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2010年08月27日

アフガニスタンのヤギ飼い

20100827_justice.jpg2005年6月、アフガニスタンでのこと。

マーカス・ラトレル二等兵曹は、海軍特殊部隊のほかのメンバー3人とともに、パキスタン国境近くから秘密の偵察に出発した。任務はオサマ・ビン・ラディンと親交の深いあるタリバン指導者の捜索だった。情報によれば、目標とする人物は140~150人の重武装した兵士を率いており、近寄ることの困難な山岳地帯の村にいるとの事だった。

特殊部隊が村を見下ろす山の尾根に陣取ってまもなく、100頭ほどのヤギを連れた二人のアフガニスタン人農夫と14歳くらいの少年に出くわした。

武器は持っていないようだった。

米兵たちは彼らにライフルを向け、身振りで地面に座るように命じ、どうすべきか話し合った。このヤギ飼いたちは非武装の民間人らしい。とはいえ、もし解放すれば米兵の存在をタリバンに知らせてしまうリスクがあった。

どんな方策があるかを考えながら、四人の兵士はふとロープを持っていないことに気づいた。そのため男たちを縛り上げ、新たな隠れ家をみつけるまでの時間をかせぐことは出来なかった。選択肢は男たちを殺すか解放するかのどちらしかなかった。

ラトレルの戦友のひとりは殺すことを主張した。
「われわれは敵陣に潜んで作戦を遂行中だ。ここには上官の命令で送り込まれた。自分たちの命を救うためなら、あらゆる事を行う権利をもっている。軍人として何をすべきかは明らかだ。解放するのは間違っている」

ラトレルは迷った。

「心の中では彼が正しいとわかっていた」とラトレルは回想記に書いている。「どう考えてもヤギ飼いを解放するワケにはいかなかった。しかし困ったことに、私にはもう一つの心があった。キリスト教徒としての心だ。これが私にのしかかっていた。武器を持っていないこの男たちを冷酷に殺すことは間違っていると、何かが心の中でささやき続けていた」。
 
 
 
さて、ここをお読みの皆さんなら、どのような行動に出るだろうか?自信を持って、誇りを持って、自分の行動を決定できるだろうか?

どんな結果になろうとも、その行動が正しかったと思い続けられるだろうか?
 
 
 
ラトレルの場合は、、、、

キリスト教徒の心とは何かをラトレルは述べていない。だが結局、彼の良心はヤギ飼いたちを殺すことを許さなかった。

ラトレルは解放すべしというほうに事態を決する一票を投じた(三人の戦友のうち一人は投票を棄権した)。ラトレルはこの一票を悔やむ事になる。

ヤギ飼いたちを解放して一時間半位した頃、四人の兵士は、AK48小銃や携行式ロケット弾で武装した80~100人ほどのタリバン兵に包囲されていることに気づいた。その後の激しい銃撃戦で、ラトレルの三名の戦友は全員戦死した。そのうえ、ラトレルたちシールズ・チームを救出しようとしたヘリコプターも撃墜され、16人の兵士が命を落とした。

ラトレルは重傷を負ったが、かろうじて生き延びた。山腹を転がり落ちると、12キロメートル近くを這って、あるパシュトゥーン族の村に辿り着いたのだ。村人たちは救助が来るまでラトレルをタリバンから守ってくれた。

当時を振り返り、ラトレルはヤギ飼いたちを殺さないとした自分の投票を責めた。
「これまでの人生において、もっとも愚かで、馬鹿々々しく、間の抜けた判断だった」と、ラトレルはその出来事について書いている。
「頭がおかしかったに違いない。墓穴を掘るとわかっている一票を投じてしまったのだから・・・・・とくに、今はその時をそんなふうに思い出している・・・・決定票を投じたのは私だ。東テキサスの墓地に安らぐまで、その事実は私をさいなむだろう」
 
 
 
この文章は、『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学:マイケル・サンデル』からの引用だ。

この事例は、かなり“インパクト”があるらしく、『アフガニスタンのヤギ飼い』とググるとかなりの数のサイトがヒットする。中には、本屋で立ち読みしただけでステレオタイプに“米国の(父権的)正義”に対する批判へと結論しているお粗末なサイトもあるが(しかも上位にランクされている。グーグルでは、なんとトップ)、十人十色で、いろんな意見、いろんな感想が披露されている。

この本を読めばわかるように著者のサンデル教授は、「こうすることが正義である」なんて結論していないし、講義や著書を通して正義は議論の中で生まれるって言っている通り、その議論こそが大切であることを示している。

他の人も指摘してるが、この問い対する答をサンデル教授は用意していない。プラトンの例(洞窟の囚人は本質を理解できない)を引用して述べているだけだ。「われわれは内省だけによって正義の意味や最善の生き方を発見することはできない」つまり、「議論」によってのみ、最善の行き方に到達できる、と。
 
 
 
さて、現代の日本において、このようなシビアな選択を迫られることは無いだろう。でも、過去にはあった。しかし、全員ではない。昭和初期から太平洋戦争終結までを経験した人においても、自分たちの行為に評価が分かれる所以だろう。

平時の、それも、平和ボケを享受している我々の“正義感”“道徳心”から生じる“人道的”と呼ばれる判断が、はたして万能なのか?を問いかける好例なんじゃないかと感じたわけだ。

この時期、よく、ネタにされる“村山談話”に対して、私は、『国の利益が増すのなら、あの内容も方便』とだけはかろうじて評価するけど、薄っぺらな人道面を強調する理屈には、辟易するひとりだ。


話をラトレルの経験に戻す。ラトレルは自分の任務(戦時下の行動だ!)を果たすべく、ヤギ飼いを殺したとする。結果は、タリバン指導者を確保できたことだろう。目的は果たされることになる。そして、戦友の死も経験しない。したがって、ラトレルは死ぬまで、キリスト教徒としての良心に苛まれることになるだろう。

