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ああ、いっぺん言うてみたかった アーカイブ

2010年01月13日

医薬業界における今世紀最大のスキャンダル

20100113_scandal.jpg 2009年12月31日、欧州議会の保健衛生委員会(Health Committee)は、昨年夏から豚インフルエンザが流行した際、欧米の製薬会社が、ワクチンや関連医薬品の売り上げを伸ばすため、国連のWHO(世界保健機構)や国際医学界などに影響力を行使し、インフルエンザに対する危機感を世界的に扇動した疑いがあるとして、調査を開始することを全会一致で決議したそうだ。

同委員会の委員長 Wolfgang Wodarg 氏(ドイツ議員 医師)は、この問題について「医薬業界における今世紀最大のスキャンダルの一つだ」と述べている。

まぬけな日本の専門家達やマスコミも、まんまと操られたってことだね。冷静な医療従事者が、いくら『大袈裟すぎる。恐がるな』って言っても、操られた(名前を売りたい)専門家達がNHKや大手新聞で得意満面に恐怖を煽るもんだから、取り付く縞もない。


マスコミの無誤謬を疑わない「ジャーナリズム信奉者」は、いまだ健在ってことだ。。。


ただ、日本が欧米と違うところは、日本はどうでもいい事はすぐに謝り反省するくせに、事が大きくなりすぎると、自分たちの間違いを素直に認めなくなるところだ。

このことは、何処かで目にしたのだが、言語に関係するのかも知れない。くるまの雑誌だったかなぁ?読んだの。。。

日本語には、『すみません』とか『ゴメン』みたいな、軽い謝り言葉が存在するんだけど、ドイツ語には存在しないって内容のもの。

よっぽどの事が無いと謝らないのがドイツ人。だけど、事が重大なら深謝する。軽々しく謝れるけど、重大なことには腰が引ける日本人って事なんだろう。(戦争、戦後に関しては当てはまりません。っていうか、「それみたことか、ドイツは謝ってるのに日本は・・・」って単純な輩がいるから、釘を刺しときます)

で、欧州議会の保健衛生委員会が総括しても、日本のマスコミは黙殺するし、専門家たちは他人事を決め込むんだろうなぁ。インフルエンザ騒動に加担した医師や専門家(当然、薬剤師も含む)は、深く反省すべきだな(スケベ心があったのはバレバレだよ)。衛生材料(マスク等)分野でも「ウイルス○%カット」とかやっている。こんなインチキ商法も厳しく取り締まって欲しいもんだ。。。(って、誰が取り締まるんだろう?誰もいないや・・・日本には)


話は変わるが、言葉の違い、、、ドイツは上記の如くなんだけど、フランスは全く違って、日本に近いらしい。すぐ気軽に謝る。そして、英語の発音が下手なんだとか。日本と似てる。。。。

この件については、昔から気になっていたことがある。それは、抗生物質の使い方。イギリスでは、こんなことをやっていた頃、フランス人は、日本人同様、抗生物質が大好きで、大量に消費していたんだと聞いていた。

えっえ~、日本人の無知ぶりを曝け出すのに、ヨーロッパの知的な国民性をダシに使えないジャン。それに、フランス人、イメージと違って、馬鹿っぷりが、ちよっと、ショック・・・なんて。

欧米コンプレックスのある私にとって、憧れの対象が、馬鹿だったりすると、がっかりしてしまう。やめて!そんな現実、突きつけないでっ!!って。(笑)

(笑)といえば、FMラヂオから流れてくる、au のコマーシャルには笑った。

「ヒロシ元気ですか?大学生活には慣れましたか?(笑)」みたいな留守電に、大学生の息子が、アタフタしながら、「なんだよぉ“カッコワライ”って」なんて突っ込みながら聞いているヤツ。お母さんからの“合コンのタブー”も、アタフタしながら聞いている。

あの、お母さんのボケっぷり、なかなかのものだ。最近のバカ親(幼稚)と違って、話し方も落ち着いているんだけど、その内容の幼稚さとのギャップが、たまらない。コマーシャル作った人は、かなりのセンスの持ち主だと見た!!


