押尾学事件、感情的に判断して何故悪い?
はじめに、アレルギー体質は転写因子「Mina」の遺伝子が原因だっという発見。
これは、抗原暴露があった時、その“現場”に、IL-4 が多く出ちゃう事を説明できるものだ。
初回に、抗原提示細胞から、抗原の提示を受けて・・・・・って所で、今までは、抗原提示細胞そのもの、つまりB細胞から提示を受けるのか、マクロファージから受けるのか、樹状細胞の性質なども考慮に入れて、、、、受ける側のT細胞もリンパ節で他の抗原を受けているT細胞がいたりしたら、そのサイトカインの影響を受けたり、、、、、と、かなり曖昧に説明されてきた箇所が、T細胞の「Mina」で、、、、全てではないにせよ、説明できるようになったって事だ。
これは、解釈の仕方によっては、アレルギーの“場の雰囲気”の影響を過小評価させる方向に進みそうだが、腸内細菌を介してのアレルギーコントロールなどもマウスでは見られるので、一方的には進まないだろう。
“場の雰囲気”ってのは、実験的には、花粉を暴露して IL-12 を同時に投与するような場合の、IL-12 存在量のこと。人為的にせよ、自然の流れにせよ、初期のサイトカインである IL-12 がその反応の場にあれば、細胞性免疫に向かうのだからね。
人間で、「Mina」が、どれ位の割合で免疫現象に影響しているのか、はたまた、さらに「Mina」の影響を制御する因子があるのかなどなど、、、、興味は尽きない。
が、臨床的には、100%の制御はかえって悪そう。ほどほどの適当な制御がいいんだろうなぁ。。。システムとして機能しているものが対象の場合にはね。
理研免疫・アレルギー科学総合研究センター シグナル・ネットワーク研究チームの久保允人(まさと)チームリーダー、米国セント・ジュード小児研究病院のマーク・ビックス准教授らの研究グループが、アレルギー体質を決めるのは転写因子「Mina(ミーナ)」の遺伝子であり、そのSNPs(スニップス)がアレルギーの発症にかかわっていることを明らかにした。これまで、アレルギー体質には遺伝的要因が関係していると推測されていたが、その遺伝子やメカニズムは謎のままだった。今回、研究グループは、アレルギー発症の原因となる「インターロイキン-4(IL-4)」の産生に関連する遺伝子がゲノム上のどこに位置しているかを調べ、16番染色体上の領域に存在することを明らかにした。そして、この領域に存在する30個の遺伝子に注目し、アレルギー体質のマウスとアレルギー体質でないマウスを比較した。その結果、アレルギー体質でないマウスのT細胞(免疫応答に関与するリンパ球の一種)にはMinaが多く存在するのに対し、アレルギー体質のマウスでは少ないことを突き止めた。また、Mina遺伝子の塩基配列を、アレルギー体質のマウスとアレルギー体質でないマウスとで比較したところ、Mina遺伝子上に多数のSNPsが存在し、これがアレルギー体質を左右していることも明らかにした。
さらに研究グループはMinaの働きを調べ、MinaがIL-4 の遺伝子に結合し、T細胞内でIL-4の産生を抑制することを解明した。人為的にMinaの発現を増加させたマウスでは、T細胞でIL-4の産生が低下したのに対し、Minaの発現を減少させたマウスのT細胞では、IL-4の産生が上昇した。これは、Minaがアレルギー体質を制御することを示している。
今回のマウスの研究結果から、ヒトでもMina遺伝子のSNPsがアレルギーに「なりやすい」「なりにくい」といった体質の違いを生み出しているものと推察される。今後この研究が進むことにより、個人個人に合ったアレルギーの投薬治療などへつながると期待される。
だから、ほどほどが良いのは、何も、免疫系の制御だけじゃない。
血液サラサラ、、、ダイエット、、、抗酸化物質、、、納豆、、、コレステロール、、、おっと、脱線。。。
話は変わるが『チーム・バチスタの栄光』の海堂尊氏は、氏のブログで捜査関係者の思考法が明治維新直後に策定された刑法の考え方のまま、旧態依然であると痛烈に批判している。
科学的推測論法を無視した“直接の因果関係”を求める続ける姿勢に対してである。
氏によれば、押尾学事件で亡くなった女性の司法解剖結果、すなわち『原因不明』が、全く生かされていないと。
30代の女性と言えども、「脳出血や心筋梗塞」というような疾患であれば、突然死もあり得るわけだが、司法解剖は、その点をも“無し”としたわけである。
ならば、その前に“やってた”事が“死亡と関係あり”とするのが、“普通”じゃないのか?シロウトでも、わかることだ!と、これを科学的推測論法だと言っている。
さらに氏が指摘するのは、捜査関係者の根底にある心理が“直接の因果関係”を厳密に証明することが、容疑者の人権を守る事に繋がるという認識だ。それが、過剰な犯罪者の人権保護に繋がっていると。
海堂尊氏の指摘する『それが、過剰な犯罪者の人権保護に繋がっている』という部分に、“激しく同意”してしまった私も、“やってた事が死亡と関係あり”に決まってんジャン・・・と感じてしまう。。。。
だが、これは、別なシーンを想定すると、疑問符を付けざるを得ない。。。
とある夫婦、夫の常備薬は妻の管理。いつものように『じゃ、コレ、今朝の分ね』と妻に手渡された薬を服用後、出勤の準備をしていた夫は、突然、倒れ・・・・・・・。解剖の結果、死因不明。従って急性心不全となった。
死因不明なんだから、妻が飲ませた薬が原因じゃないのか?