どちらにしても、ラトレルにとっての利益は無い。「だから、戦争自体が“悪”なのだ」という人もいるだろう。

“悪”“悪者”を作るのは簡単だ。だが、その回避法を示せたためしがない。

“悪”“悪者”を作って断罪するのは、生き残った人たちの“溜飲を下げる”効果はあるかもしれないが、戦争そのものを回避する解決策にはなり得ない。東京裁判も然り、、、、だと思っている。
 
 
 
というわけで、みなさんに質問だけして、自分が答えないのはズルいから、書いておくけど、、、「どんな結果になろうとも、その行動が正しかったと思い続けられるだろうか?」ってことを・・・。

私は、結果に左右されます。

戦友や味方を失ったという結果の後では、ヤギ飼いを殺さなかったことは正しかった、自分の判断は正しかったとは絶対に思えない。そして、多数決でヤギ飼いを殺したとして別な結果に見舞われたら、彼らを殺したことをいつまでも悔いることだろう。

だから、私は、結果論が嫌いで、結果がわかっていることを根拠にしてロジックを組み立てる人が嫌いで、正義を為すために歴史を根拠にするような連中が嫌いなのである。。。。まぁ、それは、どうでもいいことだけど。

結果に左右されない人は、スゴイ。仲間が殺されても、ヤギ飼いを殺さなかったことを悔いない人はスゴイと思う。。。。。。。

っていうか、結果に左右されない筋の通った“正義”の論拠があれば、それを知りたい・・・・と思っているのだが、、、、、

マイケル・サンデル教授の『ハーバード・白熱教室』を観て、『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』を読んでも、まだまだ、よくわからない。。。。が、そんなものはないんだろうなとも思ってる。


話は脱線するが、、、チリの地下シェルター、何人も閉じ込められてるみたい。

不謹慎ながら、私も、いやらしいジレンマを考えてみた。それは、、、

地下に閉じ込められている人は、太った人から、痩せてる人まで、さまざま。そこで、食料の分配をするわけだが、全員に十分な食料が供給できなくなったとして、どのように分けるのが“公平”かを考えてもらいたい。

デブは、少しの間、食べなくても死にはしない。ガリガリに痩せてる人はすぐ死んでしまうだろう。なら、、、デブには少なめに、痩せには多めに、食料を分配するのが公平なのか?それとも、デブや痩せに関係なく平等に分配するのが公平なのか?

まだ、結果は出てないから、今のうちに、自分なりの“正義”を出しておいてねっ!(特に、皇軍がどうしたとか、A級戦犯がどうしたとか、人道面を強調し、綺麗ごとを炸裂させている人たちの考えを聞きたいぞ!!)
 
 
 
閑話休題。

先日、読み終わった『失語の国のオペラ指揮者―神経科医が明かす脳の不思議な働き:ハロルド クローアンズ』に書いてあったことなのだが、、、、

クローアンズが、足の親指を骨折した時の話・・・・。

彼は、もう、痛くない、普通に歩ける、、、、すなわち、足の親指の骨折の痛みを忘れた頃、朝のシャワーを浴びた後、シャワールームから出るとき、その親指を、敷居に、しこたま、打ち付けて、悶絶した後、何故、そうなるのか?を考察する・・・・・くだりがあるのだ。

彼の“発見”によると、知覚神経からの持続する刺激の入力は、脳内では処理されなくなる。骨折当初は痛くても、しばらくすると骨折が完治していなくても、痛みの信号は、知覚神経を通して“脳”に運ばれてくるが、そのシグナルを“脳”が処理しなくなるのだという。

パンツをはいた直後はパンツの感覚があるけど、そのうちパンツをはいていることを感じなくなる。ネクタイをキュッと締めた後、しばらくは苦しいがそのうち感じなくなる。アレと同じ理屈らしい。

この時、脳内では、選択的に“足の親指の痛み”だけが、処理されないなら良いのだが、その他の知覚情報も、一緒くたに、処理処理されなくなるのだという。

そうすると、どうなるのか?

ふだんなら、足の筋肉の状態や膝、足首の関節の曲がり具合から、地面から足底がどれだけの高さにあるのか、正確に知ることが出来る。

でも、足指の骨折の痛みを“麻痺”させているときには、この地面からの高さの感覚も、狂ってしまうのだ。

だから、骨折した指を、また、ぶつけて、もんどりうつことになる・・・のだと。


これには、納得した。

そして、これは、もしかしたら、“精神的に耐えられない結果”に持続的に曝される(自分の気持ちだから、曝されるというのは語弊があるんだけど)ことにも言えるんじゃないかと・・・・・。


ヤギ飼いを解放した結果、同胞が何十人も殺される、、、、、

あるいは、

ヤギ飼いを殺す、、、、、、

両方とも“受け入れがたい”事象だけに、それぞれを行ってしまった後に、自分の精神のバランスをとるために、正義の感覚が変化する・・・・。

これって、生理的なことなんじゃないのか・・・・なぁと、思ったわけだ。

これが、本当かどうか、わかんないけど、自分なりに、この結論に至ったとき、私の『結果論が嫌いで、結果がわかっていることを根拠にしてロジックを組み立てる人が嫌いで、正義を為すために、歴史を根拠にするような連中が嫌い』が、理論付けられたような気がした。(結果論は、エピメテウスで下衆の後知恵ってこと)


しかし、これが、生理的だとして、それの意味するところはナンなのだろうか? 何かの利益になっているのか?正義にも多様性が必要なのか?????

