。さっさと病院にいけ」って言ってるけど、、、、、、

2つ前のエントリーで、『エイズの診断で感度99.9%、特異度99.9%の検査をしたところ、陽性と出た。だが、この人がエイズに感染している確率は、99.9%ではなく、約17%である。』って書いた。

実は、私も、ずるい事をやっている。。。。

印象操作だ。これは、『病気を作る、病人を増やす』方向への印象操作に対する“お返し”である。

『この人がエイズに感染している確率は、約17%』としたのは、例えば、献血などで、全く HIV に感染するリスクを犯していない人達をも含めてスクリーニングする場合を想定した“数値”だ。

検査をする集団を、『やばそうな売春婦や兄貴(男)と肉体関係を持った』人達に絞り込んだら、、、、このグループを、例えば 1 %がホントにウイルスに感染しているとすれば、99.9%の感度・特異度の検査をすると、、、約91%の確率で、ホントに感染している人を捜し当てられる。

なんだか、騙されたように感じるかも知れないけど、医療統計学とは、そういうものである。だから、逆方向に騙す事も簡単なのだ。


今、日本人に形成されているコンセンサスは、『コレステロールは危険、だから、薬で下げなきゃ』だろう。もしかしたら、製薬メーカーの洗脳術に徳光和夫が利用されているだけで、一般大衆は、そこまで“愚か”じゃないのかもしれない・・・・が、、、パンドラの箱が開け放たれたままなのは、間違いない。

健康診断で、コレステロール高値を指摘されて、病院に行った人の中で、果たして、何パーセントの人が、医師に『薬を飲んで下げなくても良い』と言われて、納得するのだろうか??


ところで、『コレステロール値が高いよ』って言われた人の中で、一体、何人の人が心筋梗塞などの心血管系の病気になるのだろう?

これは、日本人でのデータがあるから、それを参考にしよう。mega study だ。大雑把に言うと、治療群と無治療群の前向き比較。(平均年齢58歳、総コレステロール平均値243mg/dl、LDLコレステロール平均値157mg/dl。高血圧合併率42%、糖尿病合併率21%。。。。なんとも言えないサンプル)ここで、、、、

総コレステロール値 220~270mg/dL の人をホッタラカシ(食事療法とか書いてあるけど)て6年後の心血管系の病気になっちゃった人が、100人中3人の割合でいたそうだ。発症人数の増え方は“線形”だとか言ってた。とすると、12年後には100人中6人、24年後には100人中12人になる予定だ。

被験者の半分は薬を飲んでコレステロールを正常値にコントロールした訳だけど、発病した人は 6年後に100人中2人だっただそうだ。だから、無治療の人達と治療した人達を比べると、100人中3人が100人中2人になってるから、33%の発症抑制効果があるって、医療統計学では言う。。。。。これ、どう思いますか??

って、これは今回の話から外れるし、前にも取り上げてるからおいといて、、、

もし、可能ならば、mega study で登録した被験者をコレスロールだけを“正常値”の人に代えて、6年間、追跡してみて欲しい。100人中3人にイベント発生したりして・・・・(爆笑)

おっと、脱線したけど、結局、コレステロール値が高いというだけじゃ、“良くわからん”というのが、正しい見方だと思う。

mega study の被験者達を見ても、なんとなく想像付くように、コレステロールが高値の場合、血糖値、尿酸値などは、独立しているというよりは“連鎖”しているって考えたほうがいいんじゃないのかなぁ?体質や嗜好・・・・遺伝子に還元されるんだけど・・・。

コレステロール値で引っかかった人全員を薬漬けにするんじゃなくって、その人達を対象にもっと感度の高い検査を実施して、、、、、、


ふぅ~、やっと、「高感度CRP測定」まで、たどり着いたみたい・・・・・。

2009年11月21日

民意優先と公益優先 -- 裁判員「むかつく」報道で思うこと

20091121_republic.jpg集団で生活を始めた人類は、国と言う概念を形成していく過程で、公益という概念を獲得した。公益と言うのは、もともと、互恵的利他行動の範疇だ。