さて、そのフランス人だが、若者に車離れが起こっているのも、日本と似ているのだそうだ。もっとも、時期は日本より早かったらしいが。。。女性をものにするのに、車は使わない理由が、現代の日本の若者と同じ理由なのかどうかは、よくわからないけど。

でも、草食系って理由じゃないのは、「今年は草食系じゃなくって、○○系」なんてキャッチコピーがポータルサイトに踊っている事からも、よく、わかる。

騙すの、簡単なんだよね。日本人って。そういえば、こんなのも、ニュースになっていた。

「ゲーム脳」など脳研究で俗説、倫理指針を改定…神経科学学会

2010年1月9日 提供:読売新聞

 脳機能を画像化する装置の発展で、脳に関する非科学的な俗説が広まっていることから、日本神経科学学会(津本忠治会長)は8日、新たに研究者が守るべき注意点を盛り込んだ研究倫理指針を発表した。

 指針は2001年に策定、昨年12月、大幅に改定した。近赤外光脳計測装置(NIRS)など、人体を傷つけない装置の開発で、工学、文学など異分野の研究者が脳科学に参入した。しかし、ゲームに熱中すると、脳の前頭前野の働きが低下する「ゲーム脳」になるといった研究などが、科学的検証を受けずに流布。発表時には科学的根拠を明確にするよう求めた。また、実験で被験者へのインフォームド・コンセント(説明と同意)が十分ではない研究者が目立つとして、人権への配慮を徹底すべきだと指摘した。指針は、学会のホームページ(http://www.jnss.org/)で公表している。

「ゲーム脳」ってのが、ほんとに存在するって思っていたあなた!あなたは、科学的常識が欠如しており、インフルエンザに限らず、非常に騙されやすくなっています。どうか、お気をつけください!!

2010年01月06日

マーガリンは危ないと聞いたからバターに代えた

20100106_ROME_republican.jpgタイトルは、わかる人には笑える話だけど、意味がわからず大真面目な人の方が多いのも現実。

どんなに適切で適宜な情報も、猫に小判な状態なのが、現代社会。情報量は多いのに、玉が石に紛れて見えてこないのは、悪貨は良貨を駆逐する現象なのか?

川の流れはダムを作れば止められるけど、穴が開いてちゃ止められない。川のダムに穴が開いてりゃずくわかるけど、現実社会の穴は何処に開いてるのかわかりゃしない。


ローマにカエサルやキケロが登場する100年ほど前、そう、現代はグラックス兄弟の時代に似ているって感じる。歴史好きな人には『内乱の一世紀』の始まりの時だ。

グラックス兄が始めた庶民へのバラマキ政策は、どのような答えを出したのだろう?これが元で撲殺された兄に代わって、弟が活躍するまで約10年。さらに過激になった政策の果ては??

現代では、撲殺される前にさっさと辞めちゃう大臣や責任の所在を不明瞭にする為に最大限の努力を惜しまない人達が、政治を行っているので、歴史は参考にならない。。。

無知な大衆とは政治上の目的で為される事でも、私利私欲に駆られての事であると思い込むのが好きな人種である。

そして、現代にも大量に無知は存在する。。。。


Nature Neuroscience, 2009年12月21日 に掲載された“ヒトの不平等感を感じる脳”に関する論文は、それまで、不平等感の個人差を前頭前野に求めていたのを否定するものだった。

扁桃体の社会化 -- Socializing the amygdala

不平等感に関連して現れる性格の違いは、情動の自動処理に重要な脳領域である扁桃体の活動を変化させる。Nature Neuroscience(電子版)に発表される研究は、そうした性格の違いは前頭前野の違いが原因であると示唆した以前の見解を否定している。

人が他人と富を分け合うのを好む度合いは、確固とした性格特性である。向社会的な人は、概して他人に利益を与えるように働き、自分の富を最大にしたいと思いながら他人も同じ富をもつことを望む。しかし個人主義者は、自分の富を最大にしたいと思う一方、他人が入手できる富の量には無頓着である。

人がこの種の決断に至る方法に関しては議論が続いているが、自動性の「ボトムアップ」反応は自分の報酬しか考慮せず、この利己的な衝動を抑えるためには「トップダウン」型の制御(前頭前野で働くと考えられている)が必要であるという1つの説がある。

春野雅彦(玉川大学)とC Frithは、向社会的な人と個人主義の人について、2つの報酬(自分と相手に1つずつ)に対する欲求に脳がどう応答するかを観察し、分配課題を行うときの「トップダウン」処理と「ボトムアップ」処理という考えを検討した。向社会的な人は不公平なシナリオを好まず、それ相応に応答した一方、個人主義者の選択は物事の公平性には左右されなかった。研究チームは、この2群の人々で扁桃体の活動が異なることに気づいた。向社会的な人では、報酬の不平等性の増加と扁桃体の活動の増大が相関していた。この結果から、不平等性に対する嫌悪という向社会性の特徴は扁桃体の活動と結びついたもので、利己的な衝動に対する「トップダウン」制御によって決まるのではないと結論している。