2010年08月24日

『違い』の個人差

20100824_sense_of_crisis.jpg一部で話題になっている「NDM-1産生多剤耐性菌で厚労省が事務連絡」ってニュース、一般紙やテレビニュース、ワイドショーで取り上げられていないからか、はっきり言って、世間では、無関心・・・と言うほかは無い。(いいのか?これで・・・)

邪推すれば、景気対策の一つとしてのこれから流行りそうな“メディカルツーリズム”に“水をさす”ことになりそうなので、報道規制が敷かれている・・・・のかもしれない?

NDM-1 ってのは、いわゆる抗生物質を効かなくする遺伝子の名前で、最初の“ N ”はニューデリー、すなわちインド発祥の耐性遺伝子ってくらいだから、日本がアジアからの病人を受け入れると・・・・・・。

そのニューデリー・メタロ-β-ラクタマーゼ1(NDM-1)産生多剤耐性菌は、カルバペネムを含むほぼすべての広域β-ラクタム系抗菌薬に対して耐性のあるNDM-1遺伝子に加え、フルオロキノロン系やアミノ配糖体系などに耐性を示す遺伝子を持つものが大半を占めるってわけだ。

まぁ、日本の防疫行政なんて頓珍漢きわまりないから、“無関心”は無駄金を使わないだけマシかもしれない。日本人の“危機意識”は“雰囲気次第”だから、、、ねっ。それに、去年のインフルエンザ騒動みたいに、パニックにならないって意味では、報道規制も有意義かもしれない・・・・。

・・・と、こんなことは、どうでもいいのだが---バクテリアの耐性因子獲得機構は、ここでは説明しないよ---、このNDM-1産生多剤耐性菌に“効く薬”の一つといわれている、GSK 299423 に関する話題が、科学雑誌 Nature に掲載されていて、その、概説に「既存のキノロン系と全く違う」って書いてあったので、なんだろう?って調べてみた。

ところで、GSK 299423 、名前から開発中の薬で、しかも、GSK グラクソ・スミスクライン社の所有物・・・ってのがわかる。

20100824_GSK_299423.jpg← ということで、まず、GSK 299423 の構造式を見てほしい。

20100824_Ciprofloxazin.jpg← 次に、Ciprofloxazin だ。

どうだろう?  「全く違う」って感じるだろうか?

私は、「微妙には、、違う」って感じなんだけどねぇ。

ちなみに、この GSK 299423 が“仕事”している現場の姿をご覧いただこう。

20100824_THE_2_1A_CRYSTAL_STRUCTURE_OF_S_AUREUS_GYRASE_COMPLEX_WITH_GSK299423_AND_DNA.jpgDNA GYRASE(II型トポイソメラーゼ)が DNAのねじれを解消するために、まさに DNA をちょん切る現場で、GSK 299423 がその仕事を邪魔している“証拠写真”である。(ゴーストトリック / GHOST TRICK / DS 、有罪x無罪 を終わらせて、再度、逆転裁判シリーズをやっているため、ついつい、こんな表現になってしまう、ワタシ)

Ciprofloxazin と DNA と DNA GYRASE の“証拠写真”が無いのが残念だが、多分、Nature への論文投稿者が「構造も作用機構も全く異なっていて、新しいタイプの抗生物質の一例といえる」って言ってるくらいだから、結合様式もぜんぜん違うのだろう。

しかし、平面の“構造式”を見慣れた、薬学部が有機化学ばっかりやっていた世代の薬剤師には、どうも、ピンと来ないんだよ・・・・・これがっ。

あっ、遅くなったけど、その Nature の論文を引用する。

細胞:トポイソメラーゼの阻害

Nature 466, 7309 (Aug 2010)

DNAポリメラーゼやRNAポリメラーゼなどのDNA鎖に沿って移動する酵素は、自分の動いていく先に超らせんを作り出すことが多い。

これを抑制しないと、DNAが輪ゴムをねじったときのような巻き過ぎ状態になってしまうことがある。

トポイソメラーゼは、DNAをいったん切断してからつなぎ直すことで、このような変形を解消する。

トポイソメラーゼの阻害剤は、抗菌薬や抗がん剤として使われている。

こういう抗菌剤の一種であるキノロン類は1962年から臨床で使われているが、現在では多剤耐性菌の出現によって有効性が低下している。

今回、黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)由来のDNAジャイレース(II型トポイソメラーゼ)が、DNAおよび広域抗生物質のGSK299423と複合体を形成した状態の結晶構造が決定された。

この抗生物質は、フルオロキノロン類と同一の標的に結合するが、構造も作用機構も全く異なっていて、新しいタイプの抗生物質の一例といえる。

この構造からフルオロキノロン耐性を回避する機構が明らかになり、臨床的に有効な標的に対する、別の阻害機構を開発する戦略への道が開かれた。


こんな、重箱の隅のような感覚に“つっこみ”を入れるなんて、、、、って感じる人もいるだろう。でも、私というパーソナリティは、そういう感性なのだ。

こんな些細なことでも、感じ方が違う。


でも、問題なのは、「全く違う」「微妙な違い」のどちらの感じ方も出来ないことだと思う。ようするに、無関心だったり、他人に言われた後、その感覚に理由も無く共感しちゃうこと。

まぁ、GSK 299423 と Ciprofloxazin の違いには無関心でもかまわないんだけど、、、、「大阪の2幼児放置死事件で、大阪地検が、殺人容疑で逮捕された母親の元風俗店従業員下村早苗容疑者(23)の精神鑑定を実施するため、、、、」って、こんな普通の感覚をした母親を“精神鑑定”するような風潮に、違和感を感じられないと、、、、マズイよね。

と、最後のこの部分を言いたかったエントリーでした。

母親が“育児”を重荷に感じるの事を“精神異常”としてしまう世間の雰囲気、これほど怖いものはないんじゃない?

