妙案なのか?
今朝の読売新聞朝刊に、あの『司法のしゃべりすぎ』の著者が、人事評価への不服申立書を地裁に提出。「判決文の短さを理由にマイナス評価をするのは、裁判官の独立を定めた憲法に反する」とあった。
日本語に限らず、文章を長くすることの意味の一つに“和らげる効果”がある事が知られている。死刑判決を言い渡し、『そんじゃね』じゃ、あまりにも言葉が“キツ”過ぎる。それを和らげる為に、長々と喋る訳だ。
「No!」よりも、「No I don’t」の方が、“当たり”が優しいのと同様だ。
(デメリットとして、言いたい事が“ボケ”ることが挙げられる)
そして、これにより、被告、弁護側、検察側の三者とも納得できる?ってわけなのだ。
だから、『長々喋ってやれない君は、評価、低い』って事なのだろう。。。。(裁判官の“個人的な感想”を述べる事が良い事だとは思わないのだが・・・)
それはさて置き、何はともあれ、司法の内情が一般の人の目に曝されるのは良い事だ。
いままでが“聖域”過ぎたんだと思う。医療の世界なんか、もっと早くから内情が暴露されているのだから・・・。
さて、この一部の“エライ人が”が力を揮っている構図は、ユダヤ教のエライ人が『立法がどうの、モーセがどうの』と理屈・知識をこねくり回し、ユダヤ教はエライ人の為の、エライ人による、エライ人の宗教であり、一般庶民は“蚊帳の外”だった状況と似ている。
宗教の世界では『これじゃイカン』と、キリストさんが一般庶民による一般庶民の為の宗教を旗揚げした訳だ。キリストさんは難しい言葉は一切用いず(韜晦的な行為だったのかもしれないが、でも目立っちゃってた)ユダヤ教の教えを垂れ、誰にでも受け入れられた。(世界中に広まったのはパウロがいたからという事は置いといて・・・)
宗教はもちろん、医療にしても司法にしても、本来、一般庶民の為にあるべきものだ。
宗教の場合はキリストさんがどえらい事をやってくれたから庶民のものになった訳だ。
でも、医療・司法は簡単じゃない。その有り様はどういうものが理想なのかは、私なんぞには、全く想像も出来ないが、一般庶民も参加できるという点においてのみ、司法の場ではもうすぐ“陪審員”制度が始ろうとしている。
というわけで、映画『12人の怒れる男』は観ておいた方が良いと思う。。。。が、、、
あれを観ると『果たして、日本人にあれほどの話し合いが出来るのだろうか?』と思ってしまう。まして、情に流されやすい日本人に冷静な判断が出来るのだろうか??
尤も、自分が裁かれる場合には“情に訴える”手段が有効なのだから、なんとも言えないのだが。
医療の現場では、やはり、来春の改正の目玉『保険免責』が挙げられるだろう。(私が目玉だと思っているだけかもしれないけど、医療界のキリストかもよ)
聞いたところでは、100点以下の軽医療には保険が効かない、すなわち、自費だ。
そもそも、私は、医療はその人(患者)の満足を充足する方向に向かうのべきものだと思っている。(サービス業なんだから当たり前だけど)
結局、治るものは治るし、治らないものは治らない・・・これが現実(現代医学の限界)なんだから、あとは、どれだけ本人が満足できるかにかかっている。
であれば、健康保険には馴染まない。そう、自己負担10割、自費が望ましいのだ。
そうする事で、患者側に『医療の中心は私だ』という意識が芽生える。そう、『こんなんじゃ、ダメ。満足できないよ』って。
今までは『健康保険なんだから、こんなもんでしょ』との意識が、双方にあった?と思うが、そんな状況に楔を打ち込んだ改正になるとよんでいる。これは、単なる突破口に過ぎないのだと。
そして、それ(自費分)がだんだんと増えてくる・・・・シナリオ。例えば免責疾患なんてカテゴリーが出来たりしてね!!
ところで、現代医療はかなりの病気を“治せる”として、そのデータを作り上げて世に公表してきた。医療の供給側は、少しでも自分の手で病気を治せるのだと気負っていたし、責任感や義務感を感じていたのだから仕方が無い。そして、医療の受け手はそのデータを信用しちゃう。(病院にいけば病気は治ると思っちゃう訳だ)
でも、現実は、、、、そのデータの元になる実験対照がすでにバイアスがかかっている(サンプリングバイアス)。実態は、病気好き・病院好きで、結果が良好な人々しかサンプルされていないという事だ。自分の思い通りにならない患者は別な病院に行っちゃうし、バタバタしている内に自然治癒しちゃうするものは治癒しちゃう。入院してたって死んじゃう人は死んじゃう。
このへんの事情は『精神科医とは何者であるか』頼藤和寛著・PHP研究所 を読むと笑えるくらい良く解ると思う。面白いよ!!(おっと余談)
これからの医療では、病気になる・ならない、治る・治らないが、そもそもその患者が持っている“遺伝子”で決まっていくと考えるわけだから、患者満足度が問題になる訳だ。
『遺伝子って何だよ??』ってわかったようなわかんないような・・・・。現在の医療費算定の構造では、いちいち説明している時間も無いし、説明してたら赤字になっちゃう。
さらに、遺伝子型が同じなら、治療法についての意義を説明してもしなくても、結果は変わらない。
だとすれば、この薬を服用する意義、腹を切って臓器を摘出する意義を説明することは、本人の満足度だけに関わる問題だと言える。
このような“満足度”に対して健康保険で給付する事に正当性があるのか?財源が無尽蔵にあるなら、100%給付で、文句を言う奴も居ないだろうけど。
医療提供者側の優劣は、健康保険医療でやるんだったら、手術の技術や治療成績だけで評価されるべきだと思う。でも病院の評価はほとんどの場合、個人的な患者の満足度が入っている。
結局、今の医療は、分けて考えなきゃならない事を、渾然一体として扱っちゃっているから、問題が山積みするのだ。
個人の満足は定量できないのだから、これは保険に馴染まないというわけ。
■医療を受けるに当たり、貧富の差が反映するような制度はよろしくない
ということで、医師の技術料にも差を付けられないでいるのだが、先進国でこのような差の無い制度を採りいれているのは日本だけだ。これにも、結果の平等を求める気持ちが働いているのだろう。人間性善説を取る日本人のくせに、医療提供者側の善意(金が無くても診る)を信用していない。
で、このような医療構造改革は、結局、誰も悪者にならず、憎まれ役を演じず、いつのまにかそうなっていたという流れが好きな日本には合っているのだと思う。医師の技術料に差を付けられない制度なら、それ以外(自費の部分)でその差を埋めるしかない。これが制度(法律)でなく、利用者(患者=民意)の選択に任せられるのなら異を唱える人はいないだろうからね。
この改正案、、、日本的決着をみられる巧いやり方だと思うんだけどねぇ!!


アガメムノンは、ご存知、トロイア戦争のギリシャ側の総大将だ。ヘレネをトロイアのスケコマシ(トロイア王子パリス)に寝取られたまま、黙っているわけには行かない。そこで、トロイアに戦争を仕掛ける。