キャンディーを貰った時『あいつの方が一個多い』と言って、不満をぶちまける子供と、無頓着な子供がいることを、大人たちは知っていた。

この性格の違いが、キャンディーを貰った時にだけ、機能するなら“可愛い話”で終わる。だけど、、、、、

ローマの時代にも、世を二分する問題に発展していくのは、まさに、2100年の前も現代も、ヒトはちっとも変わっていないって事の証明だ。そして、その性格の違いは、生存競争に与える影響は小さいみたいだ。現代でも、同じくらいの比率で存在しているみたいだからね。

日本経済新聞に、「日本国民の総預金は、2020年に全て国債に食いつぶされる」とあった。

今の国家予算編成では、あと10年で、日本は倒産するって話だ。それまでに収入に見合った支出にしなければならない。

ローマの時代には、支出を制限するより、収入を増やすほうが簡単だった。何故なら、戦って属州となった国から、たっぷりと搾り取ればよかったのだから。

でも、面白いのは、属州統治の全権限を持っていた元老院が、その権限を政治家(グラックスの場合は護民官)に取り上げられるのを恐れて、これに反対する事だ。

国家の一大事なのに、自分たちの権力保持にプライオリティを置く、、、、、愚かに見えて、、、、、結果は???


現代なら、侵略戦争は“悪業”だから、話は簡単だ。支出を押さえる以外に選択肢は無い。でも、、、、、面白いのは、自分たちの領域だけは“聖域”“不可侵”だから、、、、って、ローマの元老院のような横槍を入れる輩がいる。

どちらにしても、「武器を持たない予言者(カッサンドラ)は失敗を避けられない(by マキャベリ)」事だけは、今も、かわりがない。現代では、武力以外(まっ、お金ってことなのかもしれない。武力よりエゲツナイって思うんだけど、どうかな?)になるんだろうけど。でも、グラックス兄が命を懸けた農地法の改革の目的はローマの軍事力増強だったんだけどね~。

余談だが、カッサンドラはトロイの王女で、アポロンから未来を正確に見通す力を授けられるが、同時に、誰にも信じてもらえない宿命を背負わされる。アポロンの女にならなかったから、アポロンが怒って・・って経緯なんだけど、このマキャベリの言葉は、ちょっと違うって思う。カッサンドラなら、最初から、誰にも相手にされないんだから。


さてさて、この結末は、神のみぞ知る・・・・・かも知れないが、どちらにしても、日本人の半分は、自分たちの主義主張が間違っていた事に吠え面をかき、日本人全員が“トランブゲームのババ”を引くことになるんだろう。

面白い10年の幕開けである。(あと5年経って、まだ、のらりくらの日本なら、海外脱出を本気で考え始めるとするかっ!!)


※『マーガリンは危ないと聞いたからバターに代えた』のおかしさを解説するのも無粋だが、織田信長の“短気なところ”と鳩山由紀夫の“奥さん”を比べで、100メートル走るのに、どっちが有利か?を図るようなものとでも言えば、ナンセンスさをわかって頂けるかな?

2009年12月26日

ねたみ、そねみ、ひがみ、やっかみなどの感情

20091226_good_and_bad.jpgねたみ、そねみ、ひがみ、やっかみなどの感情は、恥ずかしい。

日本人の誰しもが感じているんだと思う。

その証拠に、鳩山-友愛-由紀夫総理が、お母ちゃんからお小遣いをもらったことを、ねたみ、そねみ、ひがみ、やっかみんでいることが、ばれないように、みんなで、よってたかって“悪行”ということにしてしまった。

政治をやる為にはお金がかかる。

政治にお金がかかるのは、医療にお金がかかるのと同じだ。

医療にお金をかけることを悪く言う庶民はいない。政治にお金がかかることは悪い事だという。


戦争に“善悪”の価値観を持ち込んだのは誰だろう?

戦争を“善悪”の価値観から俯瞰するようになったのは、2~300年前からだと思っている。それ以前は、戦争には“勝敗”しかなかった。

「勝てば官軍」という言葉は、日本の戦国時代にはなかった。いや、あったのかも知れないが、現代人が“官軍”に感じる“正義”という感覚はない。現代人が歴史を振り返る時、間違った解釈をしてしまう原因のひつとだろう。ローマの時代、中世、近世のヨーロッパに目を向けるときも、同様だ。そもそも、“善悪”の価値観で考えてなかった時代なのだから。

ものごとを“善悪”で考えると、皆にとって最大の利益が得られるのだろうか?それとも、精神的な満足感だけで終わるのだろうか?