育児を“心から喜んで行える行為”とすることが、世間のコンセンサスだとしたら、こっちのほうが“病んで”いる。

2010年08月06日

悪魔は細部に宿る(Devil in the Detail)

20100806_Paradise_Lost.jpgHarvard 大学の Yuichi Taniguchi らによると、『同じ環境内での遺伝的に同一の細胞は、単細胞レベルにおいて既に、表現型の変化をもたらすような遺伝子発現の変化を示している』とのこと。。。。。


どっひゃー!!


こりゃ、えらいこっちゃ!


私は、看板を架けかえなければならないようだ。

『医薬品の処方が各個人の薬物代謝能や薬物標的分子の応答性の差異を生じる要因(遺伝子多型)を考慮せずに行われていた』ことが驚きとなる日が、もう、そこまで来ています。

なんて、遺伝子さえわかれば、簡単に実現出来る・・・・、もうすぐ、そういう時代がやってくるかのごとく、プロフィールにこんなことを書いてるのだが、、、、

事は、簡単ではなさそうだ。

似たような遺伝子を持っていても、同じような表現型にならない人がいる。まして、同一の遺伝子でも表現型に差があるとなると、、、、、(薬物代謝がそうであるかどうかは、わからないが、、、、)

Science July 30 2010, Vol.329

同じ環境内での遺伝的に同一の細胞は、単細胞レベルにおいて既に、表現型の変化をもたらすような遺伝子発現の変化を示している。

しかしながら、遺伝子の多くはその発現にどの程度のばらつきを示すのだろうか?

Taniguchiたち(p. 533; Tyagi による展望記事参照)は黄色蛍光タンパク質融合ライブラリを用いて、大腸菌におけるメッセンジャーRNA(mRNA)とタンパク質双方の単細胞大規模プロファイリングに関して報告している。

高存在量のタンパク質における或る共通の外因性のノイズと同じく、大きなゆらぎが低存在量のタンパク質において観測された。

注目すべき点は、単細胞の実験において、同じ遺伝子に対するmRNAとタンパク質のレベルは相関が無いということである。

Quantifying E. coli Proteome and Transcriptome with Single-Molecule Sensitivity in Single Cells
p. 533-538.


というわけで、、、、遺伝子がわかれば、未来が見通せる・・・・・・のは、まだまだ、先のことかもしれない。


ところで、『メチルグリオキサール』って、、、ご存知だろうか?

また、“メチル”かぁ?このブログのオーナーは、“メチル”が好きだねぇ!なんて言わないで、まぁ、聞いてくだされ。DNA のメチル化の話じゃなくって、あなたの 5 年後の糖尿病性血管障害進展を予測できるかもしれない、血中のマーカーになりうる物質のことなんだから!

メチルグリオキサールは、解糖経路などで産生されるカルボニル物質で、血管内に蓄積されやすく、酸化ストレスを増大させ血管障害を助長するといわれており、最近では高血圧、慢性腎臓病(CKD)ではメチルグリオキサールなどのカルボニル物質が増加することが報告されているとのこと。


遺伝子の“暗号”を解読する方法はわかった。 だけど、、、

その暗号文がいつ発せられるか?暗号は無事に届け先に届くのか?途中での改ざんや、届いた先で解読ミスや、誤解はないのか?

まだまだ、クリアしなきゃならない問題が、山積だ。

なら、遺伝子のネットワーク?カスケード?相互作用?なんでもいいけど、その最終形態である“表現型”、ここでは、血中メチルグリオキサール値、これに注目したほうが、合目的的っぽい。

結局、未来を見通したいんだから、その根拠は、的中度が高ければ、なんでも良い。

我々は、遺伝子を探れば、その的中度が上がる、、、、って思っていた。間違いじゃないんだけど、30億年もの歴史の中で、その“使い方”っていうか、利用の方法に紆余曲折があったんだから、単純なはずが無い。。。

そもそも、冗長なシステムであり、最終的につじつまが合っていれば良いシステムだから、合理的でスマートなはずもないんだよね。

5+10+30-28+・・・・+8=48
13-5+45+2+・・・・・-31=48

って具合に。「48」を辻褄ってことにすれば、各遺伝子の「5」とか「13」とかは、あまり意味が無いっていうか、この冗長なところが、生命のロバスト性を担保しているんだし。
 
 
 
さて、一般的に、血糖値を“高い”まま放って置くと、良い事は無い。

だけど、血糖値が高い人が100%腎透析に至ったり、足を切断し、盲目になるわけじゃない。

一次予防として、コレステロール値ほどイイカゲン※ではないが、高血糖でも『俺ちゃん、強いから平気だもんね』って人がいるのも事実。『何が強いんだよ?』って突っ込みたくなるが、よくわからないけど、そういう人がいるのは事実。(※喩えてみれば、上の加減式のなかで、「45」にだけ注目している状態だ。辻褄があってればよい。本来、その人に合った数値がある。だから逆に、下げて辻褄が合わなくなる人もいる)


どうしてか?