いや、いつも飲んでいる薬なんだから、それはありえない!
じゃ、3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン (3,4-methylenedioxymethamphetamine) 略称 MDMA、別名 エクスタシー(EcstasyまたはXTC)の場合は、いつも服用していて、死にゃしないのに、この時だけは因果関係ありなのか?
・・・・・・と。
このように、考えると、科学的には押尾学が飲ませた薬が原因と断定してよいものなのか、自信がなくなってくる。(上記のように、アレルギーの体質すら、科学的には曖昧模糊としてるんですぜ!)
MDMA が臨床試験を経ているとは考えられないが、心室性不整脈など致命的な副作用が高率で発生するなら、そもそも、(一部の)大衆に安易に広がっているはずが無い。
MDMA を服用し SEX に興じることが日常的になっており、その際に、死亡する事がほとんど無かったのなら、押尾学事件で、薬との因果関係ありとするのは、死因不明だからと言って、飛躍しすぎではないだろうか??(って考え方も、科学的推測論法になるよね)
しかし、そうは言っても、押尾学と彼の行為は、極めて“黒”いと感じる。
この黒いと感じる原因は、押尾学に対する“妬み”や日頃の鬱憤晴らしの可能性がある。男としては、あんな淫らな行為をしてみたい願望。それを抑制しなければならない自分、女にモテない自分、律儀に社会のモラルを守っている自分と、奔放な押尾学の行為とを比べてしまって・・・・・『あんなヤツ、地獄に落ちればいい』と。
でも、世間じゃ、法的な裁定を下す時には、感情的じゃイカンとなっている。
何故、感情的なのが悪いのか?
私は、悪くないどころか、それが集団で生活を共にする為の知恵だと思っている。
そして、このような判断は、概ね、正しい。進化論的に“憎悪”の感情が保存されてきたのは、それが生存環境に適応的だからだ。互恵的利他行動を取らない“ズルイ”ヤツを発見する能力も含めて。
ただし、他人に刷り込まれた印象による感情を、自分の感情だと勘違いしている人が多いので、別な問題もあるのだが。
日本人の場合、自分の意見を持たない民族だから・・・・。
ちょっと、脱線するが、「菊と刀」の著者で、アメリカの民俗学者 ルース・ベネディクト が1945年太平洋戦争終結の直前にペンタゴンから日本の占領政策について意見を求められ、「日本人は単独では思想を持ち得ない民族。天皇制存続を保証すれば、占領政策はうまくいく」と回答したそうだ。この分析が適切であった事は歴史が証明済みだ。見事に日本人の性質を言い当てている。
この我々日本民族のDNA上に刻み込まれている(この表現はメタファーです)性質は、感情が沸き起こらない自分を卑下してしまう事にも、起因するんだと思う。だから“雰囲気”に流されやすい。場の雰囲気に流されやすいのは、免疫現象に似ているから、生物の本質かも知れない。(『そう?俺は何も感じないけど??』って言えない。何も感じない=馬鹿だって思われたくないからかなぁ??そもそも、自分に自信が無い?だとしたら教育の問題?「空気読めない KY 」なんて言葉が流行るくらいだから、教育の可能性大?)