“善悪”で考えると、単純化出来て、誰にでも意見が言えるという点では、メリットがありそうだ。それに、ねたみ、そねみ、ひがみ、やっかみなどの感情が溜まった時、“ガス抜き”にはなるし。

身の回りのことを考えるとき、“善悪”の判断は大切だ。いつの時代も親から躾けられる。身の回りのことなら、“善悪”での判断は、自分の利益に繋がりそうだ。

と言う事は、現代人にとっては、戦争も政治も身の回りのことになったということなのだうか?それにしては、日本人は選挙にも行かないし、政府と議会の区別も付いてないように思えるし、戦争や軍隊は話すら“タブー”みたいなのだが。。。

戦争に行って死にたくないのなら、「戦争に行って死にたくない」って言えばいい。どうして、戦争そのものを“悪”にするんだろう?確かに「戦争に行って死にたくない」じゃ、子供みたいでかっこ悪い。カッコイイ言い訳は、戦争=悪で、戦争を起こした人=悪人が簡単でいい。「戦争に行って死にたくない」は「私は、悪に手を染めない」になる。


---う~ん、カッコイイ---


善悪で考えると、帝国主義は、多くの日本人にとって“悪”になるのだろう。

独裁者に良いイメージもない。だが、日本の諺には「船頭多くして船山に登る」がある。問題が発生した時、強力なリーダーシップが必要だった証拠だろう。

現代人は、経験もしてないのに、強力なリーダーシップを嫌うのは何故だろう?誰かに“洗脳”されたのかな?思い当たるふしはあるけど。


ちょっと前に、舛添前厚労相が、『強力なリーダーがいないと、今を乗り切れない』みたいなこと言っていた。(新党結成する気かっ?なんてネタにされている)

野党になると、当たり前の事を言えるようになるのかな?私のイメージは、与党はリアリスト、野党はロマンストだったんだけど、舛添さんは、野党になっても責任感があるんだね。舛添さんが新党を作ったら、応援したいなぁ。


ところで、現代人は、今、自分たちが感じている“善悪”の価値観が、過去から一貫して同じものだと勘違いしているのかも知れない。

ギリシャ神話の時代の“善悪”を現代に持ち込むと、全知全能の神ゼウスは、とんでもない我侭で、気分次第で、思いつきで、スケベで、、、、と、とても“善”とは言えない。自分で作った人間が増えすぎたから、戦争でも起こして間引くかぁ!だもん。

イエスの生きた時代も、同様だ。イエスなんか、自分を生んでくれた母親に向かって、、、、母がイエスに『ぶどう酒がなくなりました』と言った時に、『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。』だもんね。これは、善悪とは関係ないけど、価値観の違いは、大きい。

世の中に絶対の善は存在しないし、絶対の悪も存在しない。たとえば、、、

肉親を殺された人は、殺した人を“悪人”って考えるけど、別に悪じゃない。憎しみだ。殺された側は“不利益”を被った。だから、殺したヤツに同等に不利益をもたらせねばならない。バランスを取ろうとする“脳”の働きがある。平等に反応するコラムだ。(それ故、私は、jury nullification を肯定する。感情による裁きを

それを悪人と言う言葉で表している。“悪”にすると、自分と同じ価値観を簡単に多くの人に共有してもらえる。(近代文学・思想と共に善悪観は発展した?)

個人対個人の殺し合いは、例外なく双方に不利益しかもたらさない。まれに、利益がある場合もあるけど。

戦争の場合は、勝者は莫大な利益が得られる。だから、人類の間から無くならない。

倫理的、道徳的な理屈を付けても、生き物の本能が戦争を起こすのだから、ものを食べて“うんこ”するのと同じだ。

アイドルは“うんこ”しないって、ロマンチストは思うだろうけど、リアリストは「アイドルだってうんこする」って言うのに似ている。かなりかけ離れているけど。

共和制、民主制、君主制、、、、究極の政体は存在しないのと同じともいえる。歴史が語るのは、状況(環境:エンベロープ)に応じて、やり方を変えないと、滅びるってことだ。

というか、人間は安定するとそれを維持したがるから、環境に適応できなくなる。状況に応じて、やり方を変えれば滅びない。自然の摂理。(やり方を変える事自体が、《滅びる》に見えることもある)

今の日本は、民意を反映・・・なんてやってる場合じゃないって事だ。

独裁が悪いとか、国民の総意が善とか言っている場合じゃないんだよね。

強力なリーダーが出現する事が“適応的な時”に、「独裁はいかんよ、ちみぃ~」なんてやってると、日本は倒産するって事だろう。


私は、「戦争に行って死にたくない」って言っておきます。でも、どっちにしても死ぬんだったら、行きます。それだけ。だって、映画アルマゲドンで泣くタイプですから。

地球規模の--友愛--を頭に描ける人は別にして、日本人にとっての公共の利益は、日本の利益以外にあるという人はいないでしょう。いたら、腑に落ちるような説明をしてもらいたものてす。ハイ。

そして、食料の需給バランスが破綻するほど地球上の人口が増えた時に、どうするのかを説明してもらいたいです。ってゆーか、借金しながら、あと、何年、日本は倒産しないで済むのか、誰か、教えて欲しい。


※注意:戦争という言葉はメタファーです。増税と置き換えてもイイです。なんにしても、ロマンチストが“悪”と決め付けているものは何でもイイです。わはははは。

2009年12月24日

ドラマと小説が日本人の歴史観に与える影響を潜在連合テストでみる?