答えのひとつは、【病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解】【迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか】【失語の国のオペラ指揮者―神経科医が明かす脳の不思議な働き】あたりに探せる。これ読むと、なんとなくわかるかも知れないから、興味があれば、読んでもらって、、、、

御用とお急ぎの向きには、、、、結局、ヒトと他の哺乳類の“決定的な違い”は、ヒト以外は“生存競争に不利”な遺伝子は淘汰されるが、ヒトではそうではない・・・ということに尽きる。

疾患モデルとして“ネズミちゃん”は、ヒトで言えば、誰か特定のヒトのモデルにはなり得るけど、万人のモデルとはなりえない、きわめて特殊なモデルということになる。まぁ、疾患によっては、このモデルで、万人のヒトの代わりを務める事もあるんだろうけど。(クローナルなネズミちゃんでも、上の単細胞のような理由で違いがあり、結果が100%にならないんだから・・・ねっ)

で、特に、生活習慣病と言われる病気は、生殖年齢を迎えた時に、まだ、その脆弱性が顕在していない。(遺伝子を特定しづらいし、影響が複雑)

そういう意味で、糖尿病において、5年後の状態が予測できる指標として、メチルグリオキサールは“有望”っていえるのではないだろうか?そして、同じ血管系の疾患を予防するための“コレステロール値”の代替にもなりえるかもしれない。

っていうか、既成概念にとらわれない、柔軟な発想が、必要ってことだね。


今、現在、現実的にも“腹八分目(最近は六分目と日野原先生は言ってる)”と規則正しい生活習慣により、ほとんどの(ジェネティック、エピジェネティックな異常が原因の場合を除く)糖尿病は治療できるといっても良い。

ただし、《腹八分目と規則正しい生活習慣》は、「言うは易し、行うは難し」だが。

でも、「行うは難し」というのは、本当なのだろうか? 何も大相撲 白鳳関 に“戦いを挑んで勝て”と言ってる訳じゃないんだから、、、、ねぇ?

日本語から「克己心」という言葉が失われてしまった事と、なにか、関係があるのかもしれない。

最近、聞かないからねぇ「克己心」。

そういえば、日経メディカルオンライン 津久井宏行 氏のブログで、最近の若者男子は、本当に草食系だった・・・・と。若い奴らだけじゃなく、中年も壮年も、水が低いほうへ流れるように生きているって感じる。そのくせ、プライドだけは高かったりするから、、(職にもあぶれる・・・おっと、これを言っちゃイケナイのかな?)、、


まず、出来ない理由を探す・・・のかもしれない。


話は、戻るが、その“規則正しい生活がイイ”っていう根拠が、『 Nature 』にも書いてあった。

そして、“文化的”な生活を獲得する前、ヒトの生活は、規則正しかった。

糖尿病にかかわる生物時計

Nature 466, 7306 (Jul 2010)

摂食時には膵島がインスリンを分泌してグルコースの恒常性を維持するが、糖尿病患者ではこの律動的な過程に障害が生じている。

マウスを用いた実験から、膵島は独自の生物時計をもち、睡眠-覚醒サイクルにインスリン分泌を協調させていることが今回明らかにされた。

この過程には、転写因子CLOCKおよびBMAL1が極めて重要な役割を果たしており、ClockおよびBmal1遺伝子に欠陥のあるマウスは、低インスリン血症および糖尿病を発症する。

この研究は、膵β細胞で局所組織の時計が概日リズムと代謝シグナルを統合していることを立証しており、概日リズムの解析が、代謝性疾患の解明をさらに進めるのにも、また2型糖尿病のような代謝性疾患の治療にも極めて重要であることを示唆している。

Letters to Nature p.627
News and Views p.571


以前、厚労省が「ちょっと太り気味がイイ、健康で長生き」って言ってることに対して、「バカ、そんなわきゃ、ねぇだろっ!」って批判を書いたけど、やっぱりっていうか、当然っていうか、、、、こんなのも、出た。アメリカで小太りを否定するコメントが。
高齢者の意図的な減量は有効 --- 過去の有害説を否定

〔米ノースカロライナ州ウィンストンセーラム〕高齢者の体重減少は死亡リスクの上昇をもたらすと広く認識されているが、ウェイクフォレスト大学バプテスト医療センター(ウィンストンセーラム)のM. Kyla Shea博士らは「この説には根拠がない」と初めて否定の意を示した。詳細はJournal of Gerontology:Series A(2010; 65A: 519-525)に発表された。


意図的減量で死亡率半減

 今回の研究以前に実施された、死亡率と体重減少との関連に注目した研究では、体重減少の背景にある種々の原因を見落としていた。そのためShea博士らは、より厳密なランダム化比較試験のデータを用いることにより、積極的に減量に取り組む高齢者では死亡リスクが上昇するという概念が正しいかどうか検討した。

 今回の研究は、膝関節炎を有する高齢地域住民318例(平均年齢69±6歳、平均BMI 34±5、72%が女性)のデータを再解析したもので、被験者は“減量と身体活動が身体機能に及ぼす効果”を評価する目的で1990年代後期に行われた臨床試験の登録者である。初期の減量介入は96~98年の18か月間にわたり実施され、その期間に介入群の159例は積極的な減量を行い、体重は平均4.8kg減少した。一方、非介入群の159例では平均1.4kgの減少に留まった。

 同博士らは被験者の8年後の生存状況を調べた。

 その結果、減量を目的に身体活動あるいは食事を改善した介入群では15例死亡し、減量の努力をしなかった非介入群の30例と比べ、死亡数は半数であった。

 同博士は「これはきわめて興味深い知見である。このデータは、高齢者の肥満関連の健康問題に取り組む際には、減量の推奨について懸念する必要がないことを示唆している」と述べている。


疫学研究からの誤解

 この知見は、ベテランの老人病学者らにとって予期せぬものだった。

 同大学Sticht加齢センターのStephen B. Kritchevsky所長は「医学界は長年にわたり、体重が減少した高齢者で死亡率が高いことを示す多数の疫学研究を支持してきた。そのため、高齢者では体重減少が予後不良を示す徴候としてしか認識されていなかった」とし、「これまで用いられてきたデータでは、体重減少の原因と減量の効果を分けて考えていなかった。つまり過去のデータで検討された体重減少は、他の健康問題によって生じた結果であり、意図的な減量の成果ではなかったと考えられる」と説明している。