その公益を実現する為に、有史以来、色々な政体が現れては消えてきたわけだが、、、

民意優先は、主権在民の国家においては、とにかく、民意が一番でありその結果を公益に反映させるという方法をとる。

公益優先は、主権在民の国家においては、公益こそ第一に優先させるべきで、その為なら、民意の反映は必ずしも必要とは考えない。

日本も二大政党制時代を迎えたわけだが、、、、、

アメリカの場合、二大政党の名称は、オバマの民主党とブッシュのいた共和党だ。どの国でもそうなのだが、政権を取れる政党の名前はわかりにくい。。。。民主党は民意を優先させ、共和党は公益を優先させる政党だ。


では、日本の場合はどうだろう。


民主党は、どうやら民意を優先させる政党のようだ。自民党は、党内で民意優先と公益優先の派閥があるみたいに見える。一般的に、民意優先は性善説の考え方をする人達で、公益優先は性悪説の考えであるといわれている。

民意優先は衆愚政治に陥りやすく、公益優先は強力なリーダーシップが無いと機能しないと言われている。

私は、批判も多いが小泉元首相は彼の政治的ポリシーに則り、きっちりと役割を果たした政治家だと評価しており、近年、彼に勝る首相はいないと思っている。まぁ、それはおいといて。。。


日本では政治が“国民目線”で運営不可能な事は、民主党が政権を取って間もない間に、証明されてしまった。

さらに、裁判員が『むかつく』といった事を『罪を憎んで人を憎まず』と言い直させる“雰囲気”が日本にはある。本音が言えず、本音を言うことが悪とされる、、、、結局、日本人は“腹黒い”民族なのだ。

“他愛もない事”には、堂々と意見を言える人は多い。だが、シビアな場面になると途端に、、、。『むかつく』と言った人は、最後まで、自分の感情を大切にしてもらいたかった。。。。。っていうか、強姦致傷を犯した奴は“脳”で考えて“体”を動かしたのだ。そんな犯罪に『罪を憎んで人を憎まず』みたいな他人事の言葉を選んで良いわけが無い。

已むに已まれず人を殺してしまった場合とは、根本的に違う。

このことわざは被害者が加害者を憎んではいけないというものではなく、裁く立場の者が加害者を憎んではいけないというものだ。孔子の「孔叢子--刑論」が出典だということからもわかるだろう。英語圏というか陪審員制度のある国でも同じ意味の諺があるから、人が人を裁くという時の人間の共通の概念なのだろう。

『Condemn the offense, but pity the offender.』

しかし、巷では、世間一般の人もすべからく『罪を憎んで人を憎まず』の態度をとる事が人道的だみたいに考えている人が、びっくりするくらい多い。

マスコミの報道姿勢が、それを助長しているのだろう。『罪を憎んで人を憎まず』は、言葉に出せば“イイ人”に見えるからね。ブログでも勘違いして恥を曝している人は多い。

裁判員としては、『罪を憎んで人を憎まず』は必要だと思う。強姦が『已むに已まれず』発生する犯罪だと思っている人には、何を言っても始まらないが、このように犯行の背景を考慮する必要が無い場合には、感情で判断することが正しい選択である。生物学的に


と、日本人の国民の人道的な態度が、如何に薄っぺらなのかを明らかにした後、医療政策に対して、一言。

医療政策も政治である。公益にはお金がかかるが、それは手段であってはならない。年金と同じで個人の利害に直接絡む問題であるので、貧富により求めるものが大きく変わる。この事をタブー視せず、議論してもらいたい。

日本では、民意を優先させると、絶対、衆愚政治になる。これだけは断言できる。


p.s.来年の医療法改正が“試金石”になるかもね。私は、処方箋の書式に関するパブリックコメント受付期間内ギリギリに間に合い、意見を述べさせてもらった。ギリギリになった理由は、薬剤師会からの FAX が入ったのが、締切日だったからだ。

私がパブコメの存在を知らなかったのがイケナイとはいえ、締切日に FAX する薬剤師会の意図は、、、、

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