20091221_one-77.jpg鳩山-友愛-由紀夫総理のおかげで、アメリカが“おかんむり”のご様子。どんな結末が待っているのかワクワクしながら待っているが、こうなった以上、中国と仲良くしなければかなぁ~り“ヤバイ”のは、幼稚園生でもわかること。憲法第9条を改正すればいいんだけど、これは現実的なオプションじゃないから(みずほたんがいる)、おいといて。

どの民族も、自分たちの出自っていうか“歴史”が好きで、歴史を美化するという共通点がある。

そして、外交にも微妙に、あるいは、顕著に影響を与えることがある。

ちょっと前、新聞に日本と中国が合同で近代の歴史的認識のすり合わせを行ったことが書いてあった。歩み寄った部分もあったらしいが、“南京大虐殺”に関しては、双方が歩み寄る事は無かったとか・・・・。

中国の“反日感情”を煽るプロパガンダはあからさまだが、日本では中国人に対する“印象操作”はないのだろうか?

一般論として、中国人に対する感情は、悪いはずだ。夫婦間やごく親しい友達だけで話している時、誰でも中国人を悪く言うはずだ(女性はけっこう正直)。中国人の●●さんなどという具体的な話じゃなく、あくまで、イメージとしての中国人に対してなんだけど。中国のギョーザ以前から、そういう傾向はあったんじゃないかな。

アンケートや世論調査みたいな形でする意識調査では、みんな“イイ子ちゃん”になったり、あるいは社会的に望ましい方向に歪むから、“本性”は見えてこない。潜在的意識を調査するには、回答者が、自分の答えの意味するところをわからないようにしなくちゃならない。

『特に、“自虐的歴史観”のある人達に、潜在連合テストを試みたいね』などの嫌味は、今回は無しにして話を進める。。。。

と言っても、私には、どんな設問をしてようやら、良くわからない。ドラマと小説に何を選ぶのかは、決まっているけど。

もちろん、坂の上の雲!

音声なしでもテレビにより人種的偏見が伝わる

サイエンス 2009年 12月 18日 号より

Even on Mute, TV Can Perpetuate Race Bias

あからさまな人種差別的中傷や性差別的発言をテレビで聞くことはあまりないが、テレビで描き出される非言語的ふるまいや行動が、視聴者の人種的偏見に継続的な影響を及ぼしていることが研究者らによって報告された。

最近の研究では Max Weisbuch らが、テレビにみられる白人の登場人物によってとられた非言語的で否定的な行動が、白人視聴者の実生活における黒人の見方を形成するのに深く関わっていることを明らかにした。

この結果は、非言語的な情報伝達が我々の思考や行動にほぼ無意識のうちに巧妙に影響していることを強調するものである。

研究者らはこの結論に至るのに、人気番組から集めた複数の場面を編集し、特定の登場人物を一場面から取り除いて、その場面の他の登場人物がまだ見ぬその登場人物にどの程度好意的に接しているかを評価するよう大学生のグループに指示した。

学生らは、ゴールデンタイムに放送される人気番組11本の登場人物について、否定的な非言語的行動が白人よりも黒人に対して示されていると評価した。

Weisbuchらは次に、その番組を常に視聴している別の学生グループを対象に潜在意識下の偏見を評価するのに広く用いられている潜在連合テスト(implicit association test:IAT)を実施した。

その結果、このテレビ番組を学生がみる頻度(テレビで描き出される非言語的偏見への曝露量)と学生個人の偏見に直接的相関が認められることがわかった。

PerspectiveではJohn Dovidioがテレビにおけるこの隠された非言語的偏見のパターンについて詳細に考察している。

"The Subtle Transmission of Race Bias via Televised Nonverbal Behavior," by M. Weisbuch; K. Pauker; N. Ambady at Tufts University in Medford, MA.