 同所長は、今回の被験者に、高齢者でよく見られるさまざまな健康問題が認められたことに言及。「対象の高齢者は地域社会で生活し、外出もでき、近隣の人々と同じように日常生活を送っている。研究開始時、全例が過体重で、しかも老化の徴候が認められた」と述べている。


高血圧や高コレステロール、高空腹時血糖値などを改善

 Shea博士らが対象のうち最高齢者群(75歳以上)で減量の効果を評価したところ、体重が減少した若い被験者群(60歳以上)と同等の死亡率低減効果が認められたという。

 Kritchevsky所長は「高齢者は減量により、高血圧や高コレステロール、高空腹時血糖値など複数の健康問題が改善されるようだ。しかし多くの医師らは、(以前の研究で示されている)死亡リスクを懸念して、高齢者に減量を勧めることに抵抗を感じている」との懸念を示している。

 同所長は、今回の研究について「高齢者で蔓延する肥満に取り組むうえで、障壁ともなる数々の根拠のない懸念を解消するものだ」と見ている。

 さらに「比較的規模の小さな研究であったため、ここで得られた結果を他の臨床試験でも確認する必要があるが、それでも意図的な減量が過度の死亡リスクにつながるわけではなく、むしろ死亡率を低下させうることを示すには十分である」と述べている。

 今回の研究は米国立加齢研究所(NIA)の助成を受けた。


ほおぉぉら、ざまあみろ・・・だ。

だけど、日本のお役所とか、マスコミとか、、、ほんとにひどいよね。


まさに、「悪魔はやさしさに宿る」・・・・ってヤツだ。

公に言葉を発する時は、八方美人、誰にとっても傷つかない言葉を選ぼうとする日本人特有の“やさしさ”なんだろうね。

でも、完全に裏目ってる。“悪魔の証明”が難しいのをいいことに「ほら、この人コレステロール値が高かったから、、、」ってやるインチキエビデンスを根拠に薬漬けにしたり、肥満を容認するようなコメント出したり、、、、って。

タバコが体に悪いのは、周知の事実。なのに課税して抑止しようともしない。アメリカじゃ加糖飲料にさえ、課税されそうだってのに、そんなことも議論すらされない。

そのくせ、使いみちを医療福祉に限定して、消費税上げる・・・・だってさ。


---バカじゃん---
 
 
 
来週から夏休みの私は、毎度のことですがパソコンとは離れた生活を送ります。

というわけで、お盆前のエントリーは、これで最後です。

イタリアで、1ヶ月の休暇を満喫して、帰ってくるのは、涼しくなってからだと思います。それまで、皆さん、さようなら。

2010年08月02日

異状死体

20100802_noblesse_oblige.jpg医師の届出義務の中で、医師法第21条によって、24時間以内に報告しなきゃならないものに、異状死体がある。(感染症などでは即時の場合もある)

言葉自体は耳にすることもあるだろうけど、ほとんどの方が、この“異状死体”の定義は知らないと思うし“何か”を感じるんじゃないかな。私も知らなかったし“何かある”って感じた。MT(Medical Tribune)Pro のコンテンツ『THE 判例』でも現役医師たちも、知らない方が多数を占めていた。

この『THE 判例』で、『異状死体は「外表面の明白な異状」、これで決まりなのです』と、医師で弁護士の田邉昇氏が解説していた。

これなら、わかり易い・・・・・・・。って、私にわかっても、ショーガナイんだけど。。。かなり、印象に残った。

いやいや、びっくりしたのは、田邉昇氏の解説に書いてあった、、、、

『そもそも医師法第21条1項は黙秘権(憲法第38条1項)を侵害するとして違憲説が有力で〔高山佳奈子(京都大学刑法教授),「異状死体の届出義務」医療判例百選(有斐閣)8ページ,佐伯仁志(東京大学刑法教授:異状死体の届出と黙秘権,ジュリスト 2003; 1249: 77〕,違憲説を回避するために東京高裁,最高裁は合憲限定解釈として,外表面の異状のみを異状死とする定義を採用したのです』

って、部分だっ!

『THE 判例』では、“異状死体”の定義を、東京都立広尾病院事件の最高裁までの経緯を例に出し解説しているのだが、途中でこの“違憲”の文字に出くわしてから、、、、

「えっ??なになに?なんのこと?????」

って感じで、興味津々、読み進めた、、、、、、


日本国憲法第38条には、、、
1.何人も,自己に不利益な供述を強要されない。
2.強制,拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は,これを証拠とすることができない。
3.何人も,自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には,有罪とされ,又は刑罰を科せられない。
とある。

医師法第21条の届出義務は、医療ミスがあったとしても、それが直接の死因と判断できないなら、自分の不利益(医師法第21条の届出義務違反は刑事罰がある)を公にすることは強制されないという憲法第38条に反する・・・ということらしい。。。。


う~む、なるほど、なるほど。


ん?じゃ、医療ミスが原因で患者が死んだ場合は、どうなるんだ?


あっ!業務上過失致死、、、かぁ。でも、業務上過失致死って、この場合、誰かが捜査機関に言わなきゃ、事件にならないよなぁ。内部告発?遺族の告訴?

どっちにしても、当事者の通告は無くっていいんだぁ・・・・・って、ほんとか?