『押尾学めぇ、1人で、イイ思いしやがってよぉ~』と言われて、『うん、そりゃそうだ!!』と俺も頭にきたよぉ~~~~って。さらに、集団内で、価値観が対立すると、仲間はずれにされる、そっちの恐怖の方が重要だと判断するのか、感情を装う事すらありえる。装っているうちに、、、自分の中から沸き起こった感情だと勘違いする・・・・。
まぁ、法的判断に感情が入る事を嫌うのも、“ほどほどに”って事でまとめるけど、裏返せば、社会的な問題を解決するのに科学は万能じゃないって事。
良い例が、医療。。。。あっ、医療はサイエンスだとは思ってないけど、大衆はそう思っているって事。
ただ、それならば、外交だって、感情的でイイジャン。お前は以前『外交は、極力、感情を廃せ』って言ってたけど、逆の事言ってるジャン!と指摘したい人もいるかも知れない。
でも、この感情に従って、ルールを守らない奴に罰を下す、互恵的利他行動が出来ない固体を村八分にする行為は、価値観が、ほぼ、同じで、肌を接するくらい物理的に近くで生活している集団内で適応できるものだ。
価値観が違う、たとえば、宗教的な信仰や“聖戦”“殉職”を理解できないなら、感情的な解決法は無益しかないだろう。(ギリシャ神話のゼウス的に言えば、人減らしに役立つけど)
それに、進化的な時間で眺めれば、1000km、2000km、5000km と離れた人達とコミュニケーションを取るようになったのは、つい、最近のことだ。だから、外交と感情は、ホントは、なんとも言えないんだけど、浅い歴史(有史)を眺めてみても、戦争が絶えないからねぇ・・・。必然の部分が多いにしても・・・。(ギリシャ神話のゼウス的に言えば、人減らしに役立つのは、生物学的にも意味があるよなぁ。地球は人口過剰だもん。神話の頃から人口が多いって認識があったんだから、間違いないっ!だから、逆に、戦争を肯定するなら感情的でいいんだけどね。結局、それは顔見知りの間では利益であるし、見ず知らずの遠い所に住む人と仲良くする必要ないんだから)
閑話休題。海堂尊氏は、司法解剖で原因不明ならば、“やってた”事が“死亡と関係あり”とするのが、科学的推測論法だと言っているのだが、これを科学的と言っちゃイケナイと思う。しかし、押尾学と彼の行為を『極めて黒い』とする事には、大賛成だ。
法的な判断に、市民感情を反映させることが、社会生活に安寧をもたらす事になるのだから。裁判員は“科学的”なんて言葉に惑わされないで、自分の感じたままに判断すればよい(と思っている)。
なんで、こんな事になるのかといえば、世の中、科学的と言う言葉を安易に使いすぎって事なんだよね。
科学の分野では「ディタッチメント」(detachment)という言葉がある。脳科学者の茂木健一郎氏は、、、、
『科学的世界観とは、理想的には、あたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ることによって成り立っています。そのことを、科学者たちは、「ディタッチメント」(detachment)をもって対象を観察する、と表現します。「ディタッチメント」は、もともとイギリスの経験主義科学を特徴付ける言葉であり、日本語に直せば、「認知的距離」とでも訳せるでしょうか。』
、、、、と。
科学的という言葉の信頼性が揺るがないようにする、科学者の良心とでも言えば良いのだろう。
科学的と言葉を使うからには、人間も残酷にならなければイケナイ。裁判を科学的にしたいなら、その根拠となる医学に『倫理的』などという言葉を持ち込まず、『30代の女性の突然死するリスクが、MDMA 服用後の SEX により有意に上昇する』という仮説を証明する実験をしなくっちゃ!
それが出来ないんだから、感情で判断すべし・・・・だっ!押尾学を“黒”にするのに、科学的なんて言葉は必要なし!感情で十分だろ?薬と死亡の因果関係が無くたって、そもそも、持ってちゃいけない薬を使って、SEXで“イイ気持ち”になったツケだよ!!でイイんじゃない?
突然死が“偶然のとばっちり”だったとしても、自業自得だし、死んでしまった女性の身内も含めて、社会が溜飲を下げる結論だろ!
これが、庶民の為の法律なんじゃないのか?(でも、これって、魔女裁判と同じだっていう奴いるだろうなぁ・・・・)