ところでNHKドラマ《坂の上の雲》だが、気になるところがチラホラとある。まず、オープニング。「まことに小さな国が・・・・・」と始まるところ。私は、アレを聞くたび、まるで、当時の日本は槍を持って草原を走り回っていたかのような印象を受ける。そんな事は無いのだが。

そして、以前にも指摘した、正岡子規と夏目漱石の親交ぶり。原作にはない。第4回では、正岡子規と森林太郎(森鴎外)とのやり取り。これも原作にはない。しかも、日清戦争における戦死者(陸軍)の内訳(2/3は病死)まで披露させている。もちろん、原作にはない(小説では兵士の死は一貫して指揮官の愚策によるとされている)。


ドラマ【坂の上の雲】を、サイエンス誌の論文にあるテレビドラマのように、登場人物を編集カットして、、、なんて使い方は出来ないだろう。だって、その内容は、かなりの人が知っているはずだから。そこで、、、、


小説を読んだだけでドラマを見てないグループと、ドラマだけを見たグループと、小説を読んでドラマを見たグループに分け、小説にはなくドラマだけに付加されているエピソードによって、中国観やロシア観がどう変化するかをみるってのは、どうだろう?

っていっても、中国を好きになる嫌いなるなんて事がわかっちゃうような設問じゃマズイんだよねぇ。なんか、良いアイデアはないかなぁ・・・・・。(関係ないけど、映画《評決のとき》でマシュー・マコノヒー演じるジェイク・ブリガンス弁護士の最終弁論を思い出しちゃった)


日中関係を良くする事が、日本の、日本人の利益、将来の日本人(我々の子供たち)の利益になるなら、中国と仲良くしなくっちゃね。。。。

オイオイ、鳩山さん、もしかして、ダメ総理を演じて、国民一人ひとりに危機感を持たせる作戦なの?大石内蔵助の“昼行灯ぶり”を真似てるのかな?


※今回は、エントリーの内容とは全く関係のない写真(アストン・マーチンone-77)を挿入してみました。アクセスビリティ効果による潜在意識のプライミングを狙ってます。。。が、たいした意図はないです。いつもの方が、より、含みは大きいです。

2009年12月15日

新型インフルエンザ感染者2割が症状なし

20091215_ski.jpg80年代は、何か特別だ。70年代、60年代、、、、90年代すら、80年代と比べると色あせる。80年代は、女性の肩が怒っている。女性の眉が太い。マイケルジャクソンが活躍した。バブルがあった。

小林克也も言っている。コンピレーションアルバムも際立って面白い・・と。(言ってねぇかっ?)
(。_゜)☆\(ーー;)バキッ

昨夜、『私をスキーに連れてって』を観た。ちょっと前に、WOWOW でもやっていたんだけど、録画し損ねて見られなかった。その時に観たのは、『バブルへGO』『彼女が水着にきがえたら』『波の数だけ抱きしめて』。

今の若者に、80年代って、こんな時代なんだよって説明するのに、この映画は適当なのだろうか??

1963年生まれの私にとって、80年代は、『思い出が一杯』だ。でも、これらのなんか映画は違うんだよね。

ホイチョイ・プロダクションが作った映画は、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった“業界”の人達のライフスタイルだったんじゃないのかなぁ?彼らの目に映ったのがアレ。それにハッキリ言って、今、見ると、恥ずかしいんだよね。当時はカッコ良かったのかも知れないけど・・・。

だから、80年代の記憶を、現代の若者に伝えるのに、『私をスキーに連れてって』『バブルへGO』『彼女が水着にきがえたら』『波の数だけ抱きしめて』を観てってやられたら、ちょっとどころじゃなく違和感あるよなぁ・・・・。

まぁ、そんな事は、どうでもいいんだけど、音楽には、今思うと、顔が火照るような恥ずかしい思い出が一杯ある。

大滝詠一の、、、、、、、、、、。渚をすべるディンギーで、、、、、。リック・スプリングフィールドの“ジェシーズ・ガール”を、、、、で、ファースト・キッス。ユーロ・ビートでは、スチュワーデスの、、、、、、、。ユーアー・ライク・ア・ドール・ベイビーは、自分の力量も考えず無謀にも、、、、。

・・・雨の中のドライブが好きだ。土砂降りで前後が見えなくなるらいの。外界と遮断される感覚が心地よい。都会や自宅の近くではなくて、伊豆の135号線に限る。一瞬の降水量が違うから、、、、。

車と音楽はいつも一緒だ。だけど、そんな時の音楽は、、特別、関連付けられている記憶が無い。放心している?何も考えていない?良くわからないけど、外からの干渉を一切排除できる感覚に麻痺しているのかも知れない。落ち着く、心の平静を保てる、、、何も考えなくてもよい時間、、、、。大好き。