2001年、外科系13学会は、『異状死体に当たらなくても倫理上、医療過誤があれば警察に届けるべき』としたらしい。

っていうか、こんなこと、「当然じゃん」「声明として出すほどのものか?」って感じたんだけど、これが、法律の専門家からみると、自ら不利益になることは言う必要は無いという“黙秘権”の侵害ってことになるらしい。。。。


だから、声明として出すほどのものなんだぁ、、、、う~む、奥が深いねぇ。
 
 
 
逆転裁判のチームが作った“Ghost Trick”クリア後、時間の流れのロジックに釈然としないところがあったので、ゲームサイトの掲示板を ROM してたら、『有罪X無罪』の評判が、やたらに良かった。

なんだ、じゃ、一丁、やってみるかぁ・・・・・って。

で、やってみたら、、、、、『有罪X無罪』、、、、面白い。。。。本物っぽい。。。。こうなると、“っポイ”が物足りなくなってくる。とはいっても、本格的に法律を勉強したいってほどじゃない。日常生活の中で“法律”に関する“感度”が上がっているって幹事かな、、、、

っなわけで、、、、、、MT(Medical Tribune)Proの『THE 判例』を読み返して、再発見したわけだ。(同じものを読んでも、その時の環境・状況により印象に残るものが違う)


もう一つ気づいたのは、、、

マスコミがよく言う“法の下の平等”が、いかに“大衆迎合した弱者視点”であるかが、浮き彫りにされるってこと。

私自身、マスコミのこの手のやり方は“大嫌い”だし、事あるごとにマスコミを“こき下ろして”いるのだが、そんな私自身も、2001年の外科系13学会の声明に「当然じゃん」「声明として出すほどのものか?」って感じるほど、洗脳されてしまっていたのだ。

いわゆる、庶民=弱者の視点を。

職業として医師を選択している人のなかには、生まれながらに“貴族”のような生活をしてきた人もいるだろうが、いわゆる、“普通の家庭”で育った人も多い。多分、医師の中にも、2001年の外科系13学会の声明に「当然じゃん」「声明として出すほどのものか?」って感じた人もいると思う。

これを“正義感”とか“倫理観”と言っていいのか、私にはわからないが、このような“感覚”は、生まれ落ちて成長する過程で、“脳”が獲得する機能なのだろう。

多分、言語などと同様に、成長のある段階まで、機能に“窓”が開いており、臨界点(言語では思春期といわれている)を過ぎると、可塑性が失われる・・・・・。(オウムなどは薬物を用いて、それをやってのけたけど・・・)

そんな“脳”の機能が形成されている私が、、、、、、裁判員になったら、、、、


実際、ゲーム『有罪X無罪』でやってしまった事なのだが、、、、

罪状認否で被告人は否認している。でも、印象は限りなく“黒”。状況も被告人に天誅を食らわせたい・・・・・。

私は、見事に、裁判を“冤罪”で終わらせてしまった。。。。。。

裁判を最初からやり直して、被告人の“言えずにいた”新しい真実にまでたどり着き、それを暴いてみれば、、、、、、、。


秋葉原通り魔事件のような犯人が明らかな場合、私は、今までブログで書いてきたように、感情で判断を下すことに躊躇しない。。。。当然、死刑だ。死ぬまで足枷付けて東京駅の便所掃除でもイイケド。

・・・・・・が、事件が密室で起こっているような、罪状認否が“微妙”な場合、私の脳が発火する“感情”すなわち“正義感”“倫理観”で判断を下すのは、、、、医療事故などは、ほとんど密室、、、、、

結局、強い者(何が強いんだか、はっきりと言葉に出来ないけど)に対する漠然とした感情が、いわゆる“庶民”の中に植えつけられている、、、、、事を実感したわけだ。

これを、ノブレス・オブリージュと言ってしまえば、簡単だけど、法の下の平等となったら、、、、、やっぱり、話はちがうよなっ、、、、って話。克己心として、自らの“ノブレス・オブリージュ”ならいいんだけど、第三者が強い者に対して言うのは、、、、ちょっと、、、、かっこ悪い。

(上のリムジンの写真を見て何も感じなかったり、「ざまあみろ」って感じたら、あなたは、マスコミに洗脳された“りっぱな庶民”です)

2010年07月27日

辻元清美氏のように

20100727_Real_Japan.jpg社民党の辻元清美氏が、離党の意向を示したとの事。「護憲や米軍基地問題を前面に掲げる福島氏の政治手法では、社民党の党勢維持は難しいと判断した」らしい。

やっと、日本にとって不利益しか見えてこない建前を捨てて、本音で政治を志すことになったようだ。

医療界も、そろそろ辻元氏を見習う時期が来てるんじゃない?

いやいや、いつも言ってるように、日本国中にお金が溢れて、使いたい放題なら、なんにも言わないんだけど、お金、無いじゃん!?

だったら、安易に増税なんていわないで、内部にメスを入れなきゃ!


★「要するに、真の一次予防としての利益は、あるとしても、非常に小さい」


何のことかって?決まってるでしょ!コレステロール値だけでスタチン系薬剤を服用させる意義のことだよ。LDLコレステロール値を下げたって、死ぬやつは死ぬ。LDLコレステロール値単独では、なんの指標にもならないってことだよ。

徳光和夫は、無知ゆえに踊らされているだけなんだろうけど、製薬メーカーは、罪の意識を持つべきだぞ!

私は、この事に関しては、現場から、しつこく、何度も発信していくつもりなので、ヨロシク!!

【Journal Watch Online日本語版】

No. 10-0715-03

『statin系薬物と心疾患リスクの高い患者の一次予防』

Statins and Primary Prevention for Patients at High Risk for Heart Disease

2010 July 15

statin系薬物は、既知の心血管疾患(cardiovascular disease:CVD)を有する患者の全死因死亡率に明らかに利益をもたらし、CVDリスクは高いがCVDを有していない患者の一次予防として広く処方されている。2つの研究チームが、この診療の根拠を調べた。

欧州の研究者らは、11件のランダム化対照試験で得られた、既知のCVDを有していない高リスク患者の結果(実際に試験を行った研究者が発表していないデータを含む)を統合し、65,000人の患者(年齢範囲51~75歳)の全死因死亡率を評価した。平均で4年近いフォローアップ期間中、LDLコレステロール値の平均は、プラセボ群で134mg/dL、statin群で94mg/dLであった。2,800件近くの死亡が発生し、治療群のほうが約100件少なく、リスク比は0.91(治療10,000人年あたり約7件の死亡の減少)であったが、その差は有意ではなかった(95%信頼区間0.83~1.01)。

関連論文では、既知のCVDは有していないが高感度C反応性蛋白(high-sensitivity C-reactive protein:hsCRP)値を有する患者を対象としたrosuvastatinによる一次予防から有意な利益が得られることを示したJUPITER試験(JW Gen Med Dec 29 2008)について、複数の著者らが批判した。著者らの主な批評内容を以下に述べる。(1)主要な臨床イベントがわずかしか起きていない段階で試験を早期に中止させることを正当化する理由として、いくつかの副次的アウトカムが使われた。(2)試験が中止されたときの全死因死亡率曲線が一見収束しているように見え、フォローアップ期間がもっと長ければ群間差が排除されていたことを示唆している。(3)試験を早期中止した時点で、CVDによる死亡率が予想外に低く、また心筋梗塞による致死率が予想外に低かったことから、未検出のバイアスが存在した可能性が示唆される。(4)試験実施の際に製薬企業が相当に関与していた。(5)JUPITER試験の研究者14人のうち9人は利害関係者であった可能性がある。

コメント:当然ならが、これらの研究は論争の嵐を呼んだ。一方のエディトリアル執筆者らは、JUPITER論争の総括として、hsCRP値の低い患者が試験に含まれていなかったため、statin系薬物による一次予防におけるhsCRPの価値については何も言えず、研究を早期に中止することは見かけ上の利益を誇張し、研究の潜在的な害を最小化する傾向にあり、われわれは、これらの結果に気をとられて既知のリスクファクターと生活習慣の改善による利益を重視することを忘れるべきではないと述べている。もう一方のエディトリアル執筆者らは、この問題を総括して、「要するに、真の一次予防としての利益は、あるとしても、非常に小さい」と述べている。

— Thomas L. Schwenk, MD

Published in Journal Watch General Medicine July 15, 2010

Citation(s):

Ray KK et al. Statins and all-cause mortality in high-risk primary prevention: A meta-analysis of 11 randomized controlled trials involving 65 229 participants. Arch Intern Med 2010 Jun 28; 170:1024. (http://dx.doi.org/10.1001/archinternmed.2010.182)
Original article (Subscription may be required)
Medline abstract (Free)

de Lorgeril M et al. Cholesterol lowering, cardiovascular diseases, and the rosuvastatin-JUPITER controversy: A critical reappraisal. Arch Intern Med 2010 Jun 28; 170:1032. (http://dx.doi.org/10.1001/archinternmed.2010.184)
Original article (Subscription may be required)
Medline abstract (Free)

Kaul S et al. By Jove! What is a clinician to make of JUPITER? Arch Intern Med 2010 Jun 28; 170:1073. (http://dx.doi.org/10.1001/archinternmed.2010.189)
Original article (Subscription may be required)
Medline abstract (Free)

Green LA. Cholesterol-lowering therapy for primary prevention: Still much we don't know. Arch Intern Med 2010 Jun 28; 170:1007. (http://dx.doi.org/10.1001/archinternmed.2010.168)
Original article (Subscription may be required)
Medline abstract (Free)


さて、医療業界にメスとは言っても、私の把握している範囲なんて、微々たるもの・・・。でも、多分、それは、ほとんどの方にも言えることではないだろうか?

よく、医療崩壊なんて言葉を耳にするけど、現場にいる私にとって、はたして何処が崩壊なんだろう?って、感じてる。『日本の医療の特徴』でも書いたけど、「医師が不足している」って言われても、みんながコレだけの回数、通院していれば、足りなくもなるわなぁ・・・って。

日本の医療現場では「今日はお薬だけ・・・」みたいに診察を受けていない受診をどう捉えるかによって、医師の実働時間の評価が変わってしまう。だから、OECD諸国なみに、人口1,000人当たりの医師数・・・云々なんてものに、意味があるのかっ?って事も。

また、日本の皆保険制度の良いところは“フリーアクセス”だ、それが証拠にアメリカでもオバマ大統領が導入したなんて言う人もいるけど、「医療保険制度がアメリカの国際競争力を下げている」「だから、医療改革なんだ」って知ってる人は少ない。

それは、、例えば、自動車メーカーの GM は福利厚生の一環で従業員や退職者に医療費を給付しているのだが、この為、自動車1台の原価に医療費が1600ドル(約16万円)が上乗せされているということだ。これが、トヨタではわずか100ドル(約1万円)だと。

日本人の多くは、日本車は性能がいいからアメリカで売れると思ってるけど、実は、単純な理由じゃないわけだ。

今朝の朝刊に「日本人平均寿命、女性86・44歳 男性79・59歳…4年連続延びる」なんて見出しが躍ってたけれど、、、、、これが、国民皆保険のおかげ、っていうなら、単に“延命”されて、平均値をあげているだけの人は除外して計算すべきだな。

例えば、「ひとりで旅行ができる」平均年齢・・・とか。

平均寿命の上位国を見てみると、、、、どうみても、日本のように“薬漬けで積極的に生かしている”じゃなく、楽しく生きてたら、結果的に長生きしちゃった・・・みたいに感じるからねぇ・・・。


単純に、形だけを真似する・・・・・それが日本人の良いところでもあり、悪いところでもあったわけだが、、、、、そろそろ、日本独自の制度や価値基準の議論を初めてもいいんじゃないかなぁ。

「一番じゃなきゃ、いけないんですか?」は、平均寿命にこそ、向けられる言葉なんじゃないの?

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