こういう、空間に、車と土砂降りと音楽は連れて行ってくれる。音楽だけじゃなくて、映画もそうだけど、、、、、、、でも、映像は、解釈が主観的になるところが惜しいところ。

ダンス・ウィズ・ウルブスが好きな映画の筆頭なのは、押し付けがましいところがないからだ。逆に、007シリーズのような娯楽では、はなからそんな事は期待していないから、あれはアレでイイ。

小説も同様。想像の空間に連れて行ってくれるようなモノは好きだ。価値観を押し付けられるのはゴメン。ストーリーが面白ければ、それはそれでいいけど。
 
 
 
さてさて、巷では、天皇を政治利用したとかなんとか、騒いでいる。なんか、違和感を感じるのは、天皇の存在を腫れ物のように扱っているところ。どっちの側も。

天皇を奉ると、戦争に突入するって言っている人達がいるから、扱いがセンシティブになるんだろうな。私には雲の上のような存在の天皇を好きとか嫌いとかの対象にする事自体、違和感を感じるんだけど、本人たちは、大真面目なんだろう。もしかしたら、“スター”を友達・知り合い感覚にする現代の若者のスタイルの先取りかもしれない。どんなに立派な理屈を捏ね回しても、案外、そんな動機だったりするんだよね。

でも、一つだけハッキリしていることは、天皇を敬う事を忌避する人達がいても、日本以外の国の人達は、日本の天皇に一目を置いているってこと。

天皇を存在を蔑ろにすればするほど、その人は、日本以外の人からは笑われるんだよね。

もし、天皇と軍事力が結びつくと戦争が起こるっていうのなら、実験すればいい。。。

でも、天皇と軍事力が結びつく事と戦争が勃発する事の関係は交絡因子だったことが証明されるだけなんじゃないかな。それが恐いから、天皇を忌避する人達は、『人道的に』なんて理由をつけてやらないんだろうけどさっ。

なんか自虐的歴史観を持っている人って、子供の頃、クラスに1人はいた“偏屈な彼”みたいな存在に感じる。せっかく歴史を勉強したのに、そこにロマンも感じないで、天皇と軍隊の、軍事力の批判をして、、、、、勿体無い。ひねくれ者なのかなぁ。。。。不思議。。。。歴史はロマンと文化、精神の遊び場のはずなのに、、、、、。


そして、彼らは反省が大好きみたいだけど、反省するなら『もっとも、生活に密着する部分に対してしなさい』って言いたい。
 
 
 
生活に密着するって言えば、ウイルス感染症。(だけじゃなくって、細菌も)

(ふぅ~っ。やっとたどり着いたぜ。回りくどいねぇ、俺も。)

【関西大倉中・高、新型インフルエンザ感染者2割が症状なし】

2009年12月12日 提供:毎日新聞社

新型インフルエンザ:関西大倉中・高、感染者2割が症状なし

 ◇大阪府研究所「季節性と同程度」

 大阪府茨木市の関西大倉中学・高校で5月に起きた新型インフルエンザ集団感染で、18人がウイルスに感染しながら発症しない不顕性感染だったことが11日、府立公衆衛生研究所が発表した血清疫学調査で分かった。季節性インフルエンザでは一定の割合で不顕性感染が生じるが、新型で確認されたのは初めて。

 生徒や教職員647人から8月下旬に採血した。新型に対する中和抗体価を調べたところ、10倍未満が334人、10-160倍未満が211人、160倍以上が102人だった。感染が確実な160倍以上の人たちに5-8月の自覚症状を聞くと、症状の有無が確認できた98人中18人は症状がなかった。一方、中和抗体価が160倍以上でも、採血後に発症した人が3人いた。

 調査を担当した高橋和郎副所長は「季節性ウイルスでの不顕性感染の割合は正確なデータがなく比較が難しいが、同程度と考えられる。また抗体を得ても感染する可能性があることもわかった」と話した。


知っている人は、『いまごろ、何言ってんの?』って類の事でも、知らない人にとっては青天の霹靂なんじゃない? 

---新型インフルエンザ感染者2割が症状なし---

これこそ、知らなかったことを反省すべきだな。

ウイルスに感染しても発症しない人もいるっていう、人間の多様性を無視するかのような空港での検疫なんて、大衆の無知に迎合しなくちゃならなくなった結果でしょ?

新聞では『新型では初めて』とか書いちゃってるけど、この記事書いた人って、バリバリの文系の人なのかもね。

初めてもクソもないんだよね!微生物と人との関わりには。これが基本なの!個別の関係は無いんだよ。100%発症・致死のウイルスは存在できないんだよ。宿主があっての微生物なんだから100%殺しちゃったら、自分も存在できなくなるでしょ。女がいなくなったら、やがて男も死に絶えるのと同じ事。

こういう“言い回し”をひねり出し、もっともらしく使いところが、生物学に無知な文系の証明なんだよね。でも、食物連鎖は知ってるんだよね。この程度の人でも。だから、病原微生物学も、食物連鎖並みにしちゃえばいいんだよ。教育で。

教育といえば、歴史を斜め読みして悦に入ってる“勘違い”な人達にも、将来を見据える為に、歴史を用いると、概ね、エピメテウス(下衆の後知恵)になってしまうってのを、理系的に証明しておこう。

ある日、庶民の代表、鳥山夕紀夫氏は風邪を引いた原因を考えているとする。

一昨日、電車の中で咳き込んでいる人と一緒だった事を思い出した。
「うん、あれだっ!」
昨日、外出先から帰って手洗いとうがいを忘れたのを思い出した。
「うん、それだっ!」
そういえば、昨夜、夜中にトイレに起きた時、寒かった。
「あれ、これも怪しいぞっ!」

2週間後、退院した友人からお見舞いのお礼の連絡があった。友人は虫垂炎で入院していたのだった。その時、思い出した。
「あっ!そういえば、あいつ、入院してたんだっけ。俺も風邪引いて辛かったから、忘れてた」

鳥山夕紀夫氏は、臓器移植を受けており、免疫抑制剤を服用中だ。

歴史家が結果に対する原因を推測する時、同様の事をやってる。鳥山夕紀夫氏の情報として『電車の中で咳き込んでいる人と一緒だった事』しか得られなかった場合、コレが原因ではないと否定できないので、『これが原因だ』ってなっちゃう。結局、自分の知る範囲の事象を原因として扱うことになるのだ。これはこれで、合理的な推測だし、鳥山夕紀夫氏の場合はさておき、実際、これで風邪を引く人もいるだろうから。

で、さらに、電車の中で感染したを裏付けるような、偶然、同じ電車に乗り合わせ、風邪を引いた知り合いなどが見つかれば、確信になってしまう。。。。

『電車の中で咳き込んでいる人と一緒だった事』しか得られないなんて事は、ないんじゃない?って疑問には、80年代の私の印象とホイチョイ・プロダクションの映画のズレを指摘しておこう。悪い意味じゃなくって、人間の観察の限界。時代の印象は十人十色。まして、何が重要なのか、重要な役割を果たしたのかなんて、言葉で表現は不可能なんだよね。


小説家は、自分に見えたものから信念が芽生え、膨大な資料から、このような事例を積み上げ、小説に信憑性を持たせる。

歴史家は、自分が合理的と判断した資料から信念が芽生え、別な資料からこのような事例を積み上げ、自説に信憑性を持たせる。この場合、他の歴史家が異説を唱えることが多いが、どれが、合理的かの判断基準が各人各様だからである。


歴史からイデオロギーをひねり出した人達の「天皇の政治利用」に関しての愚な議論を、私は、こんな風に感じている。

中国との関係が良くなるんなら、逢えばいいじゃん。天皇陛下。(って、もう、逢ったみたいだけど)

そもそも、政治的って言葉の定義すら曖昧なんだから、議論する事すら愚。宗教も同様だけど、政教分離とか天皇は政治的じゃダメとか言っている人って、現実が見えてないんじゃない。言葉遊びが好きなロマンチストなんだろうけど。「外交と政治は別」とか言っちゃってさ。

結局、戦争を人質に取ってるヤツ等に反論すると「戦争賛成論者」ってレッテルを貼られるから、ビビってるんでしょ?だから、ビシッと言い返せない。政治献金と一緒で、「現実を直視して何が悪い」って言ってやればいいんだよね。戦争を人質に取るような“卑怯”なヤツ等には。

これって、今の後期高齢者医療制度下に「年寄りは、死ねって事か?」って言うのと同じくらい、卑怯なんだよね、高齢者医療制を否定すれば、年よりは死ねって事になっちゃうから。でも、当人たちは気づいてない・・・・っ。トホホだね。卑怯な人は、自分は卑怯だとは思っていない・・・・・正義の味方だとは思ってる。。。。

小沢一郎は、よく言った。あれが政治家の姿だ。政治家は正義の味方である必要は無いからね。でも、内容がショボイ。政治献金、何故、悪い?って言って欲しかったなぁ。


マスコミ批判に持っていくなら、この記事を書いた人の無知を指摘し、こんな“悪貨”が“良貨(無垢な庶民の感覚)”を駆逐するのだ!ってやるんだけど、マスコミ批判、最近、飽きたから、やんない・